一二三神示②

47)善い事を語ったとて、直ちに善神と思ってはならん、添い従う事、信用関係が生み出され、一つの魂と成

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P.21

メモ:「真仲」について。「真仲」とは、正しい上下(宇経私他)関係(貫係)、男女(納序)関係(慣経)と成り得る霊と徹底的にどんな事でも従うべき事に因って信用関係が生み出され、一つ(人憑)の魂と成る事で御座います。従って、結果的にその霊から云われた事が間違った事だったとしても、それで善いので御座いました。

添い従う事そのものが、一番大事だったので御座います。神示には、「真仲動いては成らん」と明記されております。何故なら経タてモノは土台から先ず作り、下から積み上げて完成するので御座いますので、その土台と成る真仲の対象の霊を「この方」と決めずに、色々な霊の云う事を聞いて土台自体がいつも動く地震発生状態では、いつまでも経っても積み上げる事自体不可能だからで御座います。神示フデでは「個の神示フデ盗まれぬ用に」と、魂となる付治フジを盗る我善しの霊もかなり沢山いらっしゃいますから、「この神」と決めた霊のみに、結果の事を心配せず徹底的に従いましょう。この世に本来、善も悪も無い」、「祀り第一」と訴えてあるのは、それを促す意味も御座いました。又、「幽界霊も時により正しく善なる事を申す」場合には、先に善い事を他の霊から云われてしまった事になりますので、正しく魂となるべき霊は相似して欲しい為に敢えて違った事を云われて、それに従った行為を私が始めた直後に、「すまん、間違えた」等と云われて他の霊に先に云われてしまった本来云いたかった内容に急遽変更されたケースも、多々御座いました。又、そう言う場合、付治を盗りに来た霊はその内容と違う事を何度もしきりに強調して来られた事も、多々御座います。付治の取り合いの激しい事、この事も「北(基太)から来るぞ」「北(基太)から攻めて来る」等と云う意味として訴えられていたので御座いました。「善い事を語ったとて、直ちに善神と思ってはならん」とは以上の事情があったので御座います。詳しくは「龍音の巻」をお読み下さいませ。一番上と繋がるまでには本当に間違える場合も御座いますが、「何事にも理解大切で行きましょう。

<引用者からの一言>

成功されている人をみると、自分もそれにあやかりたくなってきます。そうすれば、苦なく楽に成功が手に入ります。しかし、よ~く考えてみると、楽して手にした場合は、我善しの霊に取り憑かれてしまう場合が多い様に思われます。

我善しの霊に取り憑かれてしまうと、成功したとしても、自分の様に努力をしない人間や貧しい生活を送っている人間をみれば、丸で、愚か者であり、劣等者であり、生きていても、無駄な人間であるように思われてきます。そして、結局、我善しの人間になると性格が曲がってしまって、それが魂にも影響することになります。それでは、この世で自分の魂を磨いていることにはなりません。今の世は、生活が楽に成る事と、魂磨きが、反比例してしまう事が多いのですから、そこが難しいのが今の世の中の生き方です。

何故、そうなってしまうのか、その理由を、ある日考えてみました。そうしたら、閃めきました。それは、天才と秀才の違いなのです。天才と秀才の違いはなんでしょうか?

天才は天から与えられている才能です。秀才は努力して身に付ける才能です。秀才になるには、努力しなければ手に入りませんので、秀才の方々からみれば、努力をしない人間を見ると、それは、努力が足りないからである、と判断してしまいがちです。そのような姿勢に傾きやすいのです。そのような秀才達が集まって、世の中が作られているのが今の時代なのです。そして、労働者や国民を、

しった、げきれい、しています

それが、今の競争社会であるように思われます。 

それでは、天才を考えて見ましょう。天才は天から、元々、与えられている才能ですから、秀才ほど努力は要りません。元々、天から与えられている仕事を、結果の事を心配せずに徹底的に脇目も降らずに、一生懸命に、努力すれば良いのです。それが、自分がワクワクする仕事…。どんな人にも天から与えられている才能があります。しかし、天才で、成功されている方は少ないと思われます。それだけ、生きにくい世の中なのです。しかし、世の中が変化して来ていますので、未来は明るくなると思われます。

この世に生まれてきた理由は、やはり、魂が鍵であるように思われます。魂が「真仲」なのです。その魂が土台、今の時代は魂がぐらついています。自分に与えられた才能を磨く前に、土台が倒れてしまいそうな方々が沢山いらっしゃいます。そうならない様に、そうならない内に、どっちにしろ、「この世に本来、善も悪も無い」、「祀り第一」であると…、祀りとは、人々が仲良く、平和に暮らす事であるように思われます。<2014.1.27

 

 

49)この世の終わりを迎えた時には、彼らが円盤や母船等で飛来して来て、地球人を奴隷として酷使させたり

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P.23後半~

 

メモ:「高天原」とは[]のことでも御座います。「」とは原文に当てはめますと「八 」となります。神示フデに明記されている通り、「八の端から開きにかかる」ので御座いますから、神示フデに因って現れた霊に全面的に従った生活を送る事で、に神様が集められる事になります。神様はそれぞれに次元が違いますから、には神(上)が集まる毎に異次元の層が増して行きます。つまり、水の世の現れであるこの地上世界での肉体は、外見上は徐々に痩せて栄養失調的な状態となって行きます。私達のこの水の世界に於ける肉体そのものが、実は神示フデで云う「路支吾ロシアに降りた極悪の悪神」だったので御座いますから、それを「ギュウギュウと締め付けて、降参させる」為には、動物(正しくは同物)である同じ次元の食糧が全く腹に入らなく成るまでに腹に目一杯、神、(上)を積まらせておかねば成らなかったので御座いました。それを達した時、腹が高天原と成るので御座います。

メモ:初心者用の神示フデには、「付治の巻・第二十四帖」に「付治を目指して攻め寄する、大船小船天の船、赤鬼青鬼黒鬼や大蛇悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空覆ひ…」と御座います。「空から来る船」とは、円盤や母船等で御座いましょう。それらが空を覆う程に攻めて来ると云うので御座います。しかも乗って居る宇宙人が、青や赤や黒の色のの肌を持つ、地球人よりも大きく角の生えている、丸で鬼にも見える様な人種だそうで御座います。この世の終わりを迎えた時には、彼らが円盤や母船等で飛来して来て、地球人を奴隷として酷使させたり共食いする立場にも成るので御座います。彼らは彼らの存在を地球人類に知られたく無いそうで御座います。それでこの地球社会の支配者に命じて、実在している河童や人魚・魚人等の「半動物人種」の存在を公表させない様にしているそうで御座います。彼らが何れは地球に攻め込んで来て支配したいのですから、その存在やきっかけまで隠しておきたいので御座いましょう。

<引用者からの一言>

異次元の食べ物を腹にたくさんいれる…、同じ次元の食糧が全く腹に入らなく成るまで…、腹に目一杯…、神を詰まらせておかねば成らない…。そうすることによって、腹に異次元の神様達が御集りに成られて、極悪の悪神をギュウギュウと締め付けて、降参させる…。

よ~し、今日は野菜をたくさん食べて見よう、と思って、モヤシと白菜が冷蔵庫に有りましたので、ゆでました。ゆでる時にお塩を入れました。今は冬なので、野菜が甘くて、美味しかったです。その後、不思議に、腹が目一杯になりました。

私は、単純な人間なので、少し、続けてみようかな~…?という気になりました。しかし、腹が高天原に成る迄、どのくらいの年月がかかるのでしょうか?

人間の身体の細胞が全部入れ替わるまで、確か、骨が最後なので、68年間位はかかるようです。急に悪神様を追い出したら、悪神様が行くところがなくなって、困るのではないかと思われますので、徐々にやっていきましょう。そして、八年後には、私の身体は外見上痩せて栄養失調的な状態と成る…、しかし、本人は殆ど苦しく無く、気分は落ち着いて安らか…、そして徐々に「悟り」を得させて戴く、気分が日増しに良くなって行く…。しかし、外見は「死んでしまう」と思われて、本人の希望を無視して、経管栄養やら、点滴やら…。となるので、遺書でも書いておいておくと良いのかな?しかし、今の法律を無視したら、私の家族が刑務所行きになります。あまり深く考えない事にしましょう。

私が去年の1211日に、この後半の文章を投稿しました。http://ameblo.jp/m-6458/entry-11963193161.html

私のホームページにもおなじ文章を同時に載せているのですが、私のホームページで不思議な事が起こりました。その日のアクセス数が急に高奮したのです。その不思議なアクセスは八時~一二時の昼間だけなのです、それが毎日続きました。土曜日も日曜日も続きました。今年に入って、やっと普通のアクセス状態になりました。しかし、これと同じ文章が、また、出て来ましたので、再び、投稿しましたが、今度はどうなるでしょうか?結果をこのブログでご報告しようと思います。

つまり、まんざら、嘘ではないと思われます。私達は宇宙人から狙われているのです。私達地球人が争いをしていてはいけないと思われます。この世の終わりを迎えた時にはと云われているので、アトランティスやレムリア時代の二の舞、つまり、今の悪神様はその時に地球に忍び込んだとも言われています。その二の舞にならないように、私達は、悪神様が仕掛けた戦争で、私達の地球を滅ぼしてはいけないように思われます。それで、必死になって、地球を御創りになられた神様は、私達に神示で訴えられておられるように思われます。<2014.1.28>

50)神代に見事生還できる人は、現在の日本在中の総人口の、およそ一割だそうで御座います。

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P.24

メモ:「神に一度捧げてから戴け」と神示には明記されて御座います。神様にお尋ねして、その云われた内容通りにしないと、神様に捧げた事には実質なりません。形だけ捧げた事にしかならず、それは「捧げたつもり」だけの行為でしか無かったので御座います。食べ物を神様に捧げるには、具体的に何をどうしたら良いかまで神様から云われてそれに従わなければ、神様に捧げた事には全くなりません。全て「人間の独断」でやってしまわれた行為でしか御座いませんので、少しでも早く、神様の声そのものが聞こえる身体にかえましょう。その場の状況やその方の身魂に応じて、捧げ方が様々で御座います。それと、よく「感謝すれば良い」と言われる方や、「出された動物性食品を断る事は失礼だ」と言われますが、ただ、感謝すれば神様に捧げたのと同じになる程の境地にまだ私達は成っておりませんからそれを目指している訳で御座いますし、神示に明記されている様に「反対の世界と平面でやろうとすると濁るばかり」とある様に、相手が善意で出された物ならば何でも食べるのではこちらが濁ってしまいます。感謝する事は基本で、出された動物性の物は事情を伝えて丁寧に断りましょう

メモ:神示フデに銘記されていた個人名にも、その時に降ろす神示フデの意味が御座います。それも文章としての「型」であり、一部でも御座います。それで当「火付身神示ヒフミフデ」では、該当すると思われたりお告げにより御指示いただいた当て字で、それらの個人名を記載致しました。又、国の名は、その各国そのものだけを意味していたのでは御座いませんでした。人間の中にもその現れ・働きとして存在していたので御座います。更には人間の各部位までもが、人間の内側にまで現れ・働きとして存在していたので御座いました。天界からのお告げによれば、「テ」とは「相方アイカタ」と云う意味の「デ」、手首ならば、その「相方アイカタ」の意味での「デ」と「供火クビ」で「互いに仲良く縦に繋がった状態」と云う意味だそうです。「ハラ」は「派等ハラ」、「ホ」は「ホ」、「アタマ」は「吾魂アタマ」、「アシ」は「吾支アシ」、「ムネ」は「務根ムネ」、「ヘソ」は「経礎ヘソ」、「背首セキクビ」は「施基供火セキクビ」だそうで御座います。

メモ:神示フデで表記されている日付も、地上人の「時間」と同じに考えては誤ってしまいます。「」とは「」と云う意味になり、「ガツ」とは「加憑カツ」と云う意味であり、一見して日記の様にも見えますが、それらはその神示フデが降ろされた時にその数字が意味する条件が満たされた、と云う事だったので御座いました。「加憑」とは「加わり憑く」と云う意で「憑き(月)」とも云うそうで御座います(お告げより)。神示フデにも「十月」とは「」の「憑き」と、説明されておりました。「(にち)」も「」も同じ意で御座います。「」とは「仁智、仁治」と云う意

メモ:神代に見事生還できる人は、現在の日本在中の総人口の、およそ一割だそうで御座います。二割から三割の人々が助かるのではないかと早合点された方々もいらっしゃいますが、天界からのお告げで「それ程までに多いのならば、そなたの周りにもっと居る筈ぞ」と云われて、私は気付かされました。神示フデにはちゃんと「九分九厘と一厘とで成就する」と訴えてあったので御座いました。従って「千人に1人」と云うのも神人に成れる人々の割合の意味では無く「仙人(手を組んだ神)に一理(神一筋)と云う内容の事が示されていた事まで判明致しました。まだグレンに成らない最大の理由は、誠を実行されていらっしゃる方々が未だに日本全体の一割にも満たない現状があったからで御座いました。

<引用者からの一言>

私は、漢字に秘められた字の意味に驚嘆しています。昔の漢字が、どんどん変わってきているのをみて、非常に憂慮しています。しかし、漢字の意味に振り回されないで作った「当て字」、今では、当て字のほうに興味を感じて来ています。

ある御著書を読んだ時に「性セックス」の言葉には悪い言霊が全く含まれていない、と書かれている御著書に出合った時に、どれどれ「せい」の言葉をパソコンで変換して見ました。正、生、聖、清、成、静、精、請、姓、世、制、製、盛、星…。

成るほど…、全く入って居ないどころか、素晴らしい言葉ばかりです。神様の御言葉は、響きが大切です。響きが悪ければ、神様に届きません…。

最近、神様に届く言霊が流行している様に思われます。「ありがとうございます」の言葉は、外国人が日本に旅行された時に、至る所で、日本人が、「ありがとうございます」の言葉を連発しているのを見て、不思議に思われたと言われています。私達日本人は、「ありがとうございます」の言葉を連発しているようです。「おはようございます」「こんにちは」も言霊のようです。「おかあさん」「おとうさん」もそのようです。そうすると、日本の言葉には、神様に響く言葉が多くありますね。

神様に届く言葉は、天を循環しますので、自分のカルマがどんどん薄くなると言われています。しかし、悪い言葉は、地獄を循環して来ますので、自分に戻ってきて、破滅の道に進むようなのです。それが分かれ道であるように思われます。

2015,1,31

51)お告げに因れば、イザナギの実言は心を改められる事に成って行かれる事で御座いました。

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P.25

メモ:天からのお告げに教えて頂いた事で御座いますが、イザナギの実言が云われた「しか寄けむ」と云う御言葉には、実は少々皮肉った意味までも含まれていたそうで御座いました。それでお告げでは「しか」の部分を「私加」としなさい、と私は云われました。又、この事までは、神示フデには説明されていない事まで教わりました。云われてみれば、確かにその後のイザナミの命の御言葉の「身増ミマしの国の人草ヒトクサ、日に千人死チヒトマけ」と云う内容も、その皮肉った御言葉へのお返しとも思えます。しかしながらその後、お告げに因れば、イザナギの実言は心を改められる事に成って行かれる事で御座いました

今は「仕方がない」の意味から「私加」となったなったのでしょうね。

メモ:祝詞とは、神界・幽界・現界全てに宣り上げる「言」で御座います。「宣り途」とも意味的に表現出来ますが、それぞれの異次元世界へ乗り上げて行く行為そのものでも御座います。肉体を霊化させる元でもあり、抱き参らせる働きでも御座います。神代に至るまでには先にこれらの祝詞をなるべく暗記致しましょう。特に「ひふみ祝詞」「いろは祝詞」「貫名柄祝詞」は必須で御座います。

<引用者からの一言>

この地球は85%まで、イザナギ、イザナミ、の命が、御二人でお造りに成られたのですが、85%のところで、夫婦喧嘩…、そして、別れた。その後、イザナギの命がお一人でこの世を支配…、イザナミは日に千人を殺していた…、ということなのです。

しかし、「天界ではイザナギの命が心を改められる事に成って行かれる…。」と書かれております。果たして、この世の男性は、心を改められるでしょうか?

子育て、家庭、介護を疎かにしてしまった、経済を優先してしまったのが、今の時代です。お国は、気付き始めています。いろいろと、政策を考えています。しかし、国民の意識の方が、まだまだ、低いですネ。我が家の夫を見ても、そうです。夫の仲間達が、時々集まっていますが、その中での話題が自分の奥様とのやり取りです。男性は、俺が稼いできたという見識がどうしても強いようです。

私は共働きをしていたので、仕事をしていた方が、子育てよりも楽である事が、良く分かります。子育ては本当に大変です。かといって、子育てを、家庭を、犠牲にしてしまったら、家庭が崩壊してしまいます。だから、女性が仕事も家庭も両方共に、頑張ってしまいます。そうすると、男性に対する不満がどんどん募ります。定年後には、夫婦の愛はすっかり冷え切ってしまいます。

女性が結婚して、仕事をしないで、子供を産んで、子育てをして、やっと子育てが終わったと思ったら、御姑さんの介護、それが終わったと思ったら、夫の介護、夫の介護が終らなければ、女性の務めが終了しません。それが今の世の中の仕組みです。そのサイクルから逃げるには、独身生活をするしかありません。かといって、職場でも男女の差別が待っています。女性はどこに行っても男性の下働きです。今の世の中では、女性の方が不利な仕組みなのです。イザナギの命がどのように反省されて、イザナミの命はどこまで許して、人を殺す人数が少なくなってくれるのでしょうか?それは、イザナギの命が反省される量であると思われます。男性は女性を何処まで理解できるのでしょうか?イザナギの命の能力が試されるときですね。

我が家の夫にぶつけてみました。男の一生は、仕事だけだよね。女性は子供を妊娠して、産んで、育てて、介護もあるよね。どう考えても、女性が不利だよネ、と。夫はしばらく考え込んでから、返事をしました。男は女を服従させたいと思っているんだよ、と…。

その原理は、男の能力が女性よりも上であるときに成立する理論だと思われます。しかし、現代は、教育も仕事の内容も、その理論が通用しなくなってきました。力仕事であればそれは男性の方が有利です。更に、単純な仕事であれば、理論が通りますので、理論好きな男性にとっては有利です。しかし、この世の中は複雑に絡み合っています。それを解決するには、男の能力だけでは限界に来ていると思われます。かといって、女性の能力だけでも解決できません。きっと、両方が必要になるのでしょうね。そうすると、お互いに尊重し合うことになりますね。男性諸君よ、女性を服従しようなどと、幼稚な考えを捨てなければいけません。これからの世界は成熟の時代に入ります。成熟した考えを持ちましょう。

「ひふみ祝詞」「いろは祝詞」は分かるのですが、「貫名柄祝詞」はどんな祝詞かなと思って、グーグルで検索してみました。そうしたら、なんと、一番目と二番目に載っていたのが、私のブログとホームページでした。1211日のブログでした。びっくりしました。それで、私のブログ、ホームページのアクセス数が急に伸びたのですネ。納得しました。

そこで私が神棚を買った時に付いて来たのが、貫名柄祝詞のりとだとわかりました。「たかあまはらに かむずまります かむろぎ かむろみの みこともちて すめみおやかむ いざなぎ いざなみ のおおみかみ つくしのひむかの たちばなのおどの あわぎがはらにみそぎたまえ たまいしときに あれませる はらいどの おおみかみたち まがつみけれを はらいたまえ きよめためえと まおす ことのよしを あまつかみ くにつかみ やおろずのかみたちともに きこしめせと かしこみ かしこみ まおす。」たぶん、こうだと思いです。詳しくは、神社に聞いて下さい。2015.2.1

52)この世がグレンと引っ繰り返る直前には、心の醜さが顔面に現れ、お魚と牛と豚の食べ物の影響の心の内

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P.25後半~

メモ:天界からのお告げに因れば、この世が「グレンと引っ繰り返る直前には、心の中の和合が出来ていない分の心の醜さが顔面に現れて、次に(直後)その人が食べていた食べ物からの影響まで身体全体に合一する形で現れるそうで御座います。例えば、お魚や牛や豚を食べていた方の場合、先ず内側が和合していない分の心の醜さが顔面に現れ、お魚と牛と豚のそれぞれの特徴が、それぞれを摂取・蓄積されていた割合でそれぞれが合わさった状態でその方の、顔も含めた身体に合成された姿と成る事になるそうで御座います。お魚ばかり食べていらしていた方は手足が極端に短くさせられた「魚人」の様な姿と化すそうですし、牛のお肉や牛乳ばかり戴いていらしていた方なら外見も「牛人」みたいになるでしょう。神示フデに書いてある「臣民アフンとしてこれは何とした事ぞ」と驚く事になるのは、御自身がそういう「化物」に化かされて大変なショックを受けてしまうと云う意味も有ったので御座いました。神示フデに書いてある「獣」とは、それぞれの人々のの内情と食べていた食べ物の影響で事情が違いますから、色々な姿の「獣」として現れて来る事になります。勿論、獣に化かされたら言葉は話せなくなります。神示フデに書いてある、「肉体の怖さではないぞ。の怖さざぞ。」とは、その事を云っていたそうで御座います。獣に成れば、後はお互いに共食いされる事にも当然なってしまいます。理性まで失う事になるので御座いますから。

メモ:「一二三神示フテ」に書かれている「」についても、そのままに解釈すると間違います。「」とは「各自のその状態の」を示しているそうで御座います。当て字としては取り敢えず、「位路」、「火路」で良いそうです。「青」、「赤」、「黄」、「白」、「黒」も、当て字を使うならば、それぞれ「吾緒」、「吾加」、「基」、「支路・代」「供路」で取り敢えず良いそうで御座います。又、「お土」と神示に書かれて御座いますが、「土」とは「異次元の壁を越えて人(霊人)同士が結ばれた」と云う意味で「憑智」と云うのだ一番相応しい当て字とお告げで知らされました。「個の余は一つ」と云うのも、その「一つ」とは「人(霊人)憑」と云う意味である事までも、お告げで教えていただきました。

メモ:黒とは「供路」の事、「霊肉一緒の路」と云う意味を、ここでは云われています。代とは「代」の事、「入れ代る」と云う意味でここでは使われて御座います。それで、「白黒混ぜる」とは、「霊肉一緒の路」と云う意味に成ります。それで、鉛とは「成る間(真)の理」としての、「霊肉一緒の路に入れ代える」働きを意味しております。霊肉一緒の路と成れば、各異次元(間)の神々様が次々に加わって来る理(御用)と成る、と云う意味で御座います。それで神々様は手を憑く(繋げる)事に成りますから「手憑(鉄)」と成り、それが展開されて「胴(銅)」と成り、「言派」に因る順が出来る{吟(銀)}と成り、全体の「黄金コガネ(個兼ね)」として中心から外までが一体化する事を、神示フデでは申し上げてたので御座いました。各異次元の霊人が命(巳個途)の「個」と成って、異次元間にて「兼ね」ている状態の事で御座いました。

<引用者からの一言>

2015年、今年がグレンと引っ繰り返る時期…!? 世界が、日本が、戦争に突入しそうな雰囲気になりました。

2015/01/25(日)4 深い御覚悟と固い御決意が籠められた御製

夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ

朝ではなく… 明るい昼間でもなく… 夕闇が迫る頃…
あたりが暗くなりかけた晩秋の稲田にお入りになられ…
たわわに稔って頭(こうべ)を垂れた美しき黄金色の稲…
その稲の根本に鎌をあてがい ググッと一気に刈り取るこれは…

ただの稲刈りではない天子さまは…

深い深い御覚悟と固い御決意を歌に籠められた…

などてすめろぎはかくも鬼気せまる御製を詠まれしか…

いま 日本人の心に よどみながらひろがる深い悲しみを天子さまが根本から一気に刈りはらわれる日を願おう(飯山一郎)

昨年あたりから、今年の五月頃が危ない、とネット上で叫ばれているのを目にしました。なんとなく、私も、そんな感じがしてきました。私達も、きっと、天から試される時が来たと思われます。

飯山一郎さんは、後藤さんは、泣きごとを一つも言わずに、武士のような最後であったとおっしゃっていました。もし、日本人でなかったにしても、日本の国に住んでいましたので、日本人らしく、最後まで、理性を失わない心を持ち続けていたと思われます。

野菜は本当においしいですねネ。最近、我が家の周りに「駅の道」に似た名前のお店があちこちにできました。野菜、きのこ、お芋、お米、お花…、非常に安いです。野菜は半分ではなく、丸ごと買ってきて、たくさんゆでて食べています。リンゴやキュウイやバナナ、アボガドも安いですネ。そのお店には、不思議に、お肉やお魚は少量しか売っていません。面白いお店が、最近、出てきました。

埼玉県はお芋やお野菜の産出量は日本でもトップの位地にあるようです。お米と野菜は殆ど輸入がなくなっても、日本産だけで充分ですね。日本の農家を守って、お米と野菜があれば、私達は充分に生きて行けると思います。あとは、エネルギーの問題です。しかし、日本の国にはエネルギーも沢山あるようですよ。それを、今迄、使っていなかっただけのようです。東京の地下には、沢山の石油が眠っているとも聞きます。時々、ボーイングしてメタンが爆発するニュースがありますが、それが、証拠のようです。

きっと、日本の国民が、理性を失わなければ、この場を乗り越えられると思われます。そう私は信じています。しかし、私達は、何時まで、戦争ごっこして、幼稚な考でいるのでしょうか?

