魂の学び

Dr佐野千遥ブログ引用


http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11757898839.html


アーリア人」が、昔々、ヒマラヤの西側のカイバル峠を越えて、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン方面に侵入した。その「アーリア人」とは、如何なる「アーリア人」であったか?

インド・ヨーロッパ語族」と呼ばれるので、今日に伝わるサンスクリット語、ヒンディ語、ウルドゥ語(=パキスタン語)、アフガニスタンの諸言語(モンゴル系のハザーラ語とトルコ系のウズベク語を除く)、イラン語とヨーロッパ・ロシアの諸言語とを比較すると、カイバル峠を越えた「アーリア人」とは、スラブ民族、古典ラテン民族、ゲルマン民族の混成部隊であって、その比率は先ずスラブ民族、次に古典ラテン民族、最後にゲルマン民族となる。「インド系語族」はサンスクリット語も含み冠詞を持たない点と、その他の文法的特長においてスラブ語、古典ラテン語を踏襲している。語彙の点ではヒンディ語等でもスラブ語と語根が共通と看做せる語が山の様に有る。インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン地方は旧ソ連邦に組み込まれた歴史は無いのであるから、そのスラブ語と語根が共通を看做せる語は昔からヒンディ語、ウルドゥー語、ペルシャ語、パシュトー語等の中に存在する語である。

しかしここで不思議な事はサンスクリット語に古典ラテン語が何故入ったかという謎である。アーリア人がカイバル峠を越えてインド、パキスタン、アフガニスタン、イラン方面に侵入したのは、ローマ人がアトランティスから戻って来てサルディニア島に上陸した遙か以前であった。なのに、サンスクリット語には、日本の仏教にも伝わっている「水・アカ」の「アカ」、古典ラテン語では「アクア」という言葉が入っているのである。

この謎を解明しよう。古典ラテン語を使う民族は、或る時、多くの部分がアトランティスに移住し、残りがルーマニア人としてヨーロッパ留まった。ルーマニア語には古典ラテン語と同じく(現代のラテン系諸語の一つに数えられるにもかかわらず)格活用が有る。現代のラテン系諸語:スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語には格活用が無い。ローマ人はアトランティスへ行ってしまっていたが、このルーマニア人がカイバル峠を越えたアーリア人に混じっていた。このルーマニア人が「アクア」(=水)の語をサンスクリット語に伝えた。

現生人類ゲルマン人はユダヤ人アラビヤ人から突然変異して退化発生した。

ゲルマンの白人至上主義者達にとっての英雄アレクサンダー大王は実はギリシャ人=クロマニヨン人である。よってアレクサンダーはゲルマンの祖先ではなく、アレクサンダー大王ゲルマンの白人至上主義者達にとっての英雄とする事は、アレクサンダーにとって「濡れ衣」的侮辱となる。

古代世界史を更に遡って、今日の世界の諸言語・諸民族それぞれの源流となる、太古の世界の言語と民族の進化過程を明らかにする目的で、諸言語と諸民族の時系列的分岐を以下に論じる。

先ず、世界の各言語を重要な次の文法・音声学事項により、それぞれの言語の属性を記述する。その重要な文法・音声学事項とは:

1.人称による動詞活用か、

2.格活用有りや無しや、

3.冠詞は有りや無しや、

4.関係代名詞有りや無しや、

5.構文はSOVSVOVSOいずれか、

6.母音で始まる語を発音する時に母音発声から直接始める事無く、必ず「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)が母音の前に先立ち、母音は必ず叩き付けるような子音音=「声門閉鎖音」から始まるか、それとも母音発声から直接始めるか?

そして、貨幣が現れる以前は、人類の言語は益々高度な構造を持った文法と音声学を持つ方向に進化した。貨幣が現れて以降、人類の言語は性能の高いSVO構文を保ったまま、文法構造全般をどんどん簡素化することにより、更に性能アップに励んで来た。しかしその結果、表現力は大きく低下した。これは次に述べるように言語の退化過程である。

全世界史に於いて、その最高に高度な文法・音声学構造を持った言語がセム語である。貨幣が現れた以降、表現能力を犠牲にしても「性能アップ」の方向が各言語に於いて追求され、言語の退化が始まった。最高の性能とは、これ又セム語VSO構文であった。文が「V:殺した」で始まれば、直ちに聞き手の注意が集中し、聞き手は「S:誰が、O:誰を」に聞き耳を立てる事となる。つまり文法複雑度に於いて英語の約100億倍のセム語進化の最高峰であったと同時に退化の始まりでも有ったセム語を喋るクロマニョン人から現生人類のゲルマン人が退化・発生するのである。文法構造の複雑度においてセム語に劣り、性能に於いてもセム語に劣ってセムから発生したのがゲルマンであり、この退化過程は更に文法の簡素化に進み、退化の最たる物として、品詞の並び順序以外、一切文法規則が消えたに等しい英語が出現する事となる。

文法構造の破壊の最たるもう一つの例が、アフリカのナミビヤ地方の四声を持つクロマニヨンより更に古い人種であるのっぺりした顔立ちの黒人のコイサン語族(ホッテントット族、ブッシュマン族)がチベットを越えて温帯に遣って来て色素を失って発生したクロマニヨン人漢民族の喋る中国語である。黄色人種の事を人類学では「モンゴロイド」と呼ぶがこの呼称は誤っており、黄色人種の最大多数の原型は中国人であるのだから「チャイノイド」と呼ぶべきである。モンゴール民族等のアルタイ語族とはムー大陸系の黄色人種であり、中国辺境に於いてアフリカに起源を持つ最大多数のチャイノイドよりも文化的または軍事的に勝っていたために、中国人を素材として取り込んで混血して出来た民族である