悟りへの道 私のしくみ 松尾みどりさん。

https://www.youtube.com/watch?v=a2HxQpeMPDc

このユーチューブを見て見ましたら、納得しました。その原因は、私達のDNAが二本であるからなのだそうです。元々は12本有ったようなのですが、この地球に住むには、二本にしなければいけなかったようです。そこで、馬鹿になる覚悟をされたようなのです。しかし、今でも、直感で繋がることができるようです。私達は、直感を大切にすれば、12本のDNAと繋がることが出来るようなのです。直観を磨きましょう。<2015.2.2>

53)直接神世へと繋がる臍の緒が男、神世に繋がるに必要な肉体が女、「男」と「女」とは、「霊」と「肉」

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P.26後半~

 

メモ:二十二」は、「二と二」とも読みますし、「仁と付」、「付問ふ」、「仁閉じ」等とも訳せます。「二二」の事ですが、「憑いて活く道」の基の事を云うそうでございます。

メモ:神示フデに書いて御座います「」と「」とは、何も地上世界の性別の事のみを指していると云うのでは御座いません。「」とは一例として「の個」、つまり直接神世へと繋がる臍の緒のような存在、立体方後、中心(基太)に向う方向への一つ(個)で御座います。異次元の世界への一歩へと和合で一つの魂と成り得る「霊」の事で御座います。「」とは一例として「緒御名オミナ」、つまり神世に繋がるに必要な肉体の事で、「」と和合していく毎に中心に向って行ける側の事で御座います。成せば実り成り、仮名の名に成れるので御座います。因ってこの「」と「」とは、「」と「」と云う意味までも御座います。「女」の事に関しては、神示フデでは先に出るから治まらないとか、「女のメグリは怖い」と示されてはおりますが、それは何も女性が対象と云う事とも限らず、男性であっても「肉体側」としての立場で、「霊よりも先に出るから治まらない」、「肉体側のメグリは恐い」と云う事でも有ったので御座いました。しかし男の魂は女、女の魂は男と示されている通り、男性の守護神は女性の霊で、女性の守護神は男性の霊で御座います。水の守護、身に直々にお恵み下さるのは渦の神様、素査成るの神様の事で御座いますからネ。

<引用者からの一言>

神代に繋がるには、肉体が要りますね。更に臍の緒の方向も忘れてはいけません。

今の時代は方向を見失っています。今は和合の時代のようですネ。肉体と霊と和合…、それが必要です。今迄は地球の理が優先されていて、宗教等で善悪を分けていましたが、宇宙には善悪の感情が無いようなのです。善悪の二極化に分ける必要が無いようなのです。思いやりと優しさ、暖かさ、愛はあるようです。それらの感情には、善も悪もありません。しかし、今、それが見失われているのです。沢山の偽りの愛がはびこっていて、真実の愛が見えて来ません。育児も教育も医療も科学も、政治も、それぞれが、個の善であるために、混乱しています。自分の12本のDNAの直感と繋がって、見分ける必要がありそうですね。

しかし、真の直感なのか、ただの思い付きなのか、なかなか区別ができません。どうすれば良いのか、少し考えて見ました。

どちらも、ふっと、頭に浮かんできますが、やはり、直感と思い付きは何となく違います。

スムーズに物事が運んで行かないのが思い付きです。直観は不思議に自分でもビックリするほど物事がスムーズに運びます。更に、直感は、まさか、そんな事…、あり得ない、自分にできる筈が無い…等、と思って無視してしまう事が多いのです。そこで勇気が要ります。いちかばちか、挑戦してみよう、やってみようと思うと、レールが敷かれているのです。不思議にスムーズに行きます。思い付きでやった事には、抵抗があります。うまく行きません。もう一度考え直します。むしろそちらの方が多いです。しかし、そちらも必要なのです。反省と熟慮のチャンスなのですから。だから、どちらにしても、失敗を恐れず、やってみることであると思われます。松尾みどりさんがおっしゃっていました。五次元に行くには、四次元の恐れを乗り越えなければいけない、と。殆どの方が恐れを持っている為に、何千何万回も輪廻を繰り返しているのであると…。私達は恐れを恐れず、挑戦しなければ、神世に行けない様になっているようなのです。

地球も太陽も女性であると言われていますが、今、それが、理解ができました。スペイン語をかじった時に、挫折した理由は、男性名詞と女性名詞でした。何故、そう分けるのか、今一つ、理解がでませんでした。名詞を男と女を分ける意味が全く、分かりませんでした。しかし、太古の人々は、分ける意味を分かっていたのですネ。スペイン語には残っているのです。英語は、コミュニケーションが効率的にできると言われています。一番難しいのが日本語…、日本語の平仮名は神代文字? 幾通りにも、どうにでも、解釈できる、当て字が多いように思われます。<2015.2.5>

54)胴」も「足」も無い事では、一時的に成功する場合が有っても、永久に成就致しません。

http://hifumifude.digi2.jp/fude/memo.pdf

P.27

メモ:食べ物」に関して。「今の半分で足りるぞ」の「半分」とは、憑き者(霊)の「他経者タヘモノ(同じ次元なら“食べ物”)が伴っている分、と云う意味で御座います。沢山食べる方ほど、「要らぬ者(神示フデの道に沿わぬ霊)」をその分多く伴っていたので御座います。「金(兼ね)は世を潰す元」とは、その余分憑いた霊(他経者)が集まって水(脂肪)神国(胃腸)を締めつけていた事をも意味致しております。周りに水(脂肪)が付く為に、陸地の現れであった各内臓の間が寄り添えずに離されて、地上の陸地もそれにリンクさせられますから島々に細かく分けられてしまい、一つに成らなかったので御座いました。よく噛む事に因って食べられる量が、噛まないで食べる時より少なくなるのは、噛む事に因る神様の御用に因り、「要らぬ他経者」を予アラカジめ採らぬ様にさせられるからで御座います。それで食べ物(他経者)は、「今の伴分」で足りる事に成るので御座いました。尚、「脂肪が付く」とは、「私望が付く」事で、我善し優先の心に成る事の現れで御座います。周りと協調する心が無くなってしまうのですから、「死亡が憑く」事になってしまいます。

メモ:「高い所へ土持ちばかり」とは、いきなり「天と通じる」等と言う様な、神示で云う「空中楼閣」みたいに途中に在る世界(段階)を無視、もしくは飛び越える思想・発想の類の事を意味致します。下から石を積み重ねて行き、ピラミッド等の建物を作ろうとするのが、今迄の人々の一般的な考え方の一つで御座いました。それなのに、「労せずして達する」と言う方向へ考え方が傾いてしまうので御座います。こういった「胴」も「足」も無い事では、一時的に成功する場合が有っても、永久に成就致しません。それで、下から順に苦労しながら繋げて行く(活く)事が、とても大切だったので御座います。内側・世界の低い、一つ隣の、高次元界の「自分」と和合を試み、手を繋げられた魂と成った時点で「一段目の石の上に二段目の石が接着出来た」状態と成り、その二段目までからの一つがそのまた一つの上の次元界の「自分」と和合を試みる…こういうふうにして一つずつ一段ずつ繋げて行き、最終的に一つの大きな建て物(経て者:つまり基の代の活き通しの神)を現す必要が有ったので御座いました。神示フデではこの事を、一歩ずつ進めよ」と表現されていらっしゃったので御座います。

<引用者からの一言>

「金(兼ね)」の言葉に引っかかり、ちょっと、国語辞典を開いてみました。そうしたら、同じ言葉なのに真逆の意味が書かれてありました。

「兼ねる」の場合は、①合わせる。一つにする②二つ以上の働き(役目)をする。

「…兼ねる」の場合は、①できないままで終わる。「いい兼ねる」②「できない」をやわらかにいうことば。「お引き受けいたし兼ねます」③しようとして、できなくなる。「待ち兼ねる」。

と書かれておりました。それでは、「兼」の意味を調べてみましたら、「二つのものを、かねること」。と書かれていました。

金(兼ね)は、「世を潰す元」つまり、身体に余分な脂肪が憑けば、欲張り霊が憑き、世を潰す元にもなる、身も死亡する…、ということですね。

お金持ちになれば成る程、「要らぬ他経者」が多くなって、脂肪が付いて(私望が付く)、我善し優先の心に成り、周りと協調する心が無くなってしまいます。

三次元世界では「労せずして達する」ことができないよう仕組みになっているようです。「胴」も「足」も無くなってしまって、永久に成就できない。恐いですネ。苦労をする事は大切です。

斎藤一人先生の言葉で、少し、悟った事があります。海の水は何処へ行っても、塩辛いのだそうです。どんなに捜しても、砂糖のように甘い海の水は無いそうなのです。

仕事でも、どんな仕事であっても、どんなに捜しても、楽な仕事はないそうです。しかし、同じ塩辛い水で、綺麗な水はあるそうです。

スピリチャルセミナ―の先生方は一食で居られる方が多かったです。それでは。と思って私も挑戦することにしてみました。三食を食べないで、一食だけにするのです。先ず、朝食をとりません。仕事をしていた時から、朝食は食べていませんでしたので、難なく突破することが出来ました。次に昼食を抜くことに挑戦です。半分は実行できましたが、暇であれば、空腹感に負けてしまい、食べてしまいます。退職してから、完全に昼食を摂らないでみることに挑戦しました。しかし、挫折、難しいですネ。<2015.2.6>

55)神示フデ(付出)を腹に入れて行きますと肉体が霊化致します。蛇の方が早く改心、火継ぐの臣民の方

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P.27

メモ:神示フデ(付出)腹に入れて行きますと肉体が霊化致します。すると、物理的に弱い部分までもが緩和されて行きます。例えば腰痛が治まってしまう等になります。物理的に擦れたりしている部位も、傷付きにくくなって来ます。これが不思議なのですが、事実で御座います。

メモ:「」とは「」と、故・岡本師、中谷氏は訳されていらっしゃいます。大変分かり易いのですが原文の「」は「」、「」、「」と発音された方が言霊としては正しい

ので、その原文の判った所に関しては、当「火付身神示」では「道」又は「巳」と致しました。又、「」を「」等と訳してある所も御座いまして、意味としては初心者に判り易いので御座いますが、「言葉」としては誤りにもなりますし、「声を立てて読む為」と云う目的が御座いますから、その所は原文が判明できた所のみ「水ミ」とさせて戴きました。「」の「」とは、人間の生き方を巳ヘビ経火ヘビ)に例えていて、それそのものに両氏がまだお気が付かれなかった事で御座いましょう。「曲がって真っ直ぐ行く」、「性(活)き通し」、「蛇の方が早く改心する」と、皆「巳」の事でも御座いました。メモで「十二支」の説明も致しましたが、「五六七」は「辰巳午」で、彌勒「六六六」とは意味合い的には「巳巳巳」でも御座います。巳ヘビ経火ヘビとは、「火を経る」と云う事で、「火継ぐ」或いは「火憑く」と云う意味で御座います。「火継ぐの臣民の方が、早く改心(皆神)する」と云う事でも御座いました。「」とは「」でも御座います。人の身は、神界から霊界へと全てに継づき繋がっていたので御座います。

<引用者からの一言>

気の治療が出来る方が実際に居られます。その方の所に行くと、難病が何秒で治るとか…、しかし、その方が霊性が高いとは、どうしても思われません。

娘がリウマチに患ったときに、ネットで捜して、3回程、気の治療を受けましたが、全然、治りませんでした。一回に30分で1万5千円…、私も体験しましたが、チンプンカンプン、実際に直して居られるのでしょう。しかし、どうも信じられません。

気の流れも、水の流れも、高い方から低い方へ流れます。低いエネルギーの人は、高いエネルギーから気のパワーを奪います。人間の肉体が完全に霊化されていない段階で、他人様の病気を治す事は、自分の気のパワーを弱めてしまうと思われます。気の治療は、家族や身内の方だけに留めて置いた方が、無難である様に思われます。西式健康法の著者も、気の治療は勧めていません。食事と運動と心が主に書かれています。

私の経験では、実際にリンパマッサージをしていて、癌の末期の方のリンパマッサージをした日の夜に、冷や汗、呼吸が苦しくてハーハー、ビックリして目を覚まして、そうしたら、身体の力も抜けている感じで、息が苦しくて、眠っても、短時間しか眠れず、その日の夜が非常に長く感じられました。その後に、10日間以上も風邪も引いて、ひどい目にあいました。

円形脱毛症の方をケアした後、翌日、私の胃が一時間程、痛くなりました。更に、坐骨神経痛の方をケアした後、二日後に坐骨神経痛と全く同じ症状が、私に出てしまいました。更に、300回人程の方のケアをした辺りから、手のこわばりが出て、困ってしまいました。或る人から、ケア後にお塩で手を洗いなさい、と言われてから、その様にするようにしました。その後からは、そのような経験がほとんどみられなくなりました。

その経験があってから、仕事の方向転換をする事にしました。つまり、自宅でケアをする回数を減らして、公民館で教える方を多くするようにしました。

自分の家族にリンパマッサージができるように教えるのです。乳幼児は母親がしますので、大人の場合、家族に教えるのです。しかし、せっかく教えても、家族に、あまりやっていないようなのです。テレビを見る時間はあるようすが…。昔は、家族で肩を揉んだりするのが当たり前でしたが、その風景が今では、殆ど無くなってしまったかのようですね。病気でも、マッサージでも、癒しでも、介護でも、全て、家庭の外に求めています。お金を出して…。家族での支え合いが、薄くなってしまったようです。個人主義の時代がそうさせてしまったかも…。しかし、これからの社会は、家族と地域で、共に支え合う時代になります。家族と地域と、さらに広がった形での支え合いになります。

公民館での使用料は安いですが、使いづらくて、雰囲気も硬くて…、自分に合うところを捜しています。

急に、世の中が慌ただしいですネ。家族、地域の支え合いが大切です。お金の毒から目を醒まして、本当に大切な物に気付くことが大切です。

Lee Carroll氏はチャネリングで、「2」は二極性「3」は促進「4」は骨組、全部足すと「9」完了。「9」はサイクルの完了、地球の理の学びの完了のようです。

2015年~2017年が「3」の時代、刺激促進であるようです。これから、三年間で、私達の意識も、周りも全てが、変わる…、しかし、変わらない選択もあるようなのです。しかし、今迄、変わろうと思っても抵抗にあって、諦めていた人にはラッキーチャンスなのだそうです。

この時に行動を起こせば、それが、促進されると言われています。このラッキーチャンスは二六〇〇〇年に一度のサイクルなのだそうです。宇宙の創造主が関わるようなのです。古い生き方を、古い意識を捨てる時代だそうです。自分には出来ないと思わず、火に飛び込んだ人が改心し易いのです。自分の12本のDNAには、この時代に合わせて組み立てられているそうです。今迄の人間は幼児でした。だから、こんなに争いが多かったのです。しかし、これからの時代は、宇宙の学校に入学して、宇宙の法則を学ぶ時代に入るようです。太古の時代から、待ちに待っていた時代であると…。恐れず、不安にならず、楽な気持ちになっていれば、自分の神様が導いてくれるようなのです。このチャンスを逃すと、26000年後です。何が有っても恐れず、楽に生きていく。しかし、心の準備も必要なようです。
<2015.2.9> 

56)霊肉関係から正さん限り派、個の峠越せんぞ。「宇宙人」とも仲良くして下されよ

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P28後半~

メモ書き知らすぞ:「宇宙人」を人民、誤って理解しておるのぞ。人民の申してゐる「グレイ人」とは、河童類種人だぞ。幽界人ガイコクジンは仁翻人ニホンジンより現はれとしての肉体、大きいのぞ。地表世界でも現れとして、日本人より外国人の方が大きかろうが。「性」が統一されてゐるのざぞ。臣民・人民、同じ「型」で生まれて息してゐるのざぞ。皆一つに繋がりておりて、皆がそれぞれの皆の写しの現れで有るのぞ。「他人を恨む事は自分を恨む事ざ」と云うてあろが。自分恨む事は、自分を悪くさせる事ざぞ。他人も世間も恨むで無いぞ、悪しき心抱くと自分としての自分、悪くさせるのぞ。新サラつの世を迎えるには、先ず人を恨む心を査憑張サッパりと捨てな生らんのぞ。「幽界人ガイコクジン」とは「宇宙人」の事ざぞ。智に憑く」為の、宝ざぞ。それを経てにさして行ふのざぞ。「身魂磨く」とは、経タてにさして現はれた憑く者と手繋げる事ざ。「付手」と申してあろが。霊肉関係から正さん限り派、個の峠越せんぞ。「宇宙人」とも仲良くして下されよ。身霊和合さしておかんと、その現れ、自分自身に表われるのざぞ。「霊に成っては中々ぞ」と云うてあろうがな。「幽界人ガイコクジン」は今のままでは霊にしか生らんのざ。助けてくだされよ。

は地球を生んだのぞ。地球からが生まれたのざぞ。  で有るぞ、過去であるぞ。地球はその霊国であるぞ、 で有るぞ、現在であるぞ。お日様 合わした 火憑き国)ざぞ。皆、現れとして、見せられて居ったのざぞ。「吾」忘れるで無いぞ、「治・和」和合せるのざぞ、「㋳㋻」にて合一させるのぞ。しかと心得致して下されよ。「タテ」にやるのざぞ、タてぞ。タてねば代個ヨコが現れんのざぞ。平面では何事も、成就せんのざぞ。に作らな、建物(経て者)造れん(憑く連ん)であろがな。

<引用者からの一言>

最近、飛鳥さんのユーチューブで、そろそろ第3次世界大戦が始まります、と言われていました。5月頃から始まって、夏が悲惨な状態になると…。それまでに準備が完了していない人は、餓死するでしょう…、そして、今度の戦争は、地球のUFOと宇宙のUFOの戦いであると…。

今回の神示のお話の中から、宇宙人、グレイ人、幽界人のお話…、そこで、アレックスコリア氏のお話が私の頭で閃きましたので、少し書かせてください。アレックスコリア氏のお話は、ユーチューブに載っていますので見てみてください。

アレックスコリア氏のお話では、一万四千年前にオリオングループが地球の人間のDNAにスプリット(魂)を入れた、その時に関わった宇宙人が幾種類、その中で、友好的な宇宙人がアンドロメダ人(人間種)プレアデス人(人間種)シリウス人(半水生種)、非友好的人種はグレイ(アンドロイド含む)アルファ・ドラゴン(爬虫類型種)etc…。

宇宙の中でも地球人ほど感情の範囲が広い種族はほとんどいないそうです。

5700年前、その中の、根強い物質主義観者が、真実や本質から、私達の目をそむけさせて、今に至るようです。

宇宙の中では、今でも、オリオン戦争など、60万年も続いている戦争があって勝敗つかず、非公式に戦争が終結していると、その後は、銀河の人々が集まって何が起こって居るのかなどの情報や知識を共有し合っているようです。そうする事で皆が共に進化する事が出来る、「無条件の愛」の空間におられる。

1980年、地球で核兵器が使われ始めたので、アンドロメダ評議会により、過去何千年も間、地球人との関わりを持ってきたプレアデス人(プレアデスを中心に回っている)とシリウスAの宇宙人が、共に取り組み始められたようです。

核兵器は何万何千年も前の昔も、地球で使用されたようです。プレアデス人達は、過去の自分達と直面することになりました。

アンドロメダ人が言うのは、「自由を勝ち取る事」が真に根ざした計画だといいます。もし、彼らが救世主のように地球へやって来て、政府に働きかけをすれば、それは地球人の「自由」が奪われるのと同じことになる。裁くのは自分、自分自身をどれだけ愛を共に出来たか、などを自分自身で審判(死んだ時)。

アンドロメダ人の情報によれば、現在、3種類のETが地球で好ましくないアジェンダに加担しているそうです。

●灰色の肌をしたセンター・レティキュレイからの裏切り者達

●ギザ・インテリジュンス、もともとはプレアデス人

●アルファ・ドラゴンからのレブティリアン

その他にもオリオングループで、ドラコニス達…、彼らは生命体として宇宙で進化を遂げた訳ではない、ここに捨てられた。彼らはどんでもなく頭が切れて、サイキックでもあり、身体能力も半端じゃない、弱者に対して容赦がない。彼らにとっては支配と統制こそがすべて。この宇宙には彼らを叩きのめして一帰できる種族がどこにもいない。

地球人は意識レベルをあげないといけない。先ず、第一にやることは、お互いに戦争し合うのを止める事。お互いに団結して例え何が起ころうとも政治がらみの、すべてのゴミを破棄して、結局、最も大切なのは「私達にあるのは地球人としてのお互いのみだ」ここは私達の惑星であって、私達の家である。そして必要以上の人間が既にこの惑星を汚染している。それは止めなければいけない。それを止めなければ、私達に住む場所はない。

書けば切りがないので、終わりにします。神示だけでは理解ができないかなと思って、少し、転用してみてみました。

先ず、家庭から、この世界で最高の愛は母親の愛です。子供を大切にしてください。<2015.2.10>

57)縦の世界に入るきっかけ、「手を合わせる」事から始めなければ取っ掛かりが掴めません

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P30後半~

<メモの途中からです>

手を繋げる事」、「何故に心の手と手を合わせんのじゃ」と神示フデに書かれていた通り、和合に当たり、今度の大峠を乗り切るに当たり、最初に「手を繋げよう」と言う気持ちを持つ事が、大切なので御座います。

縦の世界に入るきっかけも、その「手を合わせる」事から始めなければ取っ掛かりが掴めません。「縦の世界」とは異次元の事、神様の事でございます。目では見えない世界、目では見えない御存在の方々の事を指します。今度はその「目では見えない」のと手を繋がなければ成就致しません。その為には「目では見えない方々」の御存在を察知・認識出来る肉体へと改めなければ、それ以外の何事も「要らん苦労」となってしまうので御座います。

縦の世界に入るきっかけも、その「手を合わせる」事から始めなければ取っ掛かりが掴めません。「縦の世界」とは異次元の事、神様の事で御座います。目では見えない世界、目では見えない御存在の方々の事を指します。今度はその「目では見えない」のと手を繋げなければ成就致しません。その為には「目では見えない方々」の御存在を察知・認識出来る肉体へと改めなければ、それ以外の何事も「要らん苦労」となってしまうので御座います。今度の苦労は「人組み」の苦労、人(霊人)と組んで全異次元世界を和合に因りリレー統一させられるか否かが、神代を迎える前夜の今日の課題だったので御座います。「霊肉」、「二人で一人」、「上下」とは、皆、目では見えない自分達(神々様)の事と自分自身の事を、云っていたので御座いました。神示フデで正しく心の手を繋ぎあわせましょう。

<引用者からの一言>

私達は、どんな時に、手を合わせているでしょうか?

「お願いをする時」、「感謝をした時」、「お祈りをする時」…、

それとは、ちょっと違いますが、「拍手ハクシュ」はどうでしょうか?

「良い行いをした時」、「上手に出来た時」、「コンサートや会議等の初めと終わり」、「合意を得る時」…、

「挨拶」はどうでしょうか? おじぎ、握手、ハグ…の行為。おはよう、こんにちは、…の言葉かけ。

そこで、私は気付きました。手を合わせる行為は、縦の世界に繋がっています。私達は。見えない世界に向って、自然に手を合わせています。そして、手を合わせる行為(祝詞を唱える時にも)を続けていれば、何となく、自分を、神様が助けてくれているような、そんな安心した気持になって来るのも、不思議な感じです。更に、いろんな場面でも、手を合わせる、つまり、料理をする時にも、食事をするときにも、仕事をする時にも、お金を受け取る時にも、トイレに入る時でさえも、常に手を合わせる癖づけをしていたら、神の愛を、どこからでも、受け取ることができてくるように感じられてきます。手を合わせる行為は神様からの愛を受け取る事ができる行為のようです。しかし、挨拶の行為は、横の繋がりですね。その横のつながりが、現在、崩壊しています。個人主義の時代ですからね。そこで、個人主義の世を建て直すには、横の繋がりを、正そうと、いくら叫んでも、「要らん苦労ばかり」、となってしまいそうです。

縦に繋がる事が大切…、神様に繋がること、神様に繋がって行動を起こすこと。それが、自分の見えない心の神様と和合することのようです。

私達は、過去、2000年間の間、闇に包まれていたようです。2000年間の、闇に支配された世界を建て直すには、縦の神と繋がらなければいけないようなのです。祝詞を、手を合わせて、唱えるのも大事、更に、色んな場面で手を合わせて、御先祖様の、2000年間の苦労に感謝を捧げて、そして、明るい世の中を、一人一人が思い浮かべて、神様にもお願いをして、行動を起こしましょう。光が、神様が、御導きをしてくれています。それが、今の時代であるようです。<2015.2.15>

58)他の本や御経、資料や雑誌・マンガ類と一緒にしては、いけなかったので御座いました。最終的には全異

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P30後半~

メモ:臣民の「⦿」とは、同じ「」でも表記は意味的に「」が一番相応しいことをお告げで教わりました。「」とは「」と云う意味でもあり、でも御座います。憑き神様を「」とも云うのですが、相手様の方がこちらよりも次元が高いので、「」にも成ります。手を繋げる為には双方の間に)を取り払ってしまわねば、会話が出来ません。「」とは一旦切る事を意味するので御座いますが、「手が繋がっていない」から「が途切れて手ん」、つまり「)」と成っていたので御座いました。この途切れていた「」が、「」の左の「テン」、そこから拓ヒラける横への方向に繋がる」が途切れて「手ん」、つまり「)」と成っていたので御座いました。この途切れていた「」が、「」の左の「テン」で、「」がその両手を繋げられると「」から「」に成るので御座いました。「神示フデ」とは神が「」すから「神示フデ」なので御座いますが、次元界のそれぞれのを越えて「手を繋げさせる」様に促すので御座いますから、「付く手」と云う意味で「付手」、又は霊が現れ出ると云う意味で「付手フデ」とも表記出来ます。それで私は、「一二三神示ヒフミフデ」を「」が「付く」「」と言う意味で「火付身神示ヒフミフデ」と表記致しておりました。が付く(憑くにさせる為の、神の示し、又は付く手、これを「火付身神示ヒフミフデ」と云います。ただの「本」とは違って、誠の人の道へと導く、必要な霊人方々を呼び集めさせてお互いに付き合って、最終的には全異次元を繋げさせる為の命の基だったので御座いました。他の本や御経、資料や雑誌・マンガ類と一緒にしては、いけなかったので御座いました。この「火付身神示ヒフミフデ」を使って「天」を「手」に、「人」から「火」に、自らの努力で変えて行きましょう。

メモ:「今の文明無くせん」とは、多くで言われている「現在の文明は壊れないで済む」と言うのでは御座いません。天の火憑くの神様から教わったので御座いますが、「文明」とは、神示フデで手を繋げられた自分達と、その現れの姿の事で御座いました。従って「分盟」と書き示すのが一番適していると云う事で御座いました。穢れている所=穢土は、どうしても火の海と、ちゃんと神示フデに書いてあったので御座いますし、地表自体も一旦は完全に無くなる事になるので御座いますから、現在の我善し社会で作られた万物(文明)が、一つでもそのままの状態で残る訳が御座いませんでした。「今までの事は何一つ用いられん」とも明記・訴えられていたので御座いますから、頭にも腹にもしっかりと個の神示フデを入れておきませんと、誤ってしまいます。

これから社会は詰まって行き、鬼の様に見える強面の異星人達が円盤や母船等で地球に飛来・支配されて、地球人は強制労働させられてしまいます。「獣よりも酷ヒドいやり方」で、彼ら幽界人はガイコクジンは地球人を扱います。そう成る前に身魂を磨いて、天へ上がりましょう。人魚河童等の存在が隠蔽されているのは、の御存在まで知られたく無いからだそうで御座います。

メモ:「日月神示」には、紫金の巻・第五帖に「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れもじゃ」と直訳されています。これ、神様から教わって知った事なので御座いますが、「血」の色とは限らん、と云われたので御座いました。「地」の色(位路)の意味だったそうで御座います。その人の身魂に相応した「地」の位路となるのですから、各々のその時の「御力」の程度の意味だったので御座いました。それで、「御力」を「能力」と云う意味合いを込めて「」と御指示下さって、その「」に相応された状況としての表現を現すのですから、「流れも地じゃ」と言うよりも、「流れ持ちぢゃ」としてくれと、私は云われました。それで「…空は智の色となるぞ、流れ持ちぢゃ」と成ったので御座いました。

<引用者からの一言>

漢字は便利な道具ですが、神示には、役に立ちませんネ。人間が勝手に、平仮名を漢字に訳されて、それは違うと、神様が何度も出て来て、手をこまねいていることが分かりました。しかし、こうも訳し方が違って、色々な意味が含まれていると、頭がこんがらがってきます。むしろ、全部、ひらがなにしてしまえば、スッキリするなと思わないでもありません。

私は、中谷伸一さんが訳された日月神示の御著書を、沢山購入して眺めていましたが、その内容に何となく、違和感がありました。どうも信じられませんでした。素直に受け取れませんでした。このまま、信じてしまっていいものなのか、しかし、今の世の中は、どう考えても、間違っています。そうかもしれないなと思って読んでいました。

今の社会のシステムは、働かないで、お金が入ってくる方向に、みんなが走っています。そのシステムに乗れない方はどんどん貧乏になって行きます。二極化が激しくなっています。その内に、実際に働く人が少なくなって行き、このままでは絶対に世界を崩壊させてしまいます。

身体の労働を疎かにしてしまって、脳だけを働かせる、ゲーム感覚で行う労働は、下の下です。肉体から脳が造られました。原始動物の脳は、皮膚だったのです。皮膚が口であり、目であり、耳であり、鼻であり、その機能が脳に移動しただけなのです。脳も肉体です。脳だけを動かす、ゲーム感覚の仕事だけを毎日の仕事にしていたら、絶対にバランスが悪いです。

コミュニケーションには、二通りあって、一つは言葉、もう一つは皮膚です。皮膚のコミュニケーションは感情を育みます。子育には必須です。大人でも、皮膚と皮膚のコミュニケーションは大切なのです。言葉のコミュニケーションだけでは得られないものが沢山あります。

私は、夫の身体で、リンパマッサージを練習しました。そして、感じた物がありました。それは、「労りイタワリ」の感情です。私が普段感じていた夫の身体は、もっともっと、若いと思っていました。しかし、かなり年老いた身体になっていました。考えて見たら、そうなのです。長年、会社勤め…、停年した夫の身体は、すっかりと、年老いていました。そして、涙が出て来ました。

ある、小学校の、親の手に余る生徒を、ある教師が、ある宿題を出されたそうです。それは、「お母さんの足を洗いなさい」という宿題だったそうです。その子供は、お母さんの足を洗って、反省されたそうです。どうしてかと言うと、お母さんの足がひび割れていて、それを見たら、自分のために、母親が苦労をして、仕事をしてくれている気持ちが伝わって来たということです。

私が子供の頃には、親の肩を揉んだり、背中を洗ったりした記憶がありますが、今の子供にはあるのでしょうか?夫婦の間でさえも、肩を揉み合ったりすることが、少なくなっていると思われます。肌の触れ合いのコミュニケ―ションは、今の時代には特に必要であるように思われます。身体の労りは、言葉からは感じ取る事ができませんからネ。<2015,2.16>

59)「今度の世は、死んだ時の想念のままの世に成る」と申してあろうがな。

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P32

メモ書き知らすぞ:人民の肉体は、人民のの現れそのものであるぞ。人民が病気に成るのは、現れとして成りた部位に相当するの中が、和合しておらんからであるぞ。左手に痛みを負ふは、憑き神を間違ごふて相似ソウジしたから、その現はれで左(火足り)が憑き実らず、繋ごう筈の部位の現はれである手に痛みとして現はれるのぞ。

自分の立場である御役を間違ふと、本来の「性」とは合はん道理じゃから、性器(性基)に現はれとして不具合ゐがくるんぢゃぞ。この道理、判ワカりて下されよ。

この神示フデ(付手)肝ハラに入れると全てが和合し合って、病無くなりて繰る道理、判ワカらんか。運も良く成るぞ。病気しない肉体と成るぞ、怪我しにくく成るぞ。肉体が霊化するのざから、病気怪我、しにくく成る事判ワカらんのか。原爆水爆にも、ビクともせぬ身体と成れるのであるぞ。それだけでは無ひぞ。一生涯、楽の世と成り続くのであるぞ。この期逃すと永遠に後悔ぞ。幽界に落ちてしまうたら、永遠苦労ばかりぞ。地の上にも上がれんのぞ。一生上がれんのぞ。機会全く無くなってしまふぞ。二度と添至様テンシ様にも成れんのであるぞ。楽すら出来ずに限り無く続くのであるぞ。途中で止める訳にもいかんのぞ。「今度の世は、死んだ時の想念のままの世に成る」と申してあろうがな。

『性座の巻』には、第二十四帖(代付と余・智用)は御座らんぞ。「四(余)から親指が現れ出て、五()と成った」と申してあらうが。「余」に基の代の神の を入れるのであるから、 (…)を入れておるのざぞ。「」がであるぞ、ぞ。 三つ続くのぞ。

<引用者からの一言>

ネットの普及に伴って、嘘がバレバレになって、そして真実が、智慧が、個人個人の能力によって、判断できる時代となりした。次は、やはり、行動ですネ。しかし、行動するにも、旧来型の、権力が、まだまだ、壁になっていて、なかなか進めません。しかし、ネットの普及によって、スピードがもの凄く早い勢いで、進んでいるように思われます。

昨日と今日では、世界が様変わりしています。私にも、まさか、まさか、の連続で、ユーチューブやブログを毎日、眺めています。

しかし、嘘は、やはり、続きませんね。「実」に成る事ができずに、腐って、悪臭が漂います。嘘は、宇宙が許してくれません。私達にも、嘘が見えてきました。地球が既にアセンションしたのですから、今度は人間の心です。今の世は、ネットで智の色が流れています。前回の神示の最後の文章の「…空は智の色となるぞ、流れ持ちじゃ」それが、現在であるように思われます。

医療の世界でも、智が見えてきました。今までは、嘘の医療で、国民が苦しめられてきました。嘘の医療は、宇宙が許してくれません。病気の原因は、御自分自身が一番良く知っている筈です。ご自分の行いの結果なのですから、お医者様や他人様に、病気の原因を尋ねても、分かる筈がありません。病気を治すのは、お医者様や他人様に依存しないで、ご自分で治すしかありません。その為には、やはり智慧が必要です。今は、ネットを探せば、どんどん、真実が分かる時代となりました。私のブログでも流していますヨ。「子供の発熱、頭痛」が、毎日100人~200人もアクセスされているので、私自身が驚いています。高血圧の薬の嘘、早すぎる離乳食がアトピーの原因、丹田と迷走神経等、毎日のようにアクセスされています。今の時代の人々は、皆、真実を知りたがっています。旧来の嘘がバレバレに成ってきました。権力で打ち消そうとしても、それが、出来なくなってきました。それが、今の時代のようですネ。今の時代は、権力者ほど、目隠しになっていて、目覚めが遅いですネ。この時代を乗り越えるには、痛い思いをされないと、なかなか、分かりません。分かる迄、痛い思いを、これでもか、これでもか、と宇宙がされているように思われます。しかし、人間は怠惰ですから、目の前の真実から目を背けてしまう方の方がまだまだ多いようです。それが、ゆでガエルの人間です。今、私達は、生まれ変わる時代、アセンションの時代です。産まれてくる時も、死ぬ時も一人です。アセンションも独りのようです。それぞれが、産まれて来る時間が違うと同じ様に、遅い人もあれば、早い人もあるようです。しかし、遅ければ遅いほど、時間が掛かれば掛かる程、難産になるようです。安産に成る為には、早く目覚める必要があるようです。気持ちを、楽にして、自然にして、ご自分の身体を信じて、御自分の身体に身を任せていれば、産みの苦しみから、早く乗り越える事ができます。難産に成るタイプの方は、教師ですネ。頭で物事を考える方、そのような方に難産に多い様に感じられます。それから、不安が多い方です。両親から結婚を祝福されていない方、御主人とうまく行っておられない方、その様な方は、不安、恐れがあるためなのか、痛みに耐えきれないようです。それから、太ももの筋肉質の方です。出口には不要な筋肉は要りませんネ。そのような方が、何となく難産に成ってしまう様に思われます。凄く上手にお産される方は、オペラ歌手でした。腹式発声ができている方です。上手に呼吸をコントロールができていました。取り敢えず、御先祖様から戴いた、御自身の、お身体を信じる事が大切です。そして、今回はアセンションなので、自分の心を信じること、自分の心の魂の声を聞いて、自分と和合する事、自分に嘘を付かないことであると思われます。真実の嘘は、他人に嘘をつく事ではなく、自分の心に嘘をつくことであると云われています。

最近、精神病院に入院されている方々も、世の中の空気を吸わせましょうと、厚労省が動きだされています。それを聞いて、やはり、今の時代は、良い方向に動いて居るんだなと感じられました。課題は沢山あるでしょうが、社会の闇が精神病を作っています。アセンションの時代になったので、それを隠すことが出来ません。どんどん出て来るのでしょう。

私は、アセンションは「死」であると感じています。死の瞬間がアセンションであると思っています。だから次の時代に生まれ変わる時に、闇に放り出されるのか、次元上昇ができるのか、それを決めるのが、今の自分の生き方、次第であると思っています。<2015.2.17>

60)「身魂が磨かれる」とは、「身霊が身我枯れる」「要らん者、灰にする」と云う事で御座いました。

http://hifumifude.digi2.jp/fude/memo.pdf

P30後半~

 

メモ:宇宙は大神様の中に有り、その中に神神様が御生れに成り、成り生りて最後の外側に私達人間が、誕生致しました。従って宇宙も神神様も人間も内臓も細胞も、全て異次元間での同様の特徴が御座います。例えば大神様の魂が太陽系では「太陽」として現れ出ていて、地表では「南極大陸」として現れて、人体の腹の中では「心臓」と現われて、細胞では「核」と成っておりました。神代と成るには「陸(理供)が全て繋がらなければ成就出来ませんから、地表ならば海の水が減らないと陸地が繋がりませんし、腹の中では脂肪を減らさなければ内臓達は付き合いません。「身魂が磨かれる」とは、「身霊が身我枯れる」と云う意味で御座います。「要らん者、灰にする」と云う事で御座いました。それで脂肪も水も減るので御座います。「」とは、「火」を見ずという意味も御座います。

またこの理に因り、自身の内側世界が和合合一される度に、外運も善く成って来る事にも成ります。生活から社会から御家族の環境から改善されたい方々は、先ずこの神示フデで身魂磨きをされるに越した事は御座いません。自分の内側にいらっしゃる自分達と和合して一つに成れる事が、神代へと為せる行いで御座います。

メモ:一旦基の代に戻るにあたり、「赤子の様になれ」と御座います。赤ちゃんは大人と違って霊界とのやり取りが出来て、弥栄火弥栄しています。所がそれが段々と出来なく成る事で、この世に偏重して生きねば生らなくなる事になり、考える様にも成って行くので御座います。この世に偏るが故に歩ける様になり、考える様に成るので御座います。それが「赤子の様に成る」、つまり基の代に戻るには、自分自身の内側と和合出来る毎にこの世の食べ物が食べられなくなり、霊の食べ物を戴く割合いが増加していかなければ生りません。この世に偏重させた分を霊界へ戻す事は、霊界の食べ物まで戴ける状態に成って来る、と言う事で御座います。霊の食べ物は、目からも鼻からも耳からも手からも足からも食べられますから、物理的に口からのみ食べるこの世の食べ物の摂取量は、減っていくので御座います。肉体も霊界へ比重的に移行致しますから、移行させた分だけこの世では痩せて来るので御座います。体力も無くなって行き、赤ちゃんの様に寝たきり状態へと戻って行くので御座います。「肉体は神の衣」とあり、「裸になれ」とは、肉体である衣を一旦脱ぐ事で御座います。要するに和合によって正しく「この世から一旦離れて(死んで)下さい」、と云う事だったので御座いました。「食べる事は死に行く事」とは、この説明に気付かせたかった事の一つだと思います。この世の自身有れから、逃らせてもらいましょう。「あの世」とは「吾の代」の事だそうで御座います。

 

<引用者からの一言>

やはり、「吾の代」は、「あの世」となるのでしょうか? 「この世」は何の為にあるのでしょうか?「この世から一旦は離れて(死んで)下さい」、とは、何を意味するのでしょうか?

私の解釈ですが、「裸になれ」とは、この世に生きている間に、死ぬ前に、裸に成りなさい、ということだと解釈しました。この世の、地球でのしがらみを、全部、捨ててから、死んでください。それを、「この世から一旦は離れて(死んで)下さい」、と言われていると、私は解釈しました。

今生が、地球での最後の身魂磨きであると云われています。過去からの、御先祖様からの衣、全部、脱がなくては、いけないようなのです。過去からの恨み、つらみ、そういうものがあれば、それを全部捨てて、裸になる必要があるようなのです。

この世の悲劇は、愚か者が造ったと云われています。今の世は、愚か者が作ったのです。ですから、脱がなくてはいけません。そうしなければ、あの世(吾の代)が悲劇になります。脱がなければ、宇宙の神様は、私達を招いてはくれないでしょう。私達は、この地球での肉体の汚れを、全部、捨てて、自身有れ?たぶん自身過剰だと思われます。私達のDNAは、優劣がないのです。自身過剰になってはいけないと言う意味であると思われます。

食べ物への固執は餓鬼ですね。我が家は、宅配の食材を購入しているので、毎日、献立を考える必要がありません。もし、私が、毎日の食事を考えていたら、このように、ブログを書いてなど、いられません。食事の事ばかりを考えて、一日が終わってしまいそうです。

日本の主婦達は、毎日の食事を、毎日考えています。日本人ほど、毎日、違うメニューを食べている人種はいないのではないでしょうか?宅配の食事を見ても、毎日、同じメニューが来ません。若し、私が一人生活で有れば、納豆と卵とキムチだけで満足。時々、ラーメンやうどん、パンとケーキも。果物とナッツ。コーヒーとお茶…。食事の事を考えたら、どんどん出て来てしまいました。取り敢えず、そんなに毎日、メニューを変えなくても、シンプルで良い様に思われます。しかし、現在の日本では、食べ物が溢れ過ぎです。

災害に備えて、食べ物を貯えておくならば、米と味噌とお塩があれば、十分であるように思われます。私は、一時、カン詰を貯えていました。しかし、期限が切れたので、食べることにしました。そうしたら、どれも同じ味なのです。食べるのが嫌に成ってしまいました。そこで、今度は、玄米と味噌だけを、ストックしておくことにしました。しかし、霊の食べ物は、目からも鼻からも耳からも手からも足からも食べられる、と言われています。私達の身体は、宇宙エネルギーを莫大に戴いている様なのです。五臓六腑の内臓関係は、自律神経が支配しています。自分の意志で動かすことができません。しかし、呼吸が唯一、自律神経と繋がる方法であるようです。やはり、呼吸が鍵であるように思われます。

磨かれる、と、身我枯れる、は同じ言霊ですね。私の肉体は、まだまだ、神の衣が多いので、餓鬼なのでしょうか?しかし、一生涯で食べきれないほど貯えても意味がありません。何事も、ほどほどで、満足することが大切です。しかし、カビの種類というものは、餌が有る限り、凄い勢いでカビが生えます。どうせなら、悪臭のあるカビではなくて、納豆菌や麹菌、美味しい存在になりたいものです。<2015.2.19>

61)日本人は居なくなって日本人は居なくなっても、日本の正しい伝統文化を広める外国人が現れてくれたら

http://hifumifude.digi2.jp/fude/memo.pdf

P33後半~

メモ:の仁翻神ニホンジンについて…神示フデでは、「を通す事」についていくつか挙げられて居ります。例えば、「顔は⦿の臣民でも、心は幽界ガイコク身魂ぞ」と御座いますし、「顔は変わる」とも示されております。つまり、「を通す者」の特長の一つと致しまして、外見的に「(一般的な)日本人とちょっと違う」と言う印象の顔をされていらっしゃる事が御座います。神示フデでは「⦿」を{ニホン}とも直訳できますから、例えば「日本」に置き換えますと、「顔は日本の臣民でも、心は幽界ガイコク身魂ぞ。顔は外国人でも身魂は日本の臣民あるぞ。」となります。しかも神示フデでは「表面ばかり見ては判らん」、とも示されており、の神人(救世主)は、お顔が日本人離れされたお方の様でも御座います。私の知人で今回のこの神示フデ完成に最大限尽くされた小山清二さんの恩師の聖心先生も、「日本人は居なくなっても、日本の正しい伝統文化を広める外国人が現れてくれたらそれで良い」と言われたそうで御座いますが、かなり近い所まで当たっていると思われます。「一旦基の代に戻る」と御座いますが、例えば一度雷カミナリを落されて帯電した肉体が活動不具合の為に一旦弱められて、身魂が磨かれる毎に帯電(態伝)が復活して来て、触れた電気製品が悉く不具合を起こし始めて使用不能と成ってしまい、一切の電気製品に触れられない生活を過ごさざるを得なくなる事も御座いましょう。つまり、電気製品の無い時代の環境に戻されるので御座います。すると、神示フデにも御座います通り、「生ナマの物食わな成らん事ある」と云う様に、電気製品を使わないで食べ物を戴く様に成って来ます。すると、神人と成っていた縄文人の様に、固い物まで噛み砕いて食べられる、アゴの八達した人に成っていくので御座います。実は、野菜や果物は、加工したりせずに「そのまま戴くのが一番良い」と聞いておりました。火を通す等してしまいますと、栄養素が無くなったり柔らかくなって噛まない」で食べれると言う、デメリットも御座います。自然に出きた物をそのまま戴くから、自然の叡智もそのまま吸収させて戴く事になりますし、神示フデにある「良く噛む」事で、血行促進・脳への刺激・唾液の分泌に因る消毒と殺菌効果で、より健康体と成っていくので御座います。原始の生活に戻るのですが、アゴが発達して来る為に、必然的に現代の日本人の顔と違ってきます。「顔は外国人でも」とは、この事を示されていたのだと私は思いました。神示フデには「基は一つ」と御座います様に、又、「外国も日本も無い」と云う様に、現代の日本人と外国人の二つの特徴を顔面に有したのが、神人と成る努力をされていらっしゃる方で御座いましょう。そして「神国真仲にして」と御座います様に、体質は日本人で、「顔はすぐにでも変わる」、「一旦は基に戻る」、「良く噛む」、「神示フデを生活に取り入れる」事で、心も外見も変わって来る事は、間違い無い事で御座います。「アゴ(吾悟)とは、「吾、悟る」とも解釈できます。日本人よりもアゴが発達している外国人の方が、神示フデでは「先に判りてくる」ので御座いますから、身体の現れと致しまして、アゴの発達が無関係と言う事も無いと思います。

<引用者からの一言>

私は、合気道を習い始めて、一年経ちます。合気道はドイツの国で人気があるようです。ドイツ政府日本文化公演 合気武道2(八光流・合気道)柔道はフランスですネ。最近、私は、おもちゃの“けんだま”を購入しました。“けんだま”も、外国人に人気があるようです。日本の伝統文化が外国にどんどん拡がって、喜ばしいですネ。逆に、野球、サッカー、ゴルフ、フィギアスケート等、外国の伝統文化も、日本に拡がっています。しかし、最近、危惧する事があります。競技場では、醜い事件が頻発…、どうしてそうなってしまうのでしょうか?きっと、そこには、神示で云う「誠」を通していないからなのでしょうね。

「誠」の言葉が私の頭で引っかかったので、辞書で調べてみました。①ほんとうのこと②相手のために、ほんとうにつくそうとする心。反対言葉は「偽り」でした。今の世の中ですね。誠で競技をしている選手が、残酷な事に巻き込まれて、あまりにも可哀そうです。

言霊では、どうでしょうか? 誠 真 実 周 允 信 慎 亮 淳  良 真琴 真人 誠人、パソコンで変換して出てきた字を眺めていましたら、「睦」の字が、私の頭でひっかかりました。

睦月は一月ですネ。そうなのです。昨日は太陽暦では219日ですが、太陰暦では一月一日で、お正月でした。或るブログに書かれていました。2度目のみずがめ座新月。「悪の力が急速に衰えている。悪とは、不自然な力」「呪縛力が消えていく時」と書かれていました。凄い、凄い、やっと、夜が明けました。しかし、物質社会が、具体的するには、人々の意識が変化しなければ、変わらないようなのです。その事も、闇の1%の支配者は御存知なのです。私達の意識が覚めないように、政治やマスコミを操作しているようなのです。アルシオン・プレヤデス25−2:エリートの陰謀と偽 り。外人嫌悪。ヘリウム3のエネルギー、私達は現実を直視しなければ、ゆでガエルになってしまいます。

個人個人の意識の変化が悲惨な現状を変えることができるのです。そうしなければ、具現化、物理的変化が起こりません。テレビやマスコミだけでは、現実の情報が伝わりません、国民に伝えくれません。隠されているのです。ですから、表面ばかり見ていてはいけないのです。世界は悲惨な状態です、日本だって、悲惨な状態なのです、福島の原発の現実、今度はどこなのでしょうか?まだまだ、旧の力が強いです。旧(急)に変わりません。私達の意識の変化が鍵です。