コイサン語族(ホッテントット族、ブッシュマン族)がアフリカの赤道直下に赴き頭頂が平らの、しかしそれなりに凹凸の激しい頭骸骨を持つ今日のアフリカ語族の黒人が進化出現した。これは古代エジプトのハム語族、今日のエチオピア人、ソマリア人とも、又セム族から進化出現したSVOの語順のバンツー語、ハウサ語を喋る現生人類アフリカ人とも異なる、クロマニヨン系のアフリカ黒人である。

この続きは、次に古いブログ「人類史に於ける日本人、ユダヤ人の位置を言語科学から解明する(2)」をお読み下さい。

今回のブログは以上です。
 

スミルノフ学派Dr佐野千遥のブログから引用


 

http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11757898839.html


「ヤマトタケルの尊」とは北九州のシュメールの王国・邪馬台国の最後の王子であった東国を討ちに船出したとされる熊本県のみみつ川の河口の岩場にはシュメール文字が刻まれた場所が有り、またヤマトタケルの尊が出陣する前に饗宴を開いたとされる大分県宇佐の神社に伝わる御物の中に石版にシュメール文字が刻まれた物が有る。

シュメールの邪馬台国が北九州に有った頃に、朝鮮半島百済より百済人が来襲し、シュメールの邪馬台国と戦争になった。文字を持ったシュメールの軍勢は、当時未だ文字を持たない百済人の軍勢より圧倒的に強かった。何故なら、シュメールは小石にメッセージをシュメール文字で刻み込んで、戦闘の行われている各地域の司令官に回し読みさせれば、簡単に戦術変更が出来たのに対し、文字を持たない百済側は戦術を変更しようとすれば、全司令官達を一同に招集して合議せねばならなかったからで、それは戦時に現実には不可能であったので、百済側は個人プレーで戦う以外に無かったのに対し、シュメール側は組織された軍勢で戦うことが出来たからである。

その結果、百済人達=後の天皇一族は手薄の中国地方の瀬戸内海沿岸伝いに近畿まで逃げ延びて近畿に陣取った。中国地方が何故手薄であったかというと、中国地方には当時、文字を持っていない、つまり戦争に弱いアイヌが居たからである。天皇家が元々は百済人である事は、何年か前に平成天皇が韓国に行った時、「日本と韓国は昔から縁が深い。」「桓武天皇の母親は百済から嫁入りした。」と発言した事からも裏付けられる。当時の朝廷では、百済から嫁入りしても言語問題は生じなかったのである。何故なら朝廷内では、殆ど百済語を喋っていたからである。

かくて日本には全く異なる民族の二つの王朝が並存・対立したのである。

元々百済系であった天皇家の家系が何故ユダヤと関係を持つようになったかは、本論の先の方で詳細に論じるが、大まかに言って天皇家は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を最後の王子としたシュメールの王国=邪馬台国を攻め滅ぼし、同じくシュメールが日本列島原住民の祭紀を統括していた出雲大社を司った物部氏(もののべし)を満州・高句麗系曽我氏に攻め滅ぼさせて、百済系天皇家がメソポタミヤの地で8000年間周辺のセム族と支配被支配関係にあった為殆どセム化して日本に戻ってきていたシュメール一族を血統的に呑み込んだ為にセムのユダヤの血が入り込んだのと、後に後で厚く持て成された失われたユダヤの十氏族の一つが聖徳太子の時代に新羅経由で日本に”HATA”の苗字で多数入ってきて、それまでの出雲大社系の神道を天皇一族が伊勢神宮を中心とした神道に衣替えさせるのにこのHATA一族を日本全国に派遣して使った分けだが、そのHATA一族をも天皇一族は血統的に呑み込んだ為である。「万世一系八紘一宇の天皇」と言われても実際には明治維新の際に大室寅之助が明治天皇になったり、大正天皇、昭和天皇、平成天皇、浩宮vs秋篠宮の関係も単純な親子・子々孫々の関係ではない。諸々の勢力争いと駆け引きの結果の連鎖で今日の天皇家が存在しているのである。

また、白色人種系セムと起源の異なる黄色人種系セムが日本の天皇一族から発祥しているという意味ではない。

古事記にはアイヌに討たれたかのような記述になっているが、シュメール最後の王子・ヤマトタケルの尊が伊吹山山中で挟み撃ちを受けて戦死した頃には、最早琵琶湖や名古屋や伊吹山近辺にはアイヌは全く居なかった。海路遣って来て、シュメールのタケイナダネ王の居る名古屋から上陸して北西に位置する伊吹山山中で戦死したシュメール最後の王子・ヤマトタケルの尊は、その先、何を計画していたのか?

琵琶湖の南岸をかすめて近畿の朝廷を討つ計画であった。それ以前にも、シュメールは近畿に攻め入り、百済系朝廷を近畿の中央から追い出したので、古事記から朝廷についての近畿の中央付近の話題が無くなり、近畿の周辺地域の話題しか記述されていない数十年が有った。<引用終了>
 

 

<引用者からの一言>

是非、原文をクリックして読んでみて下さい


 

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