最近、夫は、イカのスルメを食べています。私はガムをかじる方が多いのですが、スルメの方が、唾液がよく出ますネ。健康には、スルメの方が良いように思われます。しかし、キムチも納豆もそうですが、臭いが強いです。それが難問です。しかし、一般に香りの強い物は、健康に良いようです。アロマもハーブもそうですよネ。認知症の人へ、アロマを勧めている研究結果も出始めてもいます。臭いを感じる中枢は、鼻の近い所に存在しているようなので効果が抜群のようです。しかし、アゴも大事ですネ。しかし、もう一つ、皮膚のコミュニケーションも忘れてほしくはありません。皮膚の感覚そのものが、脳ですからネ。私達の身体全体から、電気が走っています。電気が使えない身体になるとしたら、今の生活は不便ですネ。私は旧式の石油ストーブと七輪シチリンを防災グッズとして準備しています。災害現場では、まさに、縄文時代の予行練習をされて居るかの様に感じられます。<2015.2.20>

 

62)今度は善人も改心、悪のみが改心すべきでは御座いませんので、取り違わない様にお願い致します。

http://hifumifude.digi2.jp/fude/memo.pdf

P33後半~

メモ:「縦」とは「異次元」の事、「神様」の事で御座います。今度の大峠を乗り切るには、そう言った「異次元」との交流があって初めて為せられる事で御座います。今までは目で見えるもの全てが判断材料・対象で御座いましたが、「今までの事は一切用いられん」事で御座います。従って「大峠を乗り切る為にどんな苦労や努力をすれば宜しいか」、と申しますと、この「火付身神示ヒフミフデ」を先ず声を出して読み続けられる時間から作り初め、神示フデに書いて有る内容を生活に取り入れて、意識改革まで「火付身神示ヒフミフデ」に記載されている様に心がけて、生活される事で御座います。「肉類禁物」とあるのですから一切の肉食はせず、「恨むことはさらりと捨てる」・「憎むと善でなくなる」とあるのですからどんな目に合わされても決して他人を恨まない様に努力されて、「脇目振ると悪魔身入る」・いつまで色々な物に拘わってゐるのざ」と御座いますから、神示フデ一本やりで他の教えや講演会・書籍類・テレビ・新聞等は、一切見ない・聞かない様にされて、「よく噛み分けてくだされよ」と御座いますから食事中はオシャベリせずによく噛む様に意識されて、日頃から極力自我を出さぬ様に心を配りましょう。今度は善人も改心させなければ生りません。悪のみが改心すべきでは御座いませんので、取り違わない様にお願い致します。改心とは、神神様と一体と生る事で御座います。

<引用者からの一言>

神示フデに書いて有る事を生活に取り入れる…、「肉類禁物」、一切の肉食はせず…、「恨むことはさらりと捨てる」…。

個人個人が、これを、実行するには、今の世の中では、まだまだ、無理があるように思われます。世の中全体の意識改革が必要になります。自分だけやっても、異端者扱いになってしまいます。なにか、宗教にでも入ったのでは、と思われてしまいます。それも困ります。しかし、最近、周りを見ていても、一切、肉類を食べない人が増えて来ました。肉類の出ないレストランに食べに行った事があります。焼き鳥も、唐揚げも、ハンバーグもソーセージやハムも全部、豆で作られているのです。とても美味しかったです。そこで、その材料を買ってきて、我が家でも料理をして見ました。しかし、私の料理では、美味しくありませんでした。しかし、この時に、豆でも十分、肉の変わりが出来ると、思われました。しかし、違和感がありました。この食事は、結局、肉の味に未練が残っている方の食べ物に過ぎないなと感じられて、真のベジタリアンの食べ物ではない様に思われました。やはり、和食の方がおいしいですネ。

現在、家畜の現場、殺傷の現場は悲惨な状態になっているようです。新型インフルエンザの流行の時に、南米の豚の家畜の悲惨な姿が放映されました。やはり、病気は、間違った行為から発症すると思われます。

幼い頃、田舎の実家で、牛や豚や、鶏を飼っていました。牛の目は、人間の目と同じです。嬉しい、悲しいが分かります。或る日、一頭の牛が腸閉塞の病気に罹りました。涙を流して、苦しんでいました。私に向って、助けて、助けて…、と訴えている様に思われました。その目が、今でも、私の瞼にこびり付いています。しかし、すっかり忘れてしまって、焼肉をパクパク食べています。しかし、最近、牛の肉の臭いや味に違和感を感じられる様に成りました。牛乳のような、甘い味、牛乳の臭いも感じられてきました。ハンバーグでも、その臭いが感じられます。牛肉は他の豚肉や鶏肉とは、ちょっと違うなと、違和感が感じられています。これは、きっと、私が、牛との御縁が強いからであるように思われます。それは、私の干支エトが、牛なのです。更に、おうし座なのです。夫の干支は、牛年です。何となく、牛と御縁がありそうです。兎に角、四足動物と、人間とは、DNAも近いし、殺傷は、できたら、止める方が良い様に感じました。

あるブログを見たら、これから、10年、人類は過去のバイアスから抜け出るチャンスであると…、過去のバイアスから自由になるには、過去が云われていた、夢、正義、良い、吉、幸運、幸福の囚われから自由になり、自分を信じて、自分が良いと感じる事、自分が幸福と感じる事を決めることが重要であると言われていました。

今の大企業主や政治家は占いをされているのだそうです。私が、ある、大都市のホテルで食事をした時、そのホテルの裏門に、物凄く大きなお塩の山が、両脇に置かれていました。あんなに大きな盛塩、初めてみました。よほど、神頼みの経営をされているのでしょうね。しかし、我が家の近所にも同じ様な企業があります。自分の敷地に、神社を建てて居られるのです。そう思ったら、今を生きる方は、みんな、自分に自信が持っていないのですね。人間の力の弱さを知っていますね。しかし、それは、自分の人生ではなくなってしまうのではないのでしょうか?それでは、弱い人間は、どうすればよいのでしょうか?それは、自分にお祈りをすれば良いように思われます。自分自身を見つめて、自分の人生を歩くのです・自分に祈って、自分を見つめて、反省しながら、進むのです。それが、瞑想であると思われます。そのようにすれば、他人の神様を信じる必要が無くなります。神頼みをする必要がありません。自分の神様だけをお祈りするのです。

私は、興味があって、幾つかの宗教に見ましたが、殆ど、全て、教祖様が居られるのです。そして、教祖様とおっしゃられるかたは、信者の幸福をお祈りされて居られるようです。毎日、お祈りをされておられるようです。私は、知らない方に、お祈りをしてもらいたくありません。止めました。今は、祝詞を唱えて、自分自身に、御先祖様に、自分の神様に、三回、唱えることにしています。<2015.2.22>

63)誘惑に負けるで無ゐぞ。精神違ふのであるぞ、何故にこの神示に飛びつかんのざ、大峠乗り越へられると

http://hifumifude.digi2.jp/fude/memo.pdf

P34後半~

メモ書き知らすぞ:人民の中に、大石内蔵助オオイシクラノスケの事を申す者がおる。大石が何故に直ぐ仇討ちをせなんだかに付きて、トボけて注意を引く事も有ったのざが、誠に心を一つとして来る者の選別をしていた事も事実でありたぞ。あの者が一番注意を払ふたのが「妻」ぢゃぞ。一番近くに居る者程、一番基憑キツけねば成らんのざぞ。「先づ七人に知らせ」と申してあるが、その始めの七人が大切なのざ。妻が別れたのは、誠で無かりた事、心一つで無かりた事の現れざ。神とて同様に、臣民・人民を試しておるぞ。理屈無しにて様々な悪の誘惑を乗り越へて来た者がぢゃ。「一筋に生きて下され」と申してあろうが。素直に成れ、と申してあらふがな。「を出すな」と云うであろがな。「自分無くさな、神と一体とは成れん」と申してあろうがな。誘惑に負けるで無ゐぞ。精神違ふのであるぞ。自分無くさな生らんぞ。火憑くの神。

臣民色々と申しておるが、「道は一つ」と申してあろうが。「個の神示(付出)腹に入れて下され」と云うてあろが。魂磨き切れば、何もかもお見通して有るぞ。今まで判らなんだ事、総て判りてしもふのぞ。何故にこの神示フデに飛びつかんのざ。「大峠乗り越へられる」と云うてあろがな。万行末代、楽な代ぞ。「身魂鍛へるに、余計な苦労、要らん」と云うてあらうがな。「要らん苦労は要らん」と云うてあろが。もっと素直になりて下されよ。ただ「苦労すれば善ひ」と云う事では御座らんのざそ。要らん苦労は要らんのぞ。

<引用者からの一言>

トボケの漢字は「恍」、ボケは「呆」、パソコンで変換してみましら、面白い事を発見しました。「惚ける」の字が、両方から出てきたのです。とぼける、ぼけるの両方に「惚ける」の漢字がありました。そこで、国語辞典で「惚ける」の意味を調べてみました。「頭の働きがにぶる」と書かれていました。惚け茄子は、ぼんやりした人をののしっていう言葉。

真面目な人程、ボケやすい、認知症に患りやすい、と言われています。恍トボけるは、呆けると同じ様ですが、全く違います。そこが、又、面白いですネ。きっと、まじめ一徹の方は、高年になると、脳が疲労困憊してしまうのかな?。ほどほどが大切、人生を楽しまなければいけないようですね。趣味を持つ事、癒やしが大切であると思われます。

「我を出すな、自分を出すな」、とは、どう言う事でしょうか?神示で、素直になれと言っておきながら、「自分を出すな」と云う。ここも、相反している様に思われます。そこで、火憑くの巻から、引用してみます。『個の余に「自分のもの」と言うものは何一つ無いのであるぞ』と、第一帖の最初に記載されています。この文章を、今まで、目にしていましたが、今、やっと、理解できた感じです。今までは、「この世に自分のものは何一つ無い」と解釈していました。それは、そうではあるけれども、それでは、生きていけない。子供を育てて行く事ができない、豊かな生活を送る事ができない…。何とか宗教グループや財団が、人の財産を身ぐるみはがしているのと同じ様に思われて、どうも、この言葉には抵抗があります。しかし、よ~く読んで見てみたら、「個の余」でした。「この世」ではありませんでした。つまり、「個の余アマり」なのです。「この世」ではなく、個で余った物だったのです。余りは、お布施をしなさい、と受け取りました。やはり、バランスですネ。施してばかりいても、自分が苦しくなるし、欲を出せば、他が苦しみます。現在の世の中は、個人主義社会なので、どんどん、弱者を作って、個で余る物を施せば解決するのですが、何しろ、まだまだ、世の中が成熟していません。「個の余」の意味の分からない人々が多いので御座います。

今の世の中は、誘惑が多いです。人間は本当に馬鹿ですネ。ついつい、人を信用してしまって、甘い言葉等に引っかかってしまって、騙されやすいです、気付いた時に、ジタバタしても、もう遅い。警戒していたとしても、ちょっとした隙間から、上手に入ってきます。家を建てる時に、一番難しいのが、防水であると言われています。雨は、ほんのちょっとした隙間から入って来て、建物を腐らせます。雨が悪いのでしょうか?隙間が悪いのでしょうか?腐らない建物を建てれば、両方、共に解決します。雨でも隙間風でも、両方に強い建物、ダイヤモンドの様に強い人間になるには、いつのことやら…。

殆どの人が、何らかに、引っかかって、泣いています。殺されている方も居られます。平和主義を唱えると、殺されてしまう世の中です。どんどんひどくなるばかり…。縄文時代に戻って、やり直した方が良いかも知れません。

我欲を持たない、天狗になってはいけない、しかし、欲も必要である。自信を持つ事も必要である。これも、相反しています。しかし、バランス感覚。中心感覚を持つ、中心が真、中真を歩く、どうすれば良いのでしょうか?中心の位地を自分で判ればいいのですが、中心の位地を知るには、全体を知って、全体から眺めてみなければ分かりません。自分の立ち位地は、自分では、なかなか、判りません。他人を見て我が身を振り返る、俯瞰する、それしか方法がないように思われます。真は一つ、道は一つ、それが分かるには、この神示をよく読んで、三千世界のことを、よく知る必要がありそうです。次回から「火憑くの巻」の予定です。<2015.2.23>

64)我出したら判らなくなるぞ、仁翻ニのなかに騒動起こるぞ、臣民、「無理」と思ふ事も無理で無い事、沢

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第一帖(一七四)

付治フジは張れたり、仁翻ニホン張れ。⦿の巻書き知らすぞ。

に「自分のもの」と言ふものは何一つ無いのであるぞ。早う「自分」からお返しした者から楽に成るのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度に成ってゐるのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯幽界ガイコクの洗濯世界 引っ繰るめた洗濯と一度に成ってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用、務めて呉れよ。「これからが愈々ヒヨヒヨの「正念場ショウネンバ」と申してあろがな。今はまだまだハジメの幕で、先繰りで出て来るのざぞ。

出したら判らなくなるぞ。添至様、拝オガめよ。添支様、祀マツり繰れよ。臣民、「無理」と思ふ事も無理で無い事、沢山有るのざぞ。仁翻ニホンのなかに騒動起こるぞ。神の臣民、基憑けて繰れよ。仁翻ニホンもに分かれているのざから、否でも応でも騒動と成るのざぞ、小さくしたいなれど… 旧九月一日、ひつ九クのか三ミ。

<引用者からの一言>

『臣民「無理」と思う事も無理で無い事、沢山有るのざぞ」』の言葉を、私は、常に心がけています。つまり、私には無理、と思っていた事が、やってみたら、うまく行く場合が多いように思われるからです。しかし、我を出せば、大きく失敗してしまいます。そこが、難しいです…。

自分の経験談をお話させて戴きますと、先ず、私は二人の姉が居ます。私は幼い頃から、食べる事、お手伝いする事、お話も、全てが遅い方で、下手であると思っていました。然し、それは、洗脳でしたネ、親から受けた、洗脳がそうさせています。親から受けた洗脳は、幼い頃、成長しても、付きまといます。しかし、自分の努力と共に外れて行きます。そして、本当の自分に目覚めて行きます。そうしなければいけない様に思われます。

私は、幼い頃から、自分に自信を持つ事が出来ず、背も小さいし、目立つ存在では有りませんでした。小学校に行き始めた頃、始めは成績が良かったので、目立ってしまいました。そこで、私は目立つのが苦痛だったので、あまり、勉強しませんでした。その内に、勉強がきらいになってしまいました。

私は、仕事がのろい人間であると先脳されていました。しかし、就職して、仕事をしていたら、親の言う程、自分は仕事がのろいとは感じられませんでした。しかし、相変わらず、自分に自信がありませんので、無口でした。人とお話するのが、好きな方ではありませんせんでした。

そして、結婚して、出産、三人の子育を、仕事をしながら、38年間、勤めることが出来ました。しかし、普通の女性は、結婚した時に、仕事を止めてしまいます、止めなかった女性は、妊娠してから止めます。次は、子育てで止めます。私は、馬鹿なので、子供が病気しても、子供がノイローゼに掛かっても、余り、悲観しないで、なんとかなると思っていました。そして、仕事の苦労も、苦労とも考えないでは有りませんが、何度も止めたい、止めたいと思いなからも、頑張ればやれる。私に出来ない仕事は、天が与えていない筈である、などと勝手に思いながら、働いていました。しかし、定年の最後の一年前の事で、頑張れば頑張るほど、悪くなるばかり…、そこで、これは、天が止なさいと、言っているのだと、自分で勝手に解釈して、潔く、辞表を提出しました。今の世の中は、職場も、世間も、どうなってしまったのでしょうか?変な圧力を感じられます。逆らう事ができません。

趣味の世界でも、それが感じられます。私がやっている合気道でもそうです。私はおしゃべりの方なので、上段位の方から、言葉を慎みなさいと言われています。更に、その様な眼差しを数人から受けています。私は、合気道は好きですけれども、「業は豪に従え」なのでしょうネ。まだまだ、一年生ですので、先輩に逆らえません。しかし、それならば、業の無い人はどうなるのでしょうか? 今の世の中では、肉体を持ちながら、既にアセンションされておられる方が居られると聞きます。しかし、アセンションしたとしても、肉体がある限り、肉体の鍛錬は必要です。この諺は、業の無い方には通用しないのではないのでしょうか?小学生の子供達の合気道の練習風景を眺めていましたら、その様に感じられて来ました。子供達は業がまだ少ないです。子供達の練習風景は楽しくて、先生もあまりうるさく言わずに、自由にやっておられるように思われました。

私が、リンパマッサージは、自分では開業などできないと思っていましたが。しかし、やってみたら、なんとか出来ています。グッドタイミングで、私にアドバイスをする方が、現れてくれます。しかし、その方達は、勝手には出て呉れません。私が、足を運んで、そして、失敗して、更に自分が不愉快と感じて、更に、閃きがなければ、出て来てくれません。そこが、難しいところです。

乳幼児のリンパマッサージを許庁に出す時にも、そうでした。ある方から、一緒にやりませんか?と、お誘いがかかったのですが、乳幼児のリンパマッサージは、巷に溢れて居り、助産師であれば、許されると思っていましたが、その方は、商標を取らなければ、公にホームページに掲載ができないと言われました。そこで、自分には無理だと思う心に鞭打って、挑戦してみることに決めました。特許庁におそるおそる、出かけて、受付で説明を聞き、そして、アドバイスを受けて、自宅に帰ってから、ネットで出願しました。やってみたら、不思議にスーッと、一発でOKが出ました。

公民館活動でもそうです。人材バンクに登録して、大学の名誉博士も入っている会員とも一緒になって、活動をしていましたら、数か所から、御声が掛かって来るようになりました。

一歩一歩ですが、行動しなければ生み出すことが出来ません。それが、この年齢になって、初めて実感しました。しかし、既に自営業で、御商売をされて居られる方は、みんなそうしています。私は、公務員だったので、それに気付かなかっただけでした。公務員ほど、世間知らずですネ。これから、社会は不安定に成るようです。自分の真の能力が試される時代です。自分では無理と思わないで、先ず、やってみる事が大切である様に思われます。我を出さなければ、天が助けて呉れることを信じて、勇気を出しましょう。その様な時代でもあるように思われます。余分な物をお持ちの方は早く手離しましょう。<2015.2.27>

65)巳民等ミタミラよ、今、一苦労、二苦労、トコトン苦しき事あれど堪え忍びて、

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第二帖(一七五)

三千年三千世界乱れ足る、穢れ身に置いて、個の代の裏に隠れしまま、個の代構ひし大神の、命ミコトかしこみ個の度タビの、岩戸拓ヒラきの悟用ゴヨウする。身魂はいずれも生き変はり死に変はりして練りに練り鍛キタへに鍛キタへし神国の、の身魂、天駆アマカける、地駆クニカけります基モトの種、昔の基モトの御種オンタネぞ。今落ちぶれてゐるとても、やがては神の三民ミタミとし、天地駈アメツチカけり、神国の、救ひの神と現れる。説トき近付きぬ巳民等ミタミラよ、今、一苦労、二苦労、トコトン苦しき事有れど、堪へ忍びてぞ継ツぎの代の、誠神代の礎イシズエと、磨ミガきて繰クれよ、神身魂カミミタマ。火弥栄ヒヤサカ、憑ツきに栄サカえなむ、身魂、幸生サチハえ増マし勝マサさむ。ひつ九クのか三ミ。

第三帖(一七六)

の神示フデ声立てて読みて下され」と申してあろがな。臣民ばかりに聞かすので無いぞ。守護神殿神々神様にも聞かすのぞ。声出して読みてサえおれば良く成るのざぞ。

「じゃ」と申して仕事休むでないぞ。仕事はであるから、務め務めた上にも精出して呉れよ。それがであるぞ。滝(多気)に打たれ、断食(断治気)する用な行は幽界ガイコクの行ぞ。神の国の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光、息して、神国から生れる食べ物戴きて、神国の御仕事してゐる臣民には、行は要らぬのざぞ。の事、良く心得よ。十月十九日、一二⦿ヒツク。

第四帖(一七七)

イクサ済みても後の紛糾フンキュウ、中々に済まんぞ。人民、愈々ヒヨヒヨに苦しくなるぞ。三四五ミヨイズの仕組み出来ないで、一二三ヒフミの御用は止ヤめられんぞ。の神示フデ、読んで三四五ミヨイズの代ヨの仕組み、良く腹の中に入れておいて、上の霊人ヒトに知らしてやりて下されよ。「三四五ミヨイズ」とは添様の三出ミイづ、出イず事ぞ。十月二十日、ひつ九クか三ミ。

<引用者からの一言>

私達の地球の三千年間は、乱れに乱れた世界であったと、その、三千年間の間で、身に憑いた、罪や穢れ、それを取り祓う仕事が、一二三のお仕事であったようです。先ず、一二三の御用を勤め上げなければ、三四五の添支様が出ず、になる。もう一苦労、二苦労、トコトン苦しい時を堪えなければいけないようですね。

富士山登山をした時の経験で言うと、もう少しの所が、一番苦しかったです。つまり、八合目、九合目からが、必死になります。杖(手)も使って、急げば、疲れるし、休めば前に進みません。一歩、一歩、自分の体力と相談しながら、足を運びました。その段階では、雑念等ありませんでした。前に進む事しか考えませんでした。しかし、雑念が湧き出て、もう駄目、と思ったら、お終いになります。リーダーが声をかけて呉れました。今回は天候が悪いので、ここで終わりにしましょうか?…と。しかし、私は一度目も天候が悪く、断念した経験があったので、今回は何としても頂上迄、辿りつきたい想いがありましたので、頑張る事にしました。そして、前に歩いて居る人から離れない様に、無心で歩きました。そうこうしている内に、ぽっかりと、目の前に、頂上のお社が見えました。一瞬の出来事でした。ここが頂上?登ってしまったら、あっという間の出来事のように感じられました。一番苦しい所が、自分の身体との対話でした。自分自身に、頑張れ、頑張れと励ましながら、大丈夫、大丈夫と、声をかけていました。他の雑念は考えていませんでした。自分を励ます言葉掛けだけでした。自分の身体しか頼りに成りませんからネ。しかし、私のザックを背負って呉れた若い男性がいてくれたお陰なのですが…。

一二三の意味、三四五の意味、添様と添様と添様の違い…。理解に苦しみます。

一二三は以前に書いたかな? 自分のブログを遡ってみました。

一は始め、二は二極性、三は促進、四は骨組、全部足して九、九で完了と。五~八は不要?

あまり、深く考えない事にします。前回書いた「豪に従え」も、間違いだったようです。「郷に従え」で有った様です。しかし、今迄、三千年間の世界は、乱れの世界であったので、郷に従って、郷の秩序を乱さない様にしなければならなかったと思われますが、しかし、これからの世界は、外の世界も知って、真ん中を歩く時代であるように思われます。国(郷)だけを良くしようとしても、争いが起こります。

或るブログに、うお座の世界は幻想の世界、ピーク時には多くの人が騙され、幻想を真実と思い込み、幻想に身をゆだねて、と書かれていました。テレビや新聞の言う事が真実だと思い込み…、現実にそう成っていますネ。

次の時代は、みずがめ座時代でキーワードは「我知れり」なのだそうです。

それでは、うお座以前は、おひつじざ時代で、戦いの時代、鉄の武器による力の世界であったと、

その前はおうし座時代、青銅の時代で、戦いよりも平和で女性の地位の高い時代、豊穣がそのシンボルであったと、

兎に角、今、嘘がバレバレになっています。もう一苦労です。「我知れり」の時代を目指して、御自分のお身体を御自愛ください。

 <2015.2.28>

66)「今の計在は悪の計在」と申してあるがな。もの殺すのぞ。今の性治セイジは物壊す性治ぞ。「神の性

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第六卷 火憑くの巻

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第五帖(一七八)

神の国には神も人も無いのざぞ。も無いのざぞ。神は人であるぞ。である、である、である、であるぞ。である、である、動物であるぞ。為す事皆、忠となり考と流れるのぞも無くも無いのぞ。神心あるのみぞ。やがては降らん雨霰アメアラレ、役引基憑けて繰れよ。神の用意は出来てゐるのざぞ、何言からでも早う始めて呉れよ。神の心に叶ふものはドシドシと埒明ラチアくぞ。十月二十一日、一二ヒツク⦿

第六帖(一七九)

天地の説き、吾芽三仲主アメミカナヌシの実言ミコト、「あ」の「吾」に成りましき。高天原に巳言ミコトと成り給ひき。

「今の計在は悪の計在」と申してあるがな。もの殺すのぞ。神の国の計在は、もの生む計在ぞ。今の性治セイジは物壊す性治ぞ。「神の性治は与える性治」と申してあろが。配給は配給、統制は統制ぞ。「一度は何もかも添智に引き上げ」と申してあるが、継ぎの代の他根タネだけは二ツチに埋めておかねば成らんのざぞ。それが神がくどう申してゐるのぞ。他根落ちぶれてゐなさる加他で守られてゐるぞ。「上下に引っ繰り返る」と申してある事、近付いて来たぞ。種(他根)は百姓に与へて(吾他経アタエて)あるぞ。種蒔くのは百姓ぞ。十月の二十二日、ひつ九か三。

<引用者からの一言>

「死も無く、生もなく」と言う言葉から、「今」が連想されます。更に「始めも終わりも無い」と言う言葉もあります。「今が始まりであり、終わりでもある」。バシャールが、「今、今、今…、」を連発されています。「今」を生きる事であると、しかし、「今」は流れて行きます。

神心に沿った生き方、100年前に人間が気付いていれば、と後悔しますが、後悔からも何も生れて来ません。今が大事なのです。しかし、今更、我々が気付いて、反省したとしても、きっと、これからの波乱な時代には、雨霰から逃れることはできないと思われます。雨霰が間近に、迫って来て居ます。それでは、どうしましょうか。しかし、雨霰は、その内に、流れて、去って行きますので、その間だけでも、私達が身を守ることができれば、持ちこたえることができれば、良いのです。その為には、防災であり、水食糧を蓄える事であると思われます。しかし、それだけではありませんと、火憑くの神様はおっしゃられております。ご自分の役を引き受けて、基に神心を憑ける、と言っておられます。

神様の世界、私は想像したことは有りませんが、神も仏も、人間も、動物も植物も、山も川も、風も、細菌も、ウイルスも、みんな人、つまり、エネルギーのようです。皆、同じエネルギーの基なのです。

私達は「今」、何をするかが大事なのです。「あとで」では過去の世界へと流されて行きます。未来に進む事ができません。生も死もないのですから、今の心がポイントです。

天の火憑くの神様は、世の中は、「忠となり考と流れる」とおっしゃっています。「忠」の意味を、国語辞典で引いてみました。「正直で、かげひなたのないこと」と、記載されていました。その考えこそが、これから、私達の世界の流れて行く方向であると思われます。

しかし、今迄は『「今の計在は悪の計在」もの殺す』。の世界であったのですから、精神疾患、うつ病、ニート、認知症、病気、アレルギー、殺傷、テロ、破壊、今だけ金だけ気狂い、浮浪者等々…、どんどんと溢れ返っています。この流れを止めなくてはいけません。その流れの基のエネルギーが、今、途絶える時であると、流れ去って行きます。どのように、途絶えるのか、流れて行くのか、雨霰は避けられないのでしょう。しかし、防災することが出来ます。雨霰から免れることができます。しかし、それだけではない様に思われます。「忠実な生活」こそが、キーワードであると思われます。

面白いですネ、世間の成功者と思われる方をみてみますと、幼少時に両親が貧乏な生活の中から、育て上げたお子様が多いように思われます。三代続いた金持ちの御両親からではありません。

「他根は落ちぶれてゐなさる加他で守られてゐるぞ」と。そうですね。

今、落ちぶれている方、子育てをしっかりとされてください。その子供こそが、私達の未来の種なのですから…。
<2015.3.2> 

67)上に立つ番頭バントウ殿、芽メ拓いて下されよ、間に合はん事出来ても神はもう知らんぞ。神、急ける

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第七帖(一八〇)

継ツぎ、神タカミ結びぞ。神結び実言ミコトと成り給いき。固コの三柱ミハシラ「ス」に成り益マして、澄み切り給いき。

ゴ拓ヒラくぞ。神説カミトく世結ヨムスぶ。名は拓ヒラく、腰結コシムスぶ。御身越ミミコシし成る、苦ク成ナるヒャクぞ。そこざぞ。一二三ヒフミ、身出ミイづ、説トく成るナ世ヨ。火結ヒムスぶ名ナ、火様極ヒサマキワむ為ナし、透スく世も引く。名ナ、黄泉極ヨミキワむミぞ。ヒぞ。憑く代。火憑く⦿

第八帖(一八一)

継ぎ、ウ益マし吾支加備火個智アシカビヒコシヂの神、実言ミコトと成り生なって現れ出イで給タマいき。

瓜ウリの蔓ツルに茄子ナスならすで無いぞ。「茄子には茄子」と申してあろがな。味噌も糞も一つにするで無いぞ。皆がそれぞれに息する道有ろがな。野実よ、森見よ、神の計在ケイザイ良く見よ。神の性治セイジ良く見て、誠の性治セイジ、仕ツカえて繰れよ。「全てに祀マツろう事」と申してあろがな。上に立つ番頭バントウ殿、芽メ拓いて下されよ。間に合はん事出来ても神はもう知らんぞ神、急けるぞ。役引も気配れよ。旧九月八火、ひつ九のか三。

 

<引用者からの一言>

「太神様結び」とは? 太い神? 太いパイプの神様と継ながることかな~。 それが、「太神様結びタカミムスビ」と解釈することにしました。

「固の三柱」とは何かな~? 固まっている三つの柱とは? 「黄泉」の言葉を国語辞典では「死んだ人の魂が行くところ」と書かれていましたので、身と魂と霊の三つ、それが固の三柱」、その三つが澄みきれば、「五が拓くぞ」と解釈することにしました。

五が拓かれた暁には、神が説く世に迎えられということです。神の説く世に迎え入れてもらえれば、「名は拓き、腰が結び、御身越し成る、九、百ぞ」と。そして、地球は宇宙の一因として、迎え入れられます。その為には、今を乗り越えることが大事なのです。それができなければ、「神はもう知らんぞ」と云われております。地球の神様ではもうお手上げ、ということですネ。宇宙の創造主様は、地球は不要と判断してしまいます。そして、地球を抹消させることでしょうね。

今回は4度目の試練であると言われています。地球上では過去も同じ事が三回あったようなのです。いずれも、失敗されたようです。今回の危機を乗り越えることができなければ、地球を御創りに成られた神様は、さぞかし、嘆く事になるでしょうね。そうなって欲しくないから、地球を御創りになられた神様は、人間世界に、詳しく、詳しく、神示を私達に、発信されているのだと思われます。しかし、人間は、馬鹿だから、間違って解釈してしまっているようです。でも、バシャールも含めて、今、地球と御縁の深い宇宙人達が、地球人の目覚めを、助けて呉れているようにも思われます。私も、ユーチューブで、かなり刺激を受けている人間の一人です。

科学、サイエンスの発達と意識レベルの発達は、全く別物である様ですネ。むしろ、科学が進歩したがために、私達の意識レベルの目覚めが、遅くなっているようです。

科学の発達と意識レベルの発達は、全く相反するようです。

茄子は茄子の実をつけなければなりません。味噌は糞ではありません。

自然の御恵みに感謝して、野や森の神様が御創りに成られた計在、人間の頭で作った貨幣の経済ではなく、神様の御創りに成られた計在…、そういえば、昔の日本のお金は、米俵が基準であったと、あるブログに書かれていました。つまり、人間が一年間で食べるお米が基準です。そうですよネ。金ではなく、食べ物。生きて行く為には食べ物が必要です。ですから、神様の計在の方が誠の経済ですね。お米を、玄米を、防災には、余分に備えておいた方が良さそうです。<2015.3.3>

 

68)戦はこれから。言且コトカつ用化ヨウカ、永遠仁智トハニチはいくらでも有る、猫に気つけよ、犬来るぞ

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第九帖(一八二)

何事も持ちつ持たれつであるぞ。「神ばかりでは成らず、人ばかりでは成らず」と申してあろが。「善一筋の代」と申しても、今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世では無いぞ。悪出ない悪吾名生いてゐるのざぞ。固のお道吾名生いの道ぞ。上ばかり良い道でも下ばかり良い道でも無いのざぞ。「祀り」とは「祀はる」事で、「祀り合はす」とは、草は草として、木は木として、それぞれの祀り憑理)合わせぞ。草も木も同じ祀り合わせでは無いのざぞ。十月の二十六日、ひつ九か三)

第十帖(一八三)

継ぎ、吾芽アメの途個経トコタちの実言ミコト、継ぎ、供仁クニの途個経トコタチちの実言ミコト、継ぎ、途代供母野トコクモヌの実言ミコト、成り生りて、現アれ出イて給タマい、実言ミコト、澄み切り給ひき。

「加の途執トトりの火と途支トシは怖コワい火で、良き火」と申してあろがな。「九月八日は結構な日ざ」と申して知らしてありた事、少しは判ワカりたか。何事も神示フデ通りになりて、先繰セングりに出て来るぞ。遅し早しは有るのざぞ。個の度タビは幕の一ハジメぞ。仁翻ニホンの臣民、「これで戦イクサ済む」様に申してゐるが、戦イクサはこれからぞ言且コトカつ用化ヨウカ、永遠仁智トハニチはいくらでも有るのざぞ。実且ミカつ身火ミカ、悟活ゴカツ出イづ火カは良き火ぞ。恐ろしい火ざぞ。今は型カタであるぞ。早う皆神すれば、形割カタチサくて済スむなれど、掃除大きくなるぞ。に気つけよ、来るぞ。臣民の掃除遅れると、段々大きくなるのざぞ。神が表に出て御働きなされてゐる事、今度は良く分かりたであろがな。

⦿と神との戦である」と申してあろがな。戦の真似であるぞ。神が愈々となりてビックリ箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かす事出来んのざぞ。譬タトへでは無いのざぞ。くどう基憑キツけておくぞ。これからが愈々の戦となるのぞ。徹方テッポウの戦ばかりで無いぞ。その火その火の戦、烈しくなるぞ。褌フンドシ締め繰れよ。十月二十五日、ひつ九のか三。

第十一帖(一八四)

学ガクも神力ぞ。神ざぞ。「学ガクが人間の智恵」と思うてゐると、とんでも無い事になるぞ。貫神カンジンの真ん仲、動いては成らんのざぞ。神国の性治セイジは霊タマの祀マツり毎ゴトぞ。苦し行が喜んで出来る用に成りたら神の仕組み、分かり掛けるぞ。「何事も喜んで致して呉れ」と申してあろがな。臣民の頭では見当取れん無茶な世になる時、来たのざぞ。それを闇の世」よと申すのぞ。「神は  臣民は○。幽国は○。神の国は 」と申してあろが。神国から見れば回り皆幽国ガイコク、幽国ガイコクから見れば、神国、真ん仲。人の真ん中には神あろうがな。

悪神の仕組みは個の方には判りてゐるから、一度に潰す事は易いなれど、それでは添テンの大神様にすまんなり。悪殺してしまふのでは無く、悪皆神カイシンさして五六七イムナの嬉し嬉しの代にするのが神の願ひざから、個個の道理忘れるで無いぞ。今の臣民いくら立派な口きいても文字並べても、誠が無いから力無いぞ。黙ってゐても力ある人、愈々代に出る時近付いたぞ。力は神から流れ来るのぞ。磨けた人から神が移って、今度の二度と無い世界の代直しの手柄、経てさすぞ。身魂磨きが何より大切ぞ。十月の二十七日 ひつ九のか三。

<引用者からのひと言>

私は退職の数年頃前から、変だよネ、おかしいよね、と、自分で感じていた事が、どんどん、真実であることに、気付き始めました。やはり、そうだよね、私の感じていた事の方が正しかったよネ、と、確信を持つことができるようになりました。自分が感じていた事が、かなりの確率で、的に当たっていることが多くなりました。周囲の方がおかしいのです。そういう事がハッキリと自覚ができる様になりました。今迄、薄々、感じていた事なのですが、もっともっと、自分に自信を持って良いのだと判ってきました。周りに振り回されて、従順に、頑張ってやっていた事が、間違いであったことに気付きました。

そこで、もっと、もっと、自分に自信を持つことトしました。しかし、それは、自分の経験の積み重ねの結果だと思います。しかし、自分の考えに間違いがなかったのですから、そこで、このように、ホームページを作って、厚労省のブログを拝借し、一二三神示を引用し、自分でも、大胆だな~、とも、思いながらも、自分に自信を持って書かせていただいております。今までの自分で有れば、こんなに大胆な事は出来ませんでした。しかし、約2年間、ブログを書いて居ますが、一冊の本を除いて、未だ、クレームが有りませんので、自信をもって、書かせて戴いて居ります。しかし、何となく、書いて居る内容が、今の時代にシンクロして来ているようにも思われています。

怖い火と良き火、九月八日は怖い日、良き火でもあると、九月八日~十ニ日だけではなく、いくらでもある。永遠仁智トハニチ、十ニ日?が気になります。三月三日、五月五日は良いのか、恐ろしいのか?猫に気を付けよ、犬来る…。これから、愈々の戦…、烈しく成る。早う皆心を…と。

⦿と神との戦』?人間と人間との戦いではないのかな~?臣民はポカンと口を開けて、手も足も出ない…。褌を締めていれば良いのかな~。

今、世界は波乱の時代に入る事は、誰の目からも、明らかになってきました。しかし、まだ、気付いていない方が80%は居るとも、気付いていてもどうしようもない人が多い様に思われますが…、流されないためには、「貫神の真ん仲、動いては成らんのざぞ」の言葉を噛み締めて、褌締めて、おきましょう。
<2015.3.4> 

69)基憑キツけよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ、化けて入って神の国をワヤにしてゐるぞ、己の心も同様ぞ

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第六卷 火憑くの巻

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第十二帖(一八五)

三柱、五柱、七柱、言吾真憑神コトアマツカミ、継ぎ、宇火治仁ウヒジニ、継ぎ、位母素火治仁イモスヒジニ、継ぎ、憑野供火ツヌグヒ、継ぎ、位母活く供火イモイクグヒ、継ぎ、大途の治オオトノジ、継ぎ、位母大途の辺イモオオトノベ、継ぎ、緒母太留オモタル、継ぎ、位母吾治加支個根イモアヤカシコネ、実言と現れ成り、活き生きて息給ひき。継ぎ、位座七気イザナギの神位座七身イザナミの神、現れ出て増しましき。

 吾支母途アシモトに基憑キツけよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。入れん所へ悪が化バけて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ。己の心も同様ぞ。百人・千人・万人の人が「善い」と申しても、悪い事あるぞ。一人の人言っても、神の心に添ソふ事あるぞ。添支テンシ様、拝めよ。添支様、拝めば巳光ミヒカリ、出るぞ。なにもかもそこから生れるのざぞ。お土、拝めよ。お土から何もかも生まれるのぞ。人、拝めよ。上に経つ霊人ヒト、拝めよ。「草木(供査基)も神」と申してあろがな。「穢土エドに攻め寄せる」と申してあろがな。「付治フジ目指して攻め来る」と知らして有る事、近付いたぞ。今までの事は皆、型で有りたぞ。穢土エドの仕組みもお治真ヤマも加火カヒの仕組みも皆、型ぞ。成る途と火生みの仕組みも、型(加他)出して繰れよ。終わりの仕組みも、型早う出して呉れよ。型済んだら、愈々末代続く誠の代直しの御用にかからすぞ。十月二十八日、ひつ九のか三。

<引用者からのひと言>

弱い人間にとって、いつの時代であっても、権力者に逆らえば、痛い目に合わされます。弱い人間にできることは、神頼みばかりです。神頼みは、心が落ちついてきますが、この世で成功するには、拝む事よりも、行動が主であると思われます。神頼みは従であるように思われます。しかし、これからの時代は逆転?

今迄、権力者であったと思われていた方々の穢ケガれの地盤が崩れてきています。この力は、私達のお祈りの力なのでしょうか?

 

人間の祈りは、大地に、地球に、植物に、影響する様ですネ。人間の意識は光よりも高次元の存在であるようです。私達の意識の波動は、高次元と繋がっているようです。

波動エネルギーにおける生命の可能性 新家 龍著http://www.kumagai-mitsue.jp/cont12/86.html

私のホームページ、このページの三番目に、引用しています。御興味があれば、御参照されてください。

国民健康保険都道府県移行、電源分離も閣議決定されました。着実に新しい時代が始まっているように感じられます。
<2015.3.5> 

70)身魂相当が一番良いのざぞ、心使ふなよ。心は配れよ。取り越し苦労するなよ。心配りはせな成らんぞ、

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第十三帖(一八六)

人心ヒトココロで急ぐで無いぞ。「わ」が出て来るとしくじるから、「わ」と判らん和あるから、今度はしくじる事できんから、「個固」と云う時には神が力付けるから、急ぐで無いぞ。身魂磨き、第一ぞ。陰の御用表の御用あるなれど、いずれも結構な御用ざぞ。身魂相当が一番良いのざぞ。今に判りて来るから慌てるでないぞ。今迄の神示すよく読んで呉れたら判るのざぞ。それで「腹で読め読め」とくどう申してゐるのぞ。供ひ物クイモノ基憑けよ。十月二十八日、ひつ九のか三

第十四帖(一八七)

代の基からの仕組みであるから、臣民に手柄経テガラタてさして上下揃った光の代にするのざから、「臣民見当取れんから、早、掃除して呉れ」と申してあるのぞ。国中いたる所、花火仕掛けてあるのぞ。人間の心の中にも花火が仕掛けて有るぞ。いつその花火が破裂するか、分からんであろがな。掃除すれば何もかも見通しざぞ。花火、破裂する時近付いて来たぞ。動く事出来ん様になるのぞ。「蝋燭ロウソクの火、明るい」と思ふてゐるが、五六七イムナの代の明るさは分からんであろがな。十月三十一日、ひつ九か三。

第十五帖(一八八)

目覚めたらその日の生命イノチお預かりした事を神に感謝し、その生命イノチを神の巳心ミココロのままに火弥栄ヒヤサカに仕え祀マツる事に祈れよ。神はその日その時に何をすべきかにつきて教へるぞ。

明日の事に心使ふなよ心は配れよ取り越し苦労するなよ心配りはせな成らんぞ。何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体となり切れよ。何もかも捨て切らねば成らんぞ。添智皆、神のものぞ。添智皆、己のものぞ。取り違ひ致して暮れるなよ。いくらしてゐても添悟供ぞ。「添悟供」とは神国ぞ。神国の民となれば戦も有り難いぞ。活きの生命、いつも光輝いてゐるぞ。「神に祀ろうて繰れ」と申してあろが。「天地皆に祀ろうて繰れ」と申してあろがな。個個の道理、良く判りたであろが。何も云ふ事ないぞ。神、讃える言が九十ぞ。天地、讃へる言が九十ぞ。「草木の心になれ」と申してあろがな。神風もあるぞ。地獄の風もあるぞ。迷ふでないぞ。上の申す九十であるぞ。言に生きてくれよ。言に祀ろへよ。十一月の一日、ひつ九か三。

<引用者からの一言>

「供い物基憑けよ」、と…。神様の御言葉には、裏からも表からも、色々な方向からの解釈がありますので、難しいです。先ず、物質面でみれば、「肉食べるな、獣を食べるな」だと思われます。心の面では、「今だけ、金だけ、自分だけ」の心であると思われます。もう一つが、「神様の選択」です。神社や宗教選び?ではなく、自分の魂と御縁の深い神様を選択することであるように思われます。自分が信じる神様を洗濯。先ず、自分の心を掃除して、それから、神様を一つ選択、それか、太いパイプを繋げる、それから、神の肉体の成り切ることであると思われます。もし、それ以外の神様が寄って来たならば、その誘いを丁寧に断って、乗らないようにしなければならない、と云うことであると思われます。

私の友達で、60歳位の未婚の女性がいます。私と性格が全く、真逆です。つまり、一つの事が長続きしないのです。その方は、二年以上、同じ仕事は続いた事が無いそうです。しかし、しっかりと大学も卒業されて、国家資格もあります。しかし、仕事は殆どされていないようです。たまたま、ヨガで知り合ったのですが、色々な仕事を転々としているので、色々な事を知っています。私と一緒のヨガも、二年間ほどで止められ、今は、太極拳とかボイスとか、朗読、盆栽、色々と変えています。一度、お習字に誘ったことがあるのですが、道具を揃えて、3回で止めてしまいました。

どうしてそうなるのかな?と、じっくりと考えてみました。その方に、御兄さんがいらっしゃいますが、同じ様に仕事を持っていません。御両親も、仕事をされていなかったようです。つまり、幼少時から、親が仕事をしている姿を、見ていないのです。つまり、資産家だからなのです。働かなくてもお金が入って来ます。土地やアパート経営をしていたので、働かなくても良かったのです。しかし、今では、その収入が少なくなって来ていると聞きます。しかし、それなりに、まだ、大丈夫なようです。しかし、このままでは、次世代に、続かないでしょうね。これって、恐ろしい事だと思いませんか? もし、これが、何代もつづいてしまっていたならば? その一族は、働く意思等、ひとかけらもなくなってしまわれるのではないのでしょうか? これって、永代に続く筈がありません。それが、この時代の行き詰まりの原因である様にも思われてきます。

神様のおっしゃられる事は、理解に苦しみます。「神に何もかも任せよ」と、おっしゃりながら、「心は配れよ、心配りはせな成らん」と。それから、「添智皆、神のもの」、しかし、「己のもの」とも、更に、「戦しても添悟供」、「神風も地獄風もある」

つまり、何ごとも、結果で判断するしかありません。結果の物差しをどこに置くかで決まって来ると思われます。今時点の自分の立ち位置、その位置が、未来も続くかどうか、今、地獄であっても、やがては天国かもしれません。

私は、今、リンパとアロマの仕事をしていますが、これが、天国になるのか、地獄になるのか、未来、永劫、続くのか、を、考えて見ました。そうしたら、続かないと、結論づけました。

つまり、他人様を癒やす、そこが問題なのです。医療でも、お医者様に直してもらおう、と思っている限り、病気は治せません。自分の病気は、自分で治そうと思わない限り、治りません。お産でもそうです。赤ちゃんを産むのは、お母さんなのです。助産師やお医者様ではありません。どんなに優秀な助産師やお医者様が側に居ても、産むのはお母さんです。私達は手助けしかできません。神様であっても、手助けしか出来ないと思われます。その為には、御自分の信じる神様に素直になること、取り越し苦労をしないこと、御自分の神様に耳を傾けて、御自分の今の立ち位地を見て、今が地獄でも、迷わないで、やがては天国となる道を信じて、身魂相当に、歩くことであると思われます。<2015.3.6>

71)愈々ヒヨヒヨ苦しくなるばかりぞ。早う基憑かぬと気の毒出来て来るぞ。「金(曲)要らぬ」と申してあ

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第十六帖(一八九)

慌アワてて動くで無いぞ。時節が何もかも返報返ヘンポウカエしするぞ。「時の神様有り難い」と申してあろがな。神は臣民から何求めてゐるか。いつも与へるばかりでないか。「神の性治セイジ、神国の性治セイジは吾他経アタヘルる性治セイジ」とくどう申してあろがな。今のやり方では愈々ヒヨヒヨ苦しくなるばかりぞ。早う基憑かぬと気の毒出来て来るぞ。「金(曲)要らぬ」と申してあろが。やり方教えてやりたいなれど、それでは臣民に手柄無いから「この神示フデよく読みてくれ」と云ふのであるのぞ。

善き事も現われると帳消しとなる事、知らしてあろが。人に知れぬ様に善き事はするのざぞ。個の事、よく深く考へて行へよ。昔からのメグリであるから、ちょっとやそっとのメグリで無いから、どこへ逃げてもどうしても、するだけの事せな成らんのざぞ。どこにゐても救ふ臣民は救ふてやるぞ。真仲動くで無いぞ。知らぬ顔しておる事も起こるぞ。十一月三日、一二⦿

<引用者からのひと言>

或る、セミナーの講習に行った時に、第一回目に、「捨てなさい」「あなたの人生は意味が在りません」と教えられました。ちょっと、解釈が違っているのでは?しかし、他の宗教でも同じ様な事を言って居られます。それで、その言葉に、反論も出来ずにおりました。しかし、この神示で、やっと、理解が出来ました。「金」は「曲」とも解釈ができるのです。お金には、「真の金」と「曲がった金」があるのです。捨てなさいの意味、人生の意味にも二通りあるのです。真、誠、の人生で得たもの、そうであれば意味があると思われます。しかし、そうでなければ、意味がありません。特に、お金は、余計にあれば、生活が豊かになります。しかし、曲がった金(曲)で有れば、それは、真の豊かさにはなりません。曲がったお金は、捨てた方が良さそうです。

臣民が身を粉にして働いたお金(税金)、今では「血税」になってしまいましたが、そうなっているにも拘わらず、国は、もっと、消費税を上げますとか、医療保険や介護料も値上げしますとか、国の仕組みの存続や継続の方こそが大事であると言われて、値上げをせざるを得ない、とおっしゃっております。それでは、臣民は血税の次に、何を支払えば良いのでしょうか?今、真の勤労で得た、真のお金を持って居られる方、余裕の有る方から徴収します、と言われておりますが、それでは、更に、乏しい生活者を増加させてしまいます。 支払えなくなった方々は、どうなるのでしょうか?もっともっと、乏しい生活を強いられて、国は生活保護を増やす事も考えていますが、しかし、早く死ね、なのでしょうね。そうすれば、解決ができます。病気になったら、病院に行って、薬をもらって、手術や抗がん剤を湯水のようにつかって、真のお金を、全額支払って、そして、「時の神様」が、30年も経てば、今の世の問題を解決…。今更、政府が、慌てて、対策を考えなくても、十分に、時の神様が解決してくれます。もし、健康な生活を送って、病院や介護を受けない様に努力していたとしても、同じ事です。時の神様が解決してくれます。それでは、気の毒が出て来るから、与える政治にしなければ、と、日憑くの神示がおっしゃっております。

曲がったお金を、早く、真のお金に変える事、時の神様が出てくれなくても、十分に、人間の力で解決ができると思われます。曲がったお金をお持ちの方、早う、お基憑きなされてくださいませ、そうしなければ、お気の毒な者が増えてしまいます。それを、願わずにはおられません。<2015.3.8>

72)神の国にも善と悪ある、神示見せて良い人と悪い人とあるのざぞ、臣民分からなくなる、神、急けるのざ

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第十七帖(一九〇)

個個ココに吾真憑神アマツカミ、諸々の命ミコトもちて、位座七気ザナギの実言、位座七身ザナミの実言に「これの漂タダヨへる地クニ、憑ツく理リ固カタめ為ナせ」と詔ノリゴチて、天アメの野火個ヌホコを賜タマひて、言代コトヨさし賜タマいき。

神の国にもある」と申してあろがな。個の神示フデ見せて良い人悪い人とあるのざぞ。神示フデ見せて呉れるなよ。「誠の神の臣民」と判りたら、個の神示フデ、移してやりてくれよ。「神示フデは出ませぬ」ともうせよ。時節、良く見るのざぞ。型して繰れたのざから、もう一ハジメの仕組み良いぞ。個コの神示フデ、表に出すでないぞ。「添命テンメイは陰の御用」と申してあろが。神示フデしまって置いてくれよ。一二三ヒフミとして聞かしてやって暮れよ。「固コの火ホウの仕組み、火ヒに火ヒに変わるのざから、臣民分からなくなる」と申してあろが。火ヒに火ヒに烈しく変わりて来るのざぞ。神の個には神示フデ伝えてくれよ。神急セけるのざぞ。火生みの悟用ゴヨウ、結構。十一月四日、一二⦿

第十八帖(一九一)

継ぎに位座七身ゐザナミの実言、位座七身ヰザナミノ身言に天アマの野火途ヌホトを賜タマひて、「供トモに、多他寄タタヨへる、言コト地クニ憑ツく理リ固カタメめ為せ」と、言代コトヨさし賜タマひき。

「火に火に烈しくなる」と申してあろがな。水頂ミズイタダきに上げな成らんぞ。お土ツチ掘らねば成らんぞ。言派コトハ、特に磨ミガきてくれよ。「言コトに基憑キツけて繰れ」と、くどう申してあろが。しては成らずせねば成らず、神毎に活きて下されよ。十一月六日、ひつ九のか三知らすぞ。

第十九帖(一九二)

今のやり方、考え方が、間違ってゐるからぞ。「洗濯せよ、掃除せよ」と申すのは、これまでのやり方・考へ方をスクリと改める事ぞ。「一度、死マカりた」と思へ掃除して何もかも綺麗にすれば、神の光、素繰りと光輝くぞ。「誤目ゴモク捨てよ」と申してあろがな。人の心ココロ程、怖コワいもの無いのざぞ。「奥山に紅葉有る内に」と申す事、忘れるなよ。北に気付けよ、神の代の仕組み、良く腹に入れておいて下されよ。今度の査等サラつの代の基モトと成ナるのざぞ。十一月七火、ひつくのか三。

<引用者からのひと言>

漂タダヨへる地クニ」、を、「憑ツく理リ固カタめ」る、その時期が、今、であるように思われます。私達の世界は、永い間、厚い壁がどっしりと、ピクリとも動かない壁がありました。その為、私達は、その壁の前で漂うだけ、時々、神様のお仕事をする人々が、出て来ることもありましたが、悉く、抹殺されてしまいました。厚い壁から、なかなか、前に進む事ができませんでした。しかし、そろそろ、その地盤が崩れ始めているのでしょうか、ベルリンの壁のように、一夜にして、崩れる時期に来ていると思われます。しかし、「神の国にも善と悪ある」、そのため、壁が崩れた後が怖いです。その後にも、私達は漂うことになると思われます。だからこそ、この神示を、悪神様から目を付けられない様に、と、おっしゃられているのだと思われます。悪神様によって、再び、同じ様な壁が、今迄よりも、更に厚く建てられる可能性だってあるのです。そうなってしまったら、更に永遠に、私達の地球は、地獄が続くこととなります。だからこそ、善神様は私達に、洗濯をしなさいと、100年も前から、おっしゃられていたと思われます。人間の意識を変えるには、善神様であっても、容易ではありません。馬鹿な人間は、悪神様に傾きやすいからです。善神様の意識に傾くためには、先ず、私達人間の、汚れた心の掃除から、始めなければいけなかったようです。それに、100年以上も前から時間がかかってしまって、もう直、北から、冬が始まります。

「添命テンメイは陰の御用」、神のお仕事は、口外しない、口を閉めておくこと。一二三ヒフミとして聞かせること、と、おっしゃられております。

なかなか、理解困難ですが、壁が崩れる前に、私達がする事が沢山ある様に思われます。

「供トモに、多他寄タタヨへる、言コト地クニ憑ツく理リ固カタメめ為せ」と云う事は、家族や多くの方々とも仲良くして、国作りをしなさい、その為には、独善の言葉に気をつけること、しては成らないことはしては行けない、やらなければいけないことはやらなければいけない。善神様のお仕事を腹に入れて、活きること、日に日に烈しく成るからこそ、地固めが必要、地固めは、先ず、家族の絆であると思われます。今迄の自分の考え方を改める事、一度、死んだつもりでやり直す覚悟、誤りは捨てること。戦争で何もかも失う前に準備しておきなさい。冬が北から襲ってきます、冬が来てから、その時に気付いても遅すぎます。冬に成る前の秋の紅葉の前…、「蟻とキリギリス」の物語りを思い出してしまいました。キリギリスとなって、蟻に物乞い、と成らない様に、次の世界に活きる準備、それが今であるように思われます。<2015.3.9

 73)お宮も壊されるぞ、臣民もなくなるぞ。上の人、臭い飯食ふ時来るぞ。「味方同士が殺し合ふ時来る」

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第二十帖(一九三)

神の用意は何もかも済んでゐる」と申してあろが。臣民の洗濯、早ハヨ致イタしてくれよ。査等サラつの代ヨの用意、早ハヨ至イタしてくれよ。今度の代ヨには四十九の御役オヤク・御仕事あるのざぞ。「四十九の巳霊ミタマ」と申してあろがな。早ハヨ個コの神示フデ、腹に入れて繰クれよ。早ハヨ治シらせて繰クれよ。今迄の神示フデ、役引ヤクインの腹に入るまでは暫シバラく個コの神示フデ、出ぬぞ。大切な時には知らすなれど、そのつもりでおりて繰れよ。野の種大切にして下されよ。毒吐き出せよ。十一月の八日、ひつくのか三。

第二十一帖(一九四)

人先ずし、霊人拝めよ。拍手打ちて(内で)、霊人と祀ろへよ。神示読んで聞かして呉れよ。声出して添智テンチに響く用、宣ノれよ。火と水、一二三と成るのざぞ。火、近付いたぞ。水、近付いたぞ。否でも応でも走らな成らんぞ引っ繰り返るぞ代が唸るぞ。神示フデ読めば縁ある霊人ヒト集まって来て、神の御用する者、出来て来る事分からんか。仕組み通りにすすめるぞ。神待たれんぞ。十一月十火、ひつ九か三。

第二十ニ帖(一九五)

お宮も壊されるぞ、臣民もなくなるぞ。上の人、臭い飯食ふ時来るぞ。「味方同士が殺し合ふ時来る」と申してあろがな。これからが愈々ざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念場ぞ。臣民の思ふてゐる様な事で無いぞ。「個の神示フデよく腹に入れておけ」と申すのぞ。チリヂリバラバラになるのざぞ。一人ひとりで何でも出来る用にしておけよ。十一月十一日、ひつ九か三。

第二十三帖(一九六)

「一升枡には一升しか入れぬ」と臣民思ふてゐるが、豆一升入れて入れる事出来るのざぞ。その上にならばまだ入るのざぞ。神成ればその上に、まだいくらでも入るのざぞ。神が移りたら、人が思はぬ事出来るのざぞ。「今度は千人力、与える」と申してあろが。穢土の仕組み、代の終わりぞ。添拝めよ。土拝めよ。祀はれよ。「秋の空、グレン」と申してあろがな。冬も春も夏も、基憑けてくれよ。十一月十三日、ひつ九か三。

<引用者からの一言>

そろそろ、今迄、私達が住んでいた古い家が゙壊される時期が来たようです。今迄住んでいた古い家を、神様が壊されてしまうようです。私達が住んでいた古い家が壊されてしまいます。ですから、まだ、壊れされない内に、準備をしておかなければなりません。今迄の古くなった、不要な物を捨てて、未来に必要な物を持参して、引っ越す準備です。穢土に住んでいる方は、仮住まいを捜す必要があるかもしれません。少し不自由な生活を余儀なくされます。更地に新しい家ができるまで、暫くの辛抱です。それまで、不自由な生活が続きます。反対に、いつまでも穢土の古い家にしがみついていて、引っ越しの準備をされていなかったら、古い家と共に消滅されてしまいます。神様は古い家を壊されるのですから、そして、穢土を更地の世にされてしまわれるのです。神様は「用意はなにもかも済んでゐる」とおっしゃっられております。私達は必要最低限の荷物をまとめておく必要がありそうですね。それが、洗濯、掃除と言われるのでしょうか。

私の叔母が気仙沼の港の近くに住んでいて、311に見舞われました。風呂敷に、通帳、土地や家の権利書等入れておいたので、地震が来た時に、それをしっかりと抱えて逃げたそうです。ビルの屋上から自衛隊のヘリコプターで釣りあげられた時に、「荷物を捨てなさい」と言われたそうです。しかし、叔母は、嫌だと言って、絶対に離さなかったそうです。今も、仮の宿で暮らしています。しかし、縫い物の仕事をされていたので、それで、小づかい稼ぎが、今でも出来ているそうです。80歳を過ぎていて、目がぼやけていますが、針の穴に糸を通すのは、勘で出来るのだそうです。幸い、子供達の家も無事、しかし、狭いので、一緒には済んでいません。魚港は復帰していますので、時々、魚が我が家に届けられます。先日、磯からあげたての、アワビが届きました。美味しかったです。お茶が大好きな叔母なので、私は、狭山茶を送っています。

兎に角、何が起こるかわからない世の中です。思い当たる準備はされて置いた方が良さそうですネ。その後は助け合いで生き抜く、助け合いは、日本人が得意とします。家族とチリヂリ、バラバラ、お宮も壊される、臣民も亡くなる、現実に起こっています。

「上の人、臭い飯食う時来るぞ」、「味方同士が殺し合う時、来る」これは、まだ、現実に起こっていませんので、これから、戦争として、現実となるのでしょうか?「その覚悟をしてゐて下されよ」とおっしゃっておられます。「一人ひとりで、なんでもできる用にしておけよ」と。これは、アナログの生活ができるようにしておけよ、と云われているように思われます。<2015.3.10>

74)始めは六分、国の為、四分自分のため。次は七分、国の為、三分自分の為、次は八分、国の為、二分自分

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第二十四帖(一九七)

個個ココに位座七イザナギのミコト、位座七イザナミのミコトは、野ヌホコ・野ノホコ、組み立て、「供仁クニ生みせな」と詔ノり賜タマひき、位座七気イザナギの、位座七身、息、合はし賜タマひて「吾宇アウ、吾宇アウ」と詔ノらせ賜タマひき。

コトの始め、基憑けて繰れよ。「代明ヨアけたら生命イノチ神に戴いた」と申してあろがな。、有る内に事毎コトゴトに憑きのの御用せよ。それが誠の臣民ぞ。生活心配するで無いぞ。こと分けて申せば、今の人民直ぐは出来ぬであろが。始めは六分、国の為、四分自分のため。次は七分、国の為、三分自分の為、次は八分、国の為、二分自分の為と云う様にして呉れよ。これはまだ「自分」有るのざぞ。神・人、一つに成るのざぞ。十一月二十日、ひつ九⦿

第二十五帖(一九八)

初め☉ヒツギの国生み給ひき。⦿の国生み給ひき。☽ツキの国生み給ひき、継ぎに地クニ生み給ひき。

神に厄介ヤッカイかけぬ用にせねば、成らんぞ。「神が助けるから」と申して、臣民、付所フトコロ出してゐては成らんぞ。力の限り尽くさな成らんぞ☉ヒツギ⦿とは違ふのざぞ。臣民、一日に二度食べるのざぞ。朝は⦿の神様に供えてから戴けよ。夜は☽ツキの神様に捧げてから戴けよ。それが誠の真素人マスビトぞ。十一月二十一日、一二⦿

第二十六帖(一九九)

、うに、アエイオウざぞ。ム化しの代の基ぞ。、ヤ、ワ有るぞ。代の基ぞ。サタナハマから有るぞ。「一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱」と申してあろがな。五十九の神、七足り出づ柱、これで分かりたかは ざぞ。 には裏表上下あるのざぞ。「冬の先、春とばかりは限らん」と申してある事、忘れるなよ、用意せよ。冬に桜咲くぞ。十一月二十二日、ひつ九⦿

<引用者からの一言>

読んでも、書いても、チンプンカンプン…、しかし、色や配色を付けてみて、眺めてみましたら、成る程、成る程、なんとなく、見えてきました。つまり、七つの気と七つの身に火を灯して途(道)。それが、国を生みます。七つの気と七つの身の言を合わせて、個個、吾吾、宇宙宇宙なのかな~。つまり、個人が小宇宙で、その個人が大宇宙と繋がることができる。宇宙と繋がる力は、誠の臣民であれば、誠の生活さえしておれば、日々の生活は心配しなくても良いのであると、云われているのだと思われます。

更に、自分に出来る事から始めること、始めは、自分が六分、四分、三分と、少しずつ、自分の仕事を減らして行き、神の仕事の比率が四分、六分、七分…、と段々と多くなって行くと、神人合一となる、と解釈しました。

始めは枢の国?その後に火と月の国、次に今の地球…。今の地球は火の神様と月の神様が共に作られた国であるようです。私達は今、太陽暦のカレンダーが主に使っていますが、昭和の初めの頃迄、日本では、太陰暦のカレンダーを使っていました。戦後に太陽暦のカレンダーに替わったようです。私は両方のカレンダーを毎年、購入しています。太陰暦のカレンダ-で、今日は仕事が忙しいのかな~、なんとなく、新月と満月が近ければ、仕事が忙しい様な気がするのです。当たらない事も多いのですが、結構当たっている様にも思われます。おまじないですネ、無事に仕事が終わってくれるようにと祈れば、何となく安心するのです。気休めなのですが、人間の心は弱いですからネ、それをしていないと、安心して仕事が出来ないのです。心が安心していれば、力の限り仕事が出来ます。しかし、不安があれば、自分の力が発揮できません。だから、お空を見て、お祈りをしていました。

お食事のお供えは、盆と正月だけでした。手を合わせるだけでは不足なのかな~。一気に生活を変えるのは不自然ですから、少しずつ神様のお仕事を増やして行くことにしましょう。

○の字は霊の世界になります。「世の基は霊。五十九の神、七足り出づ」、まだ、七つの神様が現われていないようですネ。「、ヤ、ワ有るぞ」ム迄が昔の世?

㋳ヤからが、「裏表上下ある」と、まだ、決まっていないようですネ。低次元の霊に憑くか、高次元の霊に憑くかで決まるように思われます。「冬に花が咲く」、それもが鍵である様に思われます。<2015.3.12>

75)いくら貧乏だとて犬猫とは桁、違ふがな、それで何不足申してゐるのか、まだまだ添智へ取り上げるぞ、

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第二十七帖(二〇〇) 神の国は生きてゐるのざぞ。国土クニツチ、拝オロガメめよ。神の肉体ぞ。神の霊タマぞ。「道は真っ直ぐ」とばかり思ふなよ。曲がって真っ直ぐあるぞ。人の道無理に真っ直ぐにつけたがるなれど。曲がってゐるのが神の道ぞ。○マ且カって真っ直ぐ活イくのざぞ。人の道も同じであるぞ。吾支母途アシモトから途理経トリタツつぞ。愈々ヒヨヒヨが近付いたぞ。「余ヨの基モト」と申すものは泥ドロの海でありたぞ。その泥ドロから神が色々のもの、一二三で息吹イブきて生ウみたのぞ。人の智では分からぬ事ざぞ。目は丸いから丸く見えるのざぞ。個の道理判ワカりたか。一度はドロドロにこね廻さな成らんのざぞ。臣民はどない申しても近欲チカヨクざから、先見えんから欲ヨクばかり申してゐるが、神は持ち切れない程のもの、与えてゐるでないか。いくら貧乏だとて犬猫とは桁、違ふがな。それで何不足申してゐるのか。まだまだ添智テンチへ取り上げるぞ日々取り上げてゐること判らんか。神が大難を小難にして神々様御活動になってゐる事、目に見せても判らんか。添智でんぐり返るぞ。やがて不治は晴れ足り、仁翻晴れ。基の神の代に還るぞ。

⦿の巻』終わりて『☽ツキ』の巻』に移るぞ。愈々、一二三が多くなるから、今までに出してゐた神示フデ、よく腹に入れておいてくれよ。治らせねば成らず、知らして仕組み成就せず、臣民早洗濯して鏡に映るようにして繰れよ。「今の世、地獄」と判ってゐるであろがな。「今のやり方、悪い」と判ってゐるであろがな。「神祀れ」と申すのぞ。「幽界には幽界の神がある」と申してあろが。身戦ミイクサ進めて幽界ガイコクに行った時は、まづその国の神、祀マツらねばならんぞ。「祀マツる」とは「祀マツろう事」と申してあろが。徹方テッポウチでは悪くするばかりぞ。「神まづ祀マツれ」とくどう基憑キツけてあるのは仁翻ニホンばかりでは無いぞ。「個コの火ホウの申す事、小さく取りては見当取れん」と申してあろがな。三千世界の事ぞ。世界の事ぞ。仁翻ニホンばかりが可愛いので無いぞ。世界の臣民、皆我が個ぞ。分け隔て無いのざぞ。個の神示フデ、読みて聞かしてくれよ。読めば読む程、明るくなるぞ。不治張れるのざぞ。神の心、張れるのざぞ。新た主代ヌシヨぞ。十一月二十三日、一二⦿

<引用者からの一言>

高度経済成長時代に、日本人が一生懸命働いて得たお金や物が、どんどん、搾取されています。それなのに、殆どの国民は、それに、気付いていません。

生活保護は、在日の方々が、日本人の数倍も多くいると言われています。今では、教育の世界、政治もテレビも新聞も警察も裁判も、商売も、役所も、宗教も、在日の方々で溢れてかえっています。医療や薬、食品、洗剤、化粧品、ワクチン、どれもこれも、危険なもので溢れ返っています。人間の心も、同じ事です。かなり、汚れています。

しかし、今世紀に始まったことではない様です。この様な出来事は、太古の昔からあったようです。いつの時代にも危機があるのです。私達の御先祖様は、その危機を乗り越えて来られたのです。せっかく築いた家や村や国を、何度も何度も壊されて、一からやり直して、戦争で原発を二機、落されて、それでも、高度成長時代に入って、やっと豊かになったと思っても、今度は、巧妙な手口、またまた、失われているようです。

判らんから、添智でんぐり返るぞ」人間は、何もかも失ってから、初めてきづくのでしょうネ。

「やがて不治は晴れ足り、仁翻晴れ。基の神の代に還るぞ。」つまり、やり直しの時代になると言う事でしょうか?

今回は、三千世界の建て直しなので、人間の力だけでは無理なのでしょうね。「徹方テッポウや智チでは悪くするばかり」と、武器や智恵ではない方法で戦わなければいけないようですね。

私は合気道をやっていますが、合気道の精神は平和なのだそうです。その意味が、最近、やっと、分かりました。つまり、気の世界だからなのです。力の世界ではないのです。力は有限ですが、気は無限にあるのです。その無限の気を利用して、相手を倒す事が出来るのが、合気道なのです。力の戦いではないのです。平和の戦いなのです。平和の戦いが合気道なのです。平和の戦いは、気の交流に鍵があるようです、自分の気を相手に送り、その気が自分の丹田に戻って来ると言うスパイラルの動きなのです。つまり、気の交流です。気の使い方ができれば、何人でも、一気に倒すことも出来ます。それも、力ではないので、痛くないのです。気の力は優しいのです。しかし、それでも、人を倒すことが出来るのです。

世界の平和の為に、国がバラバラになっていては果たせません。一つに統一する事も大事なのですが、それを、力でやろうとしているから、無理が出て来るのです。

戦争やテロ、搾取は破壊行為です。破壊行為からは何も生まれて来ません。行きつく先は共に自滅です。行政の悪口や欠点をいくら言っても、そこからは何も生まれません。しかし、真実を知ることは大事です。しかし、偽りの雲が分厚くて、殆ど真実が見えません。マスコミも伝えてくれないし、自分で情報を捜さなくてはいけないのですが、毎日テレビにかじりついている、我が家の夫では無理です。むしろ、テレビもラジオも新聞も雑誌も、携帯もインターネットも、全部一掃されてから、始めて、気付くことになるのでしょうネ…。<2015.3.23>

76)神素張れ、光、請へよ。人草張る、神の供仁クニぞ、戦も無き、明けぞ

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

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第二十八帖(二○一)

途ト添テン展テン神素カミス張ハれ。付治名成フジナナるぞ。個の渦コノウズ役引ヤクイン読むものぞ。「代の基ヨノモト」と申すものは「火の道」ぞ、「身の道」ぞ。雲出て国と成るぞ。火火ヒビ基モト個の供仁クニの言ぞ。素査スサ成ナる神々個の代大神様ぞ。でいる成り、巻きて憑きに成り供仁クニと成りたのぞ。吾れ、渦の澄みと成り、㋻㋳憑きの神ざぞ。供仁の澄みには素査成る神様ぞ。固の事、始めに連レ入イる神には、他は無ひぞ。「クレン」とは上下掛かる言(事)」と申してあろがな。云ふて成らぬ事ぞ。成らす事ぞ、天の⦿つ九クの⦿

第二十九帖(二○二)

説ヒトひ、霊人ヒト、ぞ。言コトの代ヨと成るぞ。神の言云うより言無ひぞ。もの云うなよ。言云うのざぞ。身言神ぞ。巳身ミミ吾アぞ。代替わるのぞ。何も烈しく無き、明けぞ。戦も無き、明けぞ。役に、付途供フトクも捨スてなひぞ。光、請コへよ。引ヒキざぞ。素査成スサナるの実言ミコト、祀マツり繰クれ代ヨ。人ヒト草クサうな張ハる神は固コの供仁クニぞ。神始カミハジめ。憑き出イず。一二⦿

<引用者からの一言>

「己」は自分、「巳」は蛇ですよね。そうすると、「神の言云うより巳言無ひぞ」の「巳」は、蛇ですネ。

「巳言無ひぞ」と「巳言云うのざぞ」、これは、どのように解釈すればよいのでしょうか?

「もの云うな」とは、物質欲だとは思うのですが、物質欲がなくなった巳(蛇)が身言神? 巳身、吾…。

巳(蛇)が心を入れ替えて、「身言神」となれば、世の中の烈しさが無くなり、闇が明け、戦が無くなる、なのでしょうか?

この世の中の災いの発端は「蛇」ですから、人間をそそのかした蛇が真実を白状して、改心して呉れれば、何もかも解決するように思われます。しかし、人間をそそのかした蛇が存在する限り、この世に、平和が来ないように思われます。永い間、人間が、蛇に騙されていた事に気付くことが大切であると思われます。今後も、人間が蛇に騙され続けて要る限りは、まだまだ、世の中の争いが、無く成らないと思われます。しかし、蛇が、この時代に、改心してくれるのでしょうか?蛇が身言神になってくれれば、話は別ですが…。

人間が光を請い、素査成る神(地球)を祀り、地上を綺麗にすれば、天の神様は地上に降りて来られます。今の、汚れ過ぎた地上では、天の神様が、降りて来られないのだと思われます。私達が、地上を綺麗にすれば、天の神様が、地上に降りて来られて、人や草に張り憑いてくれます。そうなれば、天の神様が、蛇を改心してくれそうですネ。

人間だけの力では、一枚も二枚も上手の蛇には、とてもとても、勝つ事が出来ないと思われます。

人間は弱虫が多いから、真実を見る事が出来ません。気付いたとしても、どうする事もできません。無視して、我慢して、生きて行くしか方法が在りません。それならば、いっそのこと、弱虫の人間が集まり、地上を掃除して、綺麗にして、緑をふやして、光を請えば、天の神様が降りて来られて、解決してくれますね。やはり、一人一人が正しい心で、生活をする事が大切である様に思われます。<2015.3.27>

 

 

77)付治の山動くまでには、どんな事も耐えねばならんぞ。上、辛いぞ。どんな事あっても死(私)に急ぐで

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/hitukunomaki.pdf

第三十帖(二○三)

己心オノココロ供仁成クニナり、個コの供仁クニに降オりまして、吾芽アメとの巳柱ミハシラ身経ミタテて給ひき。

個個ココに位座七気イザナギの身言ミコト、州シュウ生ウみ給タマひき。

始めに火留個ヒルコ、吾和州アワシマ、生み給ひき。

個の巳個ミコ供仁クニの内に隠れ給ひければ、継ぎに宣ノリごちて後、生み給へる身個ミコ、吾和治アワジの火ホの査和気州サワケシマ、位代イヨの付他名州フタナシマ。

個の州シマ、得火芽エヒメ、火火因ヒヒヨり火個ヒコ、大気憑火芽オオケツヒメ、経タて代ヨ理リ和ワ気ケと云う。

継ぎ、緒基オキの巳憑悟ミツゴの州シマ、吾真アマの緒支個路和気オシコロワケ。

継ぎ、憑ツく支州シシマ、個の州コノシマ、支等火和気シラヒワケ、途代火和気トヨヒワケ、太気火務加火途代供憑火タケヒムカヒトヨクツヒヌの和気ワケ、経タて火和気ヒワケ。

継ぎ、位基イキの州シマ、吾芽人憑柱アメヒトツバシラ。

継ぎ、憑州ツシマ、吾芽アメの査手代理火芽サテヨリヒメ。

継ぎ、佐度サドの州シマ。

継ぎ、大冶真途吾基憑州オオヤマトアキツシマ、吾真憑巳磯等途代吾基常和気アマツミソラトヨアキツネワケ。

継ぎ、基火キビの個州コシマ、経タて火加太和気ヒカタワケ。

継ぎ、吾憑アズき州シマ、大野手火芽オオヌテヒメ。

継ぎ、緒緒州オオシマ、大太真留和気オオタマルワケ。

継ぎ、火芽州ヒメシマ、吾芽一根アメヒトツネ。

継ぎ、智加チカの州シマ、吾芽アメの推オし尾オ。

継ぎ、付太悟州フタゴシマ、吾芽付太治アメフタヤ、二州ニシマ・八州ハチシマ・六州ロクシマ、吾和アワせて十六州ジュウロクシマ生み給ひき。

継ぎにまた宣り給ひて、大州オオシマ・小州コシマ、生み給ひき。吾和治州アワジシマ、付太名州フタナシマ、緒基オキの州シマ、憑ツく支シの州シマ、位基イキの州シマ、憑州ツシマ、査度サドの州シマ、大冶真途州オオヤマトシマ、個州コシマ、吾憑アズき州シマ、緒緒州オオシマ、火芽州ヒメシマ、仲ナカの州シマ、付太悟州フタゴシマの十四州ジュウヨンシマ、州生シマウみ増マしき。

継ぎに息吹イブキ息吹イブキて、実個神ミコガミ生み給ひき。

大言緒支尾オオコトオシオ神、大言緒支尾神、位支憑治火個イシツチヒコ神、位位支憑治火個神、位支素火芽イシスヒメ神、位支素火芽神、大途火和気オオトヒワケ神、大途火和気神、吾真アマ付基尾フキオ神、吾真付基尾神、大冶火個オオヤヒコ神、大冶火個神、加査気憑和気カサケツワケ緒支尾オシオ神、加査気憑和気緒支尾神、和太ワタ神、和太神、大和太憑身オオワタツミの神、巳途ミト神、巳途神、把冶吾基憑火ハヤアキツヒの神、把冶吾基憑火芽ハヤアキツヒメ神、把冶吾基憑火芽神、加施神カゼ、加施神、支名憑火個シナツヒコの神、基キ神、基神、供区ククの智チの神、冶真ヤマ神、冶真神、大冶真憑身オオヤマツの神、野ヌ神、野神、加冶野火芽カヤノヒメの神、野憑智ヌツチの神、途理トリの位和供素付根イワクスフネの神、吾芽アメの途理付根トリフネの神、大気憑火芽オオケツヒメ神、大気憑火芽神、火ヒの冶基把冶尾ヤキハヤオの神、火加娥火個ヒカガヒコの神、生ウみ増マしき、把冶吾基憑火個ハヤアキツヒコ、把冶吾基憑火芽ハヤアキツヒメ、二柱ニバシラの神、川海カワウミに因ヨり持ちわけ、言コト、分けて生ませる神。

泡七気アワナギの神、泡七身アワナミの神、連ツら七気ナギの神、連ら七身ナミの神、吾芽アメの巳供真理ミクマリの神、供仁クニの巳供真理ミクマリの神、天アメの食クひ査サ持モちの神、国クニの食クひ査サ持モちの神。

継ぎに、大冶真憑身オオヤマツミの神、野憑智ヌツチの神の二柱神ニハシラガミ、山野ヤマヌに依ヨり持モち分けて、言挙コトアげて生ウみませる神。

吾芽アメの査憑智サツチの神、供仁クニの査憑智サツチの神、吾芽アメの査気理サギリの神、供仁クニの査気理サギリの神、吾芽アメの供等途クラトの神、供仁クニの供等途クラトの神、大途真度火個オオトマドヒコの神、大途真度火芽オオトマドヒメ神、大途真度火個オオトマドヒコ神、大途真度火芽オオトマドヒメ神、生み増しき。

位座七身イザナミの神、病ヤみ個コ弥ヤしまして、タグりに成りませる神、仮名冶真火個カナヤマヒコの神、仮名冶真火芽カナヤマヒメの神。

屎クソに成ナりませる神、把仁冶素火個ハニヤスヒコの神、把仁冶素火芽ハニヤスヒメの神、尿ユマリに成りませる神、身憑把ミツハの芽メの神、和供務素火ワクムスビの神、個の神の巳個ミコ、「途代トヨ受ウけ火芽ヒメの神」と申す。

個個に位座七身の神、火の神生み給ひて、火憑智ヒツチと成り給ひて、根の神の の供仁クニに去り給ひき

個個に位座七気の神、七気給ナキタマひければ、その七身ナミダに成りませる神、七気触めナキサワメの神。

個個に加求憑智カグツチの神、斬キり給へば、その、岩にこびりて火和査苦ヒワサクの神、根査苦ネサクの神、火和憑通ヒワツツの尾の神、身加把冶火ミカハヤヒの神、火把冶火ヒハヤヒの神、太気身加憑智緒タケミカツチの神、太気付憑タケフツの神、途代付憑トヨフツの神。

刀ミハカシの手上タガミの智チ、供等尾加身クラオカミの神、供等身憑把クラミツハの神。

個個に殺されし加求憑智カグツチの身首ミカシラに成りませる神、真査加冶真積身マサカヤマツミの神。

身胸ミムネに緒途冶真積身オトヤマツミの神。

身腹ミハラに緒供冶真積身オクヤマツミの神。

身火途ミホトに供等冶真積身クラヤマツミの神。

左の身手ミテに支基冶真積身シキヤマツミの神。

右の身手に把冶真積身の神。

左の身足に把等冶真積身ハヤマツミの神。

右の身足に途冶真積身トヤマツミの神、成りましき。

個個に斬り給へる身刀ミハカシ、「吾芽アメの緒八張オハバり」、「出イづの緒八張オハバり」と云ふ。

個個に位母イモ、恋コイしまし給ひて、根ネの国に追い出イで給ひき。十一月二十五日夜、一二⦿

第三十一帖(二○四)

一二三四五六七八九十百千卍。「今度は千人満人力出ないと手柄出来ん」と申してあろがな。世界中総がかりで攻めて来るのざから、一度は有るにあられん事になるのざぞ。対象だからとて油断出来ん。付治の山動くまでには、どんな事も耐えねばならんぞ。上、辛いぞ。どんな事あっても死(私)に急ぐで無いぞ。今の大和魂と神の魂と違ふ所有るのざぞ。その時・所によりて、どんなにも変化るのが神の霊ぞ。「馬鹿正直ならん」と申してあろ。今日現れし生命勇む説き来たぞ。十一月二十六日、火二⦿

<引用者からの一言>

聞き慣れない神様の御名前が、こんなに沢山。とてもとても、書くのが、面倒だな~、と思って、躊躇していました。しかし、これも試練だと思って、思い直して、書く事を決心して書きました。

不思議なもので、書いている内に、神様のお名前がすらすら、までは行きませんが、なんとか、読めるようになりました。慣れて来ました。「野」は「ぬ」と読む、「言」は「こと」、「気」は「け」、「州」は「しま」、「素」は「す」、平仮名の「の」と片仮名の「ノ」は表裏で一体。

どんどんと、神様が増えて来て、有る日、位座七身の神が病気に罹って、位座七気の神が泣き、涙を流して、泣き騒ぎ、それからの時代が、神様同志の争いの時代になっています。なんと、身がバラバラになってしまいました。これって、平将門?の事をおっしゃっているのかな?つまり、その頃の事件が今でも続いているのかな?

だから、今の時代は、争いの絶えない世の中になっているのかな?

神様の世界だって、争いの多い世界のようですね。だから、今、三千世界の大掃除が必要なのでしょうか。やはり、今の時代は、全て、清算しなければいけない世の中だと思われます。誤魔化しの世界では、もう、通用しません。終わりにしなければいけないのです。まだまだ、争いがあるよですが、そこは、私利私欲を出さず、大和魂で、乗り越えるしか、道が無い様に思われます。精神世界のブログを眺めてみますと、神様の世界の決着はついたようです。決着はついたのですが、物質世界はこれからが本番です。物質世界の勝負は、まだついていません。神様の応援を戴いて、身魂相応に頑張るしか方法が有りませんネ。<2015.3.30>

78)「手柄立てよう」と思ふなよ。「勝たう」と思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままぞ。ど

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/hitukunomaki.pdf

第三十二帖(二○五)

表ばかり見ていては何も判りはせんぞ。憑きの神様、祀り繰れよ。個の余の罪・穢れ負ひて、夜と無く護り下さる素査名緒の神様、篤く祀れよ。

火あって水動くぞ。水あって火萌ゆるぞ。「火と水」と申しておいたが、水の外に隠れた火と水あるぞ。それを「火付身」と云ふぞ。「火付身」とは「一二三」と云う事ぞ。言派ぞ、言霊ぞ、祓いぞ、ぞ、ぞ。 素査成るの仕組みぞ、成り成る言葉ぞ。今の三位一体は、三位三体ぞ。一と現はれて、二三隠れよ。二と三の神様の悟音、忘れるで無いぞ。御働き、近付いたぞ。

十一月二十七日、ひつ九かみ。

第三十三帖(二○六)

「宝(多過等)の山に攻め寄せ来る」と申して、くどう基憑けておいたでないか。神の国にはどんな宝でも有るのざぞ。「⦿の国、昔から宝埋けておいた」と申してあろがな。⦿の国にも宝埋けておいたのであるのざぞ。個の宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡りて来ても胴にも成らん様に神が護ってゐるのざぞ。愈々となりたら神が誠の神力出して多過等タカラ取り出して、世界のどんな悪神も「神の国にはかなはん」と申す所まで、トコトンと出て来るぞ。我善し捨てて呉れよ。

十一月二十八日、ひつ九のか三。

第三十四帖(二○七)

「個の神示よく読みて呉れよ。早合点しては成らんぞ。取り違ひ一番怖いぞ。「どうしたらお国の為になるのぞ、自分はどうしたら良いのぞ」と取り次ぎに聞く人、沢山に出て来るなれど、個の神示読めばどうしたら良いか分かるのざぞ。その人相当に取れるのぞ。神示、読んで読んで腹に入れても「分からぬ」と云う事無いのざぞ。「分からねば神知らす」と申してあろがな。迷うのは神示読まぬからぞ。腹に入れておらぬからぞ。人が悪く映るのは、己が曇りてゐるからぞ。           十一月二十九日、ひつ九のか三

第三十五帖(二○八)

基からの神示、腹に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ。骨折らいでも素直にさへして、その日その日の仕事しておりて下されよ。心配要らん道ぞ。「手柄立てよう」と思ふなよ。「勝たう」と思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままぞ。どこに居てどんな事してゐても、助ける日値は他透タスけるのざぞ。神の悟用ある臣民、安心して仕事致しておりて下されよ。火降りても槍降りても、ビクともせんぞ。心、安心ぞ。クヨクヨするで無いぞ。神に頼りて神祀りて、祀わりておれよ。神救ふぞ。

十一月の二十九日、ひつ九か三。

<引用者からの一言>

最近、ブログを書くのを止める方が増えていますね。何年も投稿してくれたのに、やっと、これからが本番が来ると言うのに、これから起こる事こそが、真実を知りたいのに…。と思うのですが、結局、真実は、遅かれ、早かれ、分かる時が来ます。急いで、分かったとしても、胴にもなりませんからね。9.11だって、私が一生懸命に「やらせ」だと夫に言っていましたが、夫はインターネットを見ませんし、夫との仲が悪くなるばかりでした。夫と全く口を聞かない訳にもいかないし、夫との不和が益々、拡大する一方でした。

私は、中丸薫さんの御著書やVTRをたくさん購入して、それに、ビックリして、ある程度、真実が分かっていましたが、なかなか、他の人にお話が出来る人が居ません。

或る日、夫をセミナーに連れて行きました。マインドコントロールを書かれた池田整治さんやフルホ―ドさんのセミナーです。夫も気付いたようです。しかし、夫が気付いたとしても、胴にもなりません。

そこで、考えました。世界のニュースの真実を求める事よりも、自分の生活の周りの出来事のほうが大切である事に気付いて、そこで、私の書くブログは、子育て支援や厚労省の会議録、それから、魂の生き方探し、と決めました。私自身とっても、とても勉強になるからです。

一二三神示を書いていると、不思議に、シンクロしているように思えてなりません。

生きるも死ぬるも、自分でどうしようも有りません。火が降っても、槍がふっても、ビクともしない心となるように、頑張りましょう。<2015.3.31>

77)理屈の悪魔に囚われ、九分九厘までは皆、悪のやり方ぞ。「善」だと思ふ事が善で無く、皆悪ざから

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/hitukunomaki.pdf

 

第三十六帖(二○九)

今の臣民、見て褒ホめる様な事は、皆、奥治オクシれてゐるぞ。これが善である。「誠のやり方ぞ」と思ってゐる事、九分九厘までは皆、悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが。上の番頭殿、「悪い性治する」と思ってやってゐるのでは無いぞ。「善い性治しよう」と思ってやってゐるのぞ。「善い」と思ふ事に精出してゐるのざが、「善」だと思ふ事が善で無く、皆悪ざから、神の道が分からんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な性治になるのぞ。祀り事せな成らんぞ。分からん事も神の申す通りすれば、自分では分からん事も良くなって活くのざぞ。「悪」と思ってゐることに「善」が沢山有るのざぞ。

人裁くのは神裁く事ざぞ。怖いから皆神カイシンする様な事では、「戦がどうなるか」と申す様な事では誠の民では無いぞ。代が愈々のトコトンとなったから、今に大神様まで悪く申す者出て来るぞ。「宇部素名ウブスナ様なんぞ有るものか」「悪神ばかりぞ」と申す者、沢山出てくるぞ。個の余始まって無い時ざから、我が身我家が可愛いようでは神の御用務まらんぞ。「神の御用すれば、道に従へば、我が身我が家は心配無くなる」と云う道理、分からんか。何もかも結構な事に楽してやるのざから、心配せずに分からん事も素直に云う事聞いて呉れよ。

個に嘘つく親は無いのざぞ。神界の事知らぬ臣民は、色々と申して理屈の悪魔に囚われて申すが、今度の愈々の仕組みは臣民の知りた事では無いぞ。神界の神々様にも分からん仕組みざから、とやかく申さずと神の神示、腹に入れて、身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。個の神示フデは世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労した落ちぶれた人で、苦労に負けぬ人で「キチガイ」と言はれ、「アホ」と言はれても神の道、素直に聞く臣民出ないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて、代に出てゐる霊人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いぞ。十一月二十九日、一二⦿

<引用者からの一言>

最近、私は、風邪を引きました。私は、2~3日で治ってしまうのですが、一ヶ月もかかりました。思い当たる節があります。それは、リンパマッサージなのです。昨年も、同じような事がありました。

癌の治療をされていたお客様が、覆水が貯留して、みるみる痩せて行き、フラフラしながら、我が家に来られて、ベッドに上がる力も無くて、ソファーにもたれかかりながら、ケアをしました。その後、その方は、一、二週間で亡くなりました。私は、ケアをしたその日の夜、自分の呼吸が苦しくなってきて、眠れませんでした。あんなに、夜が長いと感じたことが、在りませんでした。その後に、風邪をひきました。その風邪も、治る迄には、一ヶ月程、かかりました。私の免疫力が、落ちたのが原因であると思われます。

最近、80歳位の男性で、痩せ細った方、足が冷えて、来る度に、足が痛いと、おっしゃっていました。ケアをすると、全身が暖かくなって、身体が楽になったと言われて、月に一回程、通ってくれています。足が冷たいので、玄米で作ったクッションで足を暖めてケアをしました。その日は、足だけではなく、全身が痛いとおっしゃっていました。私は、いつもの様に足を温めながら、ケアをしましたが、なかなか、足が暖まりませんでした。しかし、ケアが終わるころになって、やっと、足が暖かく成って来た様に思われます。しかし、その後、腰がだるくなって、身体が疲れて、早く寝ました。しかし、翌日、喉が痛くて、咳が出て、声も嗄れて、二日間程、声が全く出ませんでした。更に、目ヤ二が右目にたっぷり、目が開きません。柿の葉茶や緑茶で目を拭いて、喉は次亜塩素酸でうがいをして、然し、なかなか治りません。咳が烈しくて、尿が漏れました。二人目の双子の娘をお産した時を思い出しました。 あの頃、咳をすると、尿が漏れて、困って、それで、テニスやヨガに通いました。

女性は、産後に尿漏れが出現する事が、多くあります。その原因は、お産なのです。私は一人目のお産後には、尿漏れがありませんでした。二人目のお産で、切迫仮死と診断されて、お医者様が、会陰切開をして、吸引カップで、引っぱって、分娩しました。双子だったので、続けて二回も吸引になりました。その後から、尿が漏れて、約、一年間、苦しみました。三人目のお産の時には、もっとひどく成るのではと心配していましたが、三人目は吸引分娩ではなかったので、ひどくなりませんでした。

産後に尿漏れで苦しんでいる女性が多く居ます。お産が原因である事を確信しています。お産は時間をかけて、ゆっくりと会陰を延ばして、会陰が延びてから、赤ちゃんが産まれるのが良いのですが、今の若い医者は、待つ事が出来ません。私が助産師として大学病院の分娩室で、ゆっくりとお産を進めていた時に、ある若い医者が来て、私に言いました。「上手なお産を俺に見せたいと思ってでもいるんだろ」と…。私はビックリしてしまいました。

帝王切開の方が、尿漏れができませんので、むしろ、帝王切開の方が良いのかもしれません。しかし、今度は、オキシトシンと言われる愛情ホルモンが少なくなるので、母乳分泌が悪くなるし、育児にも影響がでるとも、最近、言われています。

最近の厚労省会議録で、難病のテーマが取り上げられ、私のブログに抜粋して載せて居るのですが、難病の病気の種類が非常に多いのに、ビックリです。免疫力が落ちてくれば、重症になります。今の医療は、病気の原因を治す治療が少ないのです。むしろ、治る経過の症状を抑える治療になっていて、副作用で、更に、新たな病気を作ってしまいます。

西式健康法では、症状即療法と言われて、症状は治る経過なので、症状は抑えてはいけない、と言われています。

ホメオパシーの由井寅子さんは、インナーチャイルド時代の感情の抑えが原因となって、自閉症等、発達障害が起こるとおっしゃっています。殆どの精神障害は乳幼児への幾種類もの予防接種、水銀、アルミにも原因がある、とも言われています。

熱が出れば解熱剤、咳は鎮咳剤、痛ければ鎮痛剤、重症になれば、ステロイド剤、どんどん、病気が悪化して、免疫力が落ちて来るばかりです。そのうちに、免疫疾患、慢性病、難病になります。精神薬の薬も、殆どが、症状を抑える薬なのです。殆どの薬は、病気を治していません。これが現実なのです。薬では病気は治せません。お医者様は病気を治していません。

病気を治す力は、自分の身体に元々、存在しているのです。歪められた心、間違えた生活、そして、毒、それに気付くことが大切である様です。西洋医学に欠けているのは、魂の存在や自己治癒力であるようです。

魂と心と身体とがバラバラに成っているのです。魂と心と身体は、三位一体なのです。ソウル、マインド、ボディー、それが、難病を治す鍵である様に思われます。

 <2015.4.5>

 

78)臣民逃げて目、塞いで、「我善し」と云う悪魔と学が邪魔してゐる事に、まだ基憑キツかんか!!!

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/hitukunomaki.pdf

第三十七帖(二一○)

添テンにも、吾真手等住め大神様アマテラススメオオガミサマ、吾真手等素大神様アマテラスオオガミサマある様に、智にも吾真手等素住め大神様、吾真手等素大神様あるのざぞ。供仁クニにも憑き代巳ツキヨミの大神様、隠れて御座るのざぞ。

素査成スサナるの大神様、罪・穢れ祓ひて隠れて御座るのざぞ。結構な尊い神様の御働きで何不自由無く暮らしておりながら、その神様ある事さへ知らぬ臣民ばかり。これで「個の代が治まる」と思ふてか。神神祀カミガミマツリりて、神神に纏マツはりて、神国の祀り事、致して繰れよ。つまらぬ事、申してゐると、愈々詰まらぬ事になりて来るぞ。十一月の三十日、ひつ九神知らすぞ。

第三十八帖(二一一)

大きなアジアの国々や、州々シマジマ八十ヤトの人々と、手、握ニギり合アひ神国の、「光輝く時来し」と、皆喜びて三千年、「神の巳業ミワザの時来し」と、思へる時ぞ神国の、誠マコト危アブナき時なるぞ。夜半に嵐のドッと吹く、どうする事もなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の実個等ミコラを連れ去られ、後には途支寄トシヨり、片和カタワのみ。女・子供もひと時は、神の身個足ミコタる人々は、悉コトゴトく暗い臭い屋に、暮らさな成らん時来るぞ。宮は潰され巳文皆ミフミミナ、火にかけられて灰となる。個の世の終わり、近付きぬ。「個の神示、心に入れ呉れ」と、申してある事判る時、愈々間近に成りたぞよ。出かけた船ぞ、褌フンドシ締めよ。十一月三十日、ひつ九のか三。

第三十九帖(二一二)

喜べば喜ぶ事、出来るぞ、悔やめば悔やむ事、出来るぞ。先の取り越し苦労は要らんぞ。「心配ココロクバりは要るぞ」と申してあろがな。神が身智憑ミチツけて楽に行ける用に嬉し嬉しでどんな戦も切り抜ける用にしてあるのに、臣民逃げて目、塞いで、付所フトコロ出しでゐるから苦しむのぞ。「我善し」と云う悪魔邪魔してゐる事に、まだ基憑キツかんか。嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。仁翻ニホンの人民は、何事も見え透く身魂、授けてあるのざぞ。神の身個ミコざぞ。掃除すれば何事もハッキリと移るのぞ。早、判らねば悔しい事出来るぞ。言葉と個の神示説きの動きと五つ揃ったら、誠の神の身個ぞ。十一月の三十日、ひつ九のか三神示。

<引用者からの一言>

「火憑くの巻」では、かなり厳しい事を云われていると思われます。

私達は、計り知れない恩恵を、宇宙の神様から戴いております。それなのに、人間は、神様にでも成ったかのような振る舞いをして、宇宙の神様が御創りに成られた自然を、悉く、浅はかな智恵で、身勝手な判断で、振り廻されております。

今の時代は、誰の目から見ても、おかしいです。大自然が怒るのも、無理はありません。

私は、助産師なので、分娩の世界を見て、感じている事があります。

何故、自然な行為の分娩なのに、そんなに、分娩費用が高額になっているのでしょうか?

若い夫婦にとって、今の不景気な時代には、結婚して子供を産む事は、もはや、困難です。分娩手当金等の補助があったとしても、それだけでは足りません。

巷の病院の分娩費用をみてみると、毎年、毎年、高くなる一方です。優雅に、デラックス個室に入ろうと思うならば、優に百万円は掛かります。

私が、30数年前、最初の娘をお産した頃は、お産費用が、20数万円でした。それでも、結婚したばかりだったので、支払うのが大変でした。お祝いの品を御近所から戴いたのですが、我が家はお金が無くなってしまって、直ぐにお返しが出来ませんでした。御近所での評判を悪くしてしまいました。1カ月後に、ボーナスが出て、お返しをしたのですが、もう、遅いです。評判の流れる方が早いです。後で聞こえて来て、唖然としました。

二年前に、娘がお産した時には、普通の病院でしたが、60数万円でした。娘夫婦は結婚して、3年位、妊娠していなかったので、その3年間で、夫婦二人で働いて、なんとか、分娩費用を蓄えることができたようです。今の、我が家の周辺での病院の分娩費用を聞いてみると、だいたい60万~70万円が相場のようです。贅沢しようと思うならば、100万円も掛かります。分娩後には、乳房マッサージやら、ベビーマッサージやら、アロマやら、リンパやら、ヨガやら、至りつくせりのサービスが病院には存在しているようです。もちろん、無料ではありません。乳房マッサージは30分で3千円も取るようです。離乳時期の1年後の卒乳の計画まで、サービスがある様です。

私の友人の助産師が、産院の乳房マッサージを本業にしています。がんを、3人も見付けたよ、と言われていました。乳がんになる若い方が多い様ですネ。巷には、助産師で無くても、乳房マッサージだけで仕事をしている人もいるようです。それでも、溢れんばかりのお母さん方が来ているようです。

本来は、分娩でも、母乳でも、自然な流れの一部なのですから、出産、授乳、育児には、多額のお金は必要ありません。しかし、今の時代では、人間の手を加え過ぎてしまったがために、分娩費用が高額に成ってしまいました。そのような現実が、あちらこちらに見受けられます。

世の中が、自然な流れに逆らっているがために、私達は、無駄にあくせくと働いて、疲れきっているのです。

水(浄水器・ペットボトル)、土(ベランダ栽培)空気(空気清浄機)運動、健康維持など、一昔前には無料であったものが、どんどん、有料になって、高額になっています。

いったい、何処まで、大自然の流れから、人間世界は、かけ離れて行くのでしょうか…。

神様の目から眺めてみたら、この世界は、アホとしか思えません。アホな人間を、正しく導こうとして、一二三神示をこの世に出してくれても、無理であると思われます。ひふみの神様は、叱咤、激励、嘆願までされているのに、本当に、アホには、一苦労ですネ。かなり強い口調でおっしゃられている様に思われますが…。

兎に角、私の好きなコーヒーが高くなってしまいました。どんどん、世の中がおかしくなってきました。なるようにしか成らない時は、なるようにしかなりません。来るべき事は避けられません。しっかりと神示を汲み取って、基を崩さない様にしましょう。

私は中島みゆきのファイトの歌が好きです。お魚の鮭は、ひたすら、川を登り続け、痩せ細って、最後は死にます。しかし、それが、鮭の魚に生れた船なのです。人間に生れた船を、最後まで乗り続けましょう。

「心配ココロクバりは要るそ」と云われています。「心配」と「心配り」は同じですネ、気付きました。悔やんだり、取り越し苦労は不要でも、心配は必要なのですネ。神様も心配されていると思われます。<2015.4.7>

79)美しき吾が成瀬の実事ミコト、説トき廻メグり来る時あれば、個コの智引チビキの岩戸、共に明けな

神示をこの世におくり出されたお方、天の火憑くの神

第六卷 火憑くの巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/hitukunomaki.pdf

 

第四帖(二一三)

個個ココに位座七の実言、語らひ辛く、「吾連実増アレミマシしと憑繰ツクれる供仁クニ、未イマだ憑ツく理リ終オへねど、説トき待マちて憑繰ツクる経ヘに、善ヨい余ヨ、待マちてよ」と宣り給ひき。個個に位座七の実言「実増ミマし、憑繰ツクらはねば、吾アと憑繰ツクらめ」と宣り給ひて「帰らむ」と申(正)しき。個個に位座七の実言、是、聞き給ひて、身頭に大怒土オオイカツチ、大怒土、胸に火の怒土イカツチ、火ノ怒土、身腹には黒怒土、黒怒土、各連に柵サク怒土、柵怒土、左の身手に脇ワキ怒土、脇怒土、右の身手に、地ツチ怒土、地怒土、左の身足に成る怒土、成る怒土、右の身足に節フシ怒土、節怒土、成り給ひき。位座七の実言、個見コミ、畏カシコみてとく帰り給タマえば、位母イモ・位座並みイザナミの身言は余持ヨモつ支個芽シコメを追はしめき、個個に位座名の実言、供路神クロカミ且カつ等ラ執ヨり、また油憑通真供支ユツツマクシ、引きかきて、投げ打て給ひき、位座七の実言、憑きの八種ヤグサの位加憑智神イカツチガミに代持ヨモつ戦イクサ(位供査イクサ)、副ソへて、追ひ給ひき。個個に位座七の実言、途憑加トツカの剣ツルギ抜きて後方シリヘテに振フきつつ去り、三度ミタビ、余持ヨモつ火等査加ヒラサカの鎖加基サカモトに至イタリり給ひき。査加基成サカモトる桃の実、一二三取りて待ち受け給ひしかば、言事コトゴトに逃げ給ひき。

個個に位座七の実言、桃の実に宣ノり給タマはく、「身増し、吾助アタスけし毎ゴト、あらゆる青人草の苦瀬ウキセに悩む事あらば、助けてよ」よ宣り給ひて、「また吾支派等アシハラの仲憑地ナカツチクニに、あらゆる移くしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよ」と宣り給ひて、「大加務憑身オオカムツミの実言、大加務憑身ノ実言」と名憑ナツけ給ひき。個個に位座七の実言、息吹き給ひて千引岩チビキイワを余巳ヨミ(読み)火等査加ヒラサカに引き添へて、その意思、中(仲)にして合ひ向かひ経タたしてつつしみ申し給ひ辛く、「美しき吾が成瀬の実事ミコト、説トき廻メグり来る時あれば、個コの智引チビキの岩戸、共に明けなん」と宣り給へり。個個に位座七の実言「私加寄シカヨけむ」と宣り給ひき。個個に位母イモ・位座並みの身言、「身増しの国の人草日に千(智)人死け」と申し給ひき。位座七の実言、宣り給はく、「吾は一日に千五百生まなむ」と申し給ひき。

個の巻、二つ吾和して『⦿ の巻』とせよ。十一月三十日、ひつ九か三。

<引用者からの一言>

火憑くの巻が、ここで、最後となります。イザナミの女神様が、イザナギの男神様と別れた、その後の、やりとりの場面です。イザナギとイザナミの夫婦神様は、地球をお創りになる使命を、宇宙の神様から命じられて、もう少しの、80%の所で、分かれ別れになったようです。そこで、イザナギの男神様が、その後の20%を、御一人で御創りに成ろうとしたのですが、どうも、うまく行きません。イザナミの女神様は、まだ、作り終えていない様子をみて、辛そうに、「善い世に成るのを待っています。」と語られています。

イザナギの男神様は、「吾と一緒につくろうよ、帰ってきて呉れよ」とおっしゃっています。その言葉を聞いたイザナの女神様は、かなり、御立腹されたようです。イザナギの男神様は、畏れおののき、引き返しましたが、桃の実に乗り、「あらゆる人草が苦しみ、悩むことがあれば、助けてくれよ」「うつくしき青人草が苦しい立場に落ちて苦しくなって居る時に助けてくれ」、と云っています。しかし、イザナミの女神様は美しき吾が成施の実事、説き廻り来る時あれば、個の智引の岩戸、共に明けなん」とおっしゃっています。

イザナミの女神様は、「美しき吾が成瀬の実事ミコト、説トき廻メグり来る時あれば、個コの智引チビキの岩戸、共に明けなん」とおっしゃられています。「美しき吾が成瀬の実事ミコト」、それが、鍵ですネ。その時期がきたら、「共に岩戸を開けましょう」、とおっしゃられています。

私達は、「人草」なのですね。今の世の中は、草が多すぎるのかもしれません。草の勢いは凄いですからネ。畑に種を蒔いたら、草取りは欠かせません。草を放っておいたら、草だらけになってしまって、収穫ができません。「青人草」が「美しき吾」になるまで、まだまだ、イザナギの男神様は一日に、千五百の青人草を生み、イザナミの女神様は一日に千人の青人草を殺す、と云われています。生き残れるのは三分の一ですネ。「美しき吾」が鍵の様ですネ。イザナギの男神様は「私加寄シカヨけむ」、この意味が良く判りませんが、私利私欲のある人草がいる間、のように思われます。私利私欲の人間が居る間は、イザナミの女神様は、一日で千人の人草殺し、イザナギの男神様は一日千人の人草を生む、という悪循環が続くようです。果たして、この悪循環から、私達は、抜け出せるのでしょうか?

 

80)模モすのは悪のやり方ぞ、それが悪の深き腹の一倫ぞ。初めから基の代の道、冶冶ヤヤの道、有れば良ひ

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第一帖(八一)

「三ミはゐくら有るなれど、どの身途ミトでも良ひ」と模モすのは悪のやり方ぞ。基モトの三ミは火ヒぞ。「初めから基の代の道、冶冶ヤヤの道、有れば良ひ」と模モしてゐるが、どな事しても「それ見ておれば良ひ」世に模モしてゐるが、それが悪の深き腹の一倫ぞ。基の三は火の三、神の成れる三。神の名加の  成り続く⦿ は代の巳。個の事、付いて来、余も身も無ひなれど、「一が二」図る奥の三ぞ。途に行けば、固の事図るのざぞ。個の道は、添()、火火ぞ。八月十日、ノ一二⦿

<引用者からの一言>

読むよりも、書く方が、より理解できるのではないのかな?と思って、書いているのですが、神示の内容が、どんどんと難しくなってきました。

神示を理解するには、言葉の壁があります。神示の言葉には、人によって、色々な解釈ができます。間違って解釈してしまう人が多い様なのです。

巷の、聖書でも、仏教でも、イスラム教でも、今では、本基が見えていないと言われています。それだけ、神示を理解することが、難しい様です。

そこで、今回から、神示の言葉を、もう少し解釈してから、書くこととしました。

「原文、直訳文、変換対応表」http://hifumifude.digi2.jp/fude/genchokutaiouhyou.pdf、が。神示のホームページにありますので、それを参照にします。

三は「道」の意味。「巳」と云う事、憑き続く素型スガタ…。

火は、直接臣民に関わる事の意。

歩く道、憑く霊は、人によって、どの道でも良い、けれども、模倣は悪い道である、と云われていますね。

巷に、こうすれば成功すると言って、その秘訣を教えてくれているブログ等が沢山、目にします。しかし、それは悪いやり方である様ですネ。真似は悪いやり方なのです、と、はっきり、神示ではおっしゃっています。真似は危険である様ですネ。人間の器の基盤を、しっかりと持っていなければ、人の真似だけではいけないのだと思われます。

お金儲けにしても、人間としての、基盤をしっかりと持っていなければ、お金に流されてしまいます。巷に、宝くじが当たって、多額のお金が入った人に、身を滅ぼしている方が沢山居る、と聞きます。もし、お金を儲けよう思えば、どの道を歩いても良いのだけれども、人間としての本基をしっかり持っていなければ、危険な事が多い様です。安易に、模倣をしてはいけないのです。人としての道を踏み外さない事が大切であると思われます。それを教えた上であれば、構わないと思いますが、なかなか、そこまで教えてはくれる人はいません。そうしなければ、お金儲けは、人間を滅ぼしかねません。

善の道を踏み外さなければ、どんな道を歩かれても良いのですが、未熟な人間にとっては、善なのか、悪なのか、判断がつきません。

私利私欲、自分だけ、今だけ、の欲を極力持たないで、明るい未来に向って、模索する事が大切である様に思われます。その道は、日々、自分で、考える。人間としてどうあるべきか、基盤をしっかりともたなければいけないと思われます。

台風が来て、倒れない木は、根がしっかりしています。しかし、根が弱ければ、吹き飛ばされてしまいます。これから、どの様な世の中になるのか、拭き飛ばされない為にも、人間としての土台作り、それは模倣では作られません。それが生き抜く鍵であると思われます。<2015.4.16>

81)まだまだ悪くなって来る、まだまだ落ち沈まねば、剣と鏡だけでは戦勝てん、早う身魂、磨いて呉れ

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第二帖(八二)

か一ヒ(加火カヒ)の冶真冶真ヤマヤマに起タちて、火ヒれ付フりて祓ハラひて繰クれよ。一二ヒツク⦿に仕経ツカヘている臣民、替わる代わる個の御役オヤク務ツトめて呉れよ。今は分かるまいなれど、結構な御役ぞ。

「個の神示フデ、腹の仲に入れておいて繰れ」と申すに、云う事聞く臣民少ないが、今に後悔するのが良く判りてゐるから神はくどう基憑キツけておくのぞ。読めば読む程、親途供シントク有るぞ。どんな事でも判る様にしてあるぞ。云う事聞かねば一度は種だけにして、根も葉も枯らしてしまうて、継ぎの代の大掃除せねば成らんから、種の有るうちに基憑キツけておれど、基憑キツかねば気の毒出来るぞ

今度の祀マツり御苦労でありたぞ。神界では神々様、大変の御喜びぞ。雨の神、風の神殿、殊コトに御喜び成りだぞ。個コの現アられ、「火親ヒオヤぞ」と安堵アンドするぞ。個コの時トキ、付治フジ・成ナる途トが名繰ナグリり返るとても勇められん。名ナ、繰クり返カヘるぞ。早、皆神して呉れよ。八月の十一日、⦿ のひつくの⦿

第三帖(八三)

メリカもキリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも幽界ガイコクは皆ミナ一つになりて、神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。

学と神力との戦」と申してあろがな。どこからどんな事出来るか、臣民には判るまいがな。一寸先も見えぬ程曇りておりて、それで「神の臣民」と思うてゐるのか。地区性チクショウにも劣りてゐるぞ。まだまだ悪くなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の皆神出来ん臣民、沢山あるぞ。「」とは御霊オンタマぞ。「鏡」とは内に動く御力ぞ。「剣」とは外に動く御力ぞ。これを「三種ミクサの神宝カンタカラ」と申すぞ。今は「魂タマ」が無くなってゐるのぞ。「鏡カガミ」と「剣ツルギ」だけぞ。それで「世が治まる」と思うてゐるが、神腎の真仲、無いのぞ。それで散り散りバラバラぞ。「あ」と「や」と「わ」の「代の基要るぞ」と申してあろがな。個の道理判らんか。剣と鏡だけでは戦勝てんぞ。それで「早う身魂、磨いて呉れ」と申してあるのぞ。上下無いぞ。上下に引っ繰り返り返すぞ。もう神待たれん所まで来てゐるぞ。身魂、磨けたらどんな所でどんな事してゐても心配無いぞ。神界の宮個には、悪が攻めて来てゐるのざぞ。八月の十二日、⦿のひつくの⦿

<引用者からの一言>

「鏡と剣」だけでは戦に勝てん、とは、見えている現象世界だけを見て、なんとかしようとして、お金や武器、学の力で、解決しようとしても、それだけでは、治められない、と云われているように思われます。

中丸薫さんの御著書を読むと、世界情勢の闇の事が半分と、魂の磨き方が半分、その二つが御著書には、必ず、書かれています。私は、中村薫さんが師と仰ぐ、高橋信次氏の御著書を全部、読んでいましたので、中丸薫さんが、このような書き方をしている理由が、少しですが、理解ができていました。高橋信次氏が言われるには、この世界を悪くさせているのは、私達の心なのです。地位や権力、金や財産、家柄、自己保存と自我我欲の心が原因なのです。私達の心と行いが原因なのです。それが、この世を乱しているのです。心の在り方や生活の在り方、人間の基本を忘れた教育、それが、社会の混乱の原因なのです。このままでは、混乱と自滅への道を辿るよりほかない、と、高橋信次氏は云っておられます。もう少し書いてみます。この世界には、きびしい心の修業の段階があり、自ら神の子として自覚するまで、きびしい修業が課せられている。人間はいつの日か、誰でも神の子として自覚し、救われるようになっている。しかし、私達の心は常に変化しており、恨みや妬み、そしりの心があれば、即座に地獄界の暗い世界にその心は通じ、苦しみの原因を造り出してしまう。

慈悲深く、常に自らにきびしく、中道を心の物差しとして生活している人々の心は、光明に満たされ、苦しみの原因を造り出さない。

中道を忘れた両極端な心は、自ら苦しみの種を蒔いてしまう。自ら蒔いた悪の種の結果は、自ら刈り取る。それが、神の子としての掟、と、云われています。

片寄りのない正法を心の物差しにする、それが、八正道です。心がけたいものです。<2015.4.11>

82)獣と臣民と、本性出すのぞ、厳しいのぞ。個の行出来る人と、我慢出来ない人と有るぞ、出来ねば灰にす

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第四帖(八四)

一二三の仕組みが済みたら三四五の仕組みぞ」と申してありたが、代の基の仕組み三四五の仕組みから五六七の仕組みとなるのぞ。「五六七の仕組み」とは「巳路供の仕組み」の事ぞ。臣民とハッキリ分かりたら、それぞれの本性出すのぞ。今度は万劫末代の事ぞ。気の毒出来るから「選択大切」と申してあるのぞ。今度御役きまりたら、そのままいつまでも続くのざから、臣民よく個の神示、読みて置いて呉れよ。八月十三日、⦿のひつくのか三。

<一つ一つの意味を調べてみます>

「一二三の仕組み」は、「永久に動かぬ道」。

「三四五の仕組み」は、個の代を神の国に練り上げること。

「五六七の仕組み」は、巳路供ミロクの仕組み。

「一」は、最初の事や存在、状態を意味します。

「二」は、繋げると言う意味です。

「三」は、「道」の基。

「四」は、それぞれの世界。

「五」は、現れ出る事。

「六」は、仕上げると云う意味。

「七」は、物事の動きやまとめる事。

「八」は、お互い、団体、仲間同士。拓く事ぞ。

今が八から九に入る時ぞ。天も地も大岩戸拓き、人民の岩戸拓きに最も都合の良い時ぞ。(五葉の巻第十二帖)

「九」は、限界直前まで達している事。

「十」は、「加わる神」の意味に成る。

「百」は、「大地」「土台」全体を「結びつける」

「千」は、授かるものの事。

「万」は、満ちている事。

「卍」は、動きがある様子やその状態。

「洗濯」は、人間心捨ててしまうて知恵や学に頼らずに、神の申す事、一つも疑はず、生まれ赤子の心の初心に成りて神の教えを守る事ぞ。(火は途の巻第十六帖)

人の十倍も今の仕事して、その上で⦿カミの悟用するのが洗濯ぞ、掃除ぞ」と申して知らした事わすれたか。(雨の巻第十六帖)

第五帖(八五)

「食う物が無い」と申して臣民不足申してゐるが、まだまだ少なくなりて、一度は食ふ物も飲む物も無くなるのぞ。何事も行であるから喜んで行して下されよ。他気タキに打たれ、傍個請ソバココうて行者ギョウシャ、行ギョウしてゐるが、断食する行者もゐるが、今度の行は世界の臣民皆二度と無い行であるから、厳しいのぞ。個の行出来る人と、用、我慢出来ない人と有るぞ。個の行出来ねば灰にするより他無いのぞ。今度の御用に使ふ臣民、激しき仰ギョウさして神移るのぞ。今の神の力は何も出ておらぬのぞ。「個の代の事は、神と臣民と一つに成りて出来る」と申してあろがな。早く身魂、磨いてくだされよ。「幽界ガイコクは○ソト、神の国は 」と申してあるが、は神ざ、○は臣民ぞ。○ばかりでもなにも出来ぬ。  ばかりでも、個の余の言は何も成就せんのそ。それで「神掛かれる様に、早う大洗濯して呉れ」と申してゐるのぞ。神急けるのぞ。個の御用大切ぞ。神掛かれる肉体沢山要るのぞ。今度の行は○をキレイにする業ぞ。掃除出来た臣民から楽に成るのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から善き御用に使って、神から御礼申して末代名の残る手柄テガラ経タてさすぞ。神の臣民、掃除・洗濯出来たら、個の戦は勝つのぞ。今は一分もないぞ、一倫も無いぞ。これで「神国の民」と申して威張ってゐるが、吾私基アシモトからビックリ箱が明いて、四つん這ひになっても助からぬ事になるのぞ。穴掘って逃げても土潜ってゐても、灰になる身魂は這いぞ。どこにゐても助ける臣民、助け(他透け)るぞ。神が他透けるので無いぞ。神多透かるのぞ。臣民も神も一緒に助かるのぞ。固の道理良く腹に入れて呉れよ。固の道理判りたら神の仕組みは段々判りて来て、「何と言ふ有り難い事か」と心がいつも春(張る)に成るぞ。八月十四日の朝アサ、⦿のひつ九の⦿

<引用者からの一言>

今世がタイムリミットのようですネ。卒業の時期です。果たして、地球に住んで居る人間は、全員、無事に卒業できるのでしょうか?まだ、一厘も居ない様ですネ。しかし、一厘の人間が、もし、神掛かることができれば、助かる、と、意味が取れます。一厘、一分の人間が、もし、神掛かれる肉体になることができれば、それが鍵ですね。

今度の試練は、神様は、助ける事が出来ません。人間が神様と一体に成らなければ、助からないのです。

地球も鉱物も動物も植物も、人間以外の物質世界では、もう、既に、シフトされたようですヨ。シフトが出来ていないのは、人間だけです。人間が最後に残ってしまいました。取り残されてしまっているのです。最後の試練を、宇宙の神様は、今、人間に与えています。果たして、人間は、獣に成り下がってしまうのでしょうか、これから、人間の本性が見えて来ます。

最近、やたらと、刃物を振り廻す人間が出て来ました。反対に、自分の命を顧みず、とっさの判断で、子供を助けるという行動をとる人間もみられます。きっと、それが、本性を出すということなのでしょうね。これから、獣と臣民とに分かれるのです。もし、獣となってしまったら、末代永劫、獣になるか、灰になるか、どちらかです。折角、人間として、この地球に、生を受けたのに、お気の毒様、となるのです。ですから、これから、何があっても、人間の心を失わないようにしなければいけないようです。頑張りましょう。<2015.4.113>

83)今は悪が栄えてゐる、今は善の神が善の力弱いから、善の臣民苦しんでゐる、人間の世界が一番遅れてゐ


第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第六帖(八六)

今は善の神が善の力弱いから、善の臣民苦しんでゐるが、今暫くの辛抱ぞ。悪神総掛かりで善の肉体に取り掛かろうとしてゐるから、よほど、褌フンドシ締シめておらんと負けるぞ。親や個に悪の神憑かりて苦しい立場にして、悪の思ふ通りにする仕組み立ててゐるから、基を憑けて呉れよ。神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神世の、も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ。三四五ミヨイズから五六七イムナの代に成れば、添テン智チ光りて何もかも見え透スくぞ八月の事、八月の世界の事、よく基憑キツけておいて呉れよ。「愈々世が迫り来ると、やり直し出来ん」と申してあろがな。いつも剣の下にゐる気持ちで、心引き締めておりて呉れよ臣民、口で食べる物ばかりで生きてゐるのでは無いぞ。八月の十五日、ひつく⦿と、⦿のひつ九のか三ミ記シルさすぞ。

第七帖(八七)

悪の世であるから悪の臣民、世に出て御座るぞ。「善の代にグレンとひっくり返る」と申すのは、善の臣民の代になる事ぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、個の代では人間の世界が一番遅れてゐるのざぞ。草木はそれぞれに神の命の真に成ってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも尊くなったであろが。一筋の糸でも光出て来たであろがな。臣民が本当の務めしたならどんなに尊いか、今の臣民には見当取れまいがな。神が御礼申す程に尊い仕事出来る身魂ぞ。殊コトに神の国の臣民皆、誠の光現したなら、添智が輝いて悪の身魂は目開いてはおれん事になるぞ。結構な智筋チスジに生れてゐながら、今の姿は何事ぞ。神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが、臣民の戦ぐらい、何が怖いのぞ。それより己の心に巣食うてる悪の身魂が怖いぞ。八月十六日、⦿のひつくのか三。

<引用者からの一言>

八月のようですね。何もかも見え透スくのが、八月になれば、判るようです。その日がくるまで、悪心のお持ちの方は、善心に入れ替えなければ、「神は、いつまでも待てんから、いつ気の毒できるか知れん」と、おっしゃっておられます。

自分の行いをが、果たして、善であったのか、悪であったのか、それが、裁かれる時です。自分で、正しいと思っていても、神様の目からみたら、間違っているのかもしれませんし、正しいと思ってやって居た事が、間違っていたのかもしれませんし、それが、神様によって、裁かれるのが、八月であるように思われてきました。

次のブログの記事を見て、私はびっくりしました。これって、誰がみても、おかしいと思われますが、どうなのでしょうか? 私達が、長年、信じてきたお役人は、この様な有様だったのです。唖然としました。

 

http://lite-ra.com/2015/04/post-1018.html

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安倍首相も実践? 内閣参与・飯島勲が不祥事をごまかす卑劣な手口を自慢げに公開!

「私のこれまでの経験から、日本社会の中で組織を生き抜き、権力をつかむ方法を伝授する」という飯島参与だが、国際性やリーダーとしての資質論はほとんどなし。とにかく、自分の利益や地位を守るために手段を選ぶな、とばかりに、嘘やデタラメ、不公正、責任放棄といった卑劣きわまりないやり口を読者にアドバイスしまくっているのだ。

飯島氏はなんと実力主義を否定し、「バカ」の重用を提唱する。

「ここは思い切って『バカ』を徹底的に利用するのがいい。明らかに能力不足の部下であったなら、むしろ大きな権限を与えて重用する。その部下は大喜びするだろうし、自分に対して敬意を払う

逆に有能な人材を重用しても、それは当然だと思われ感謝もされず、自分を軽視さえする。しかし「バカ」を重用すれば恩を感じて絶対的味方になるというのだ。

「実力主義は組織存続のための最小限にとどめ、人材登用はまず『敵』『味方』で行うのが現実的な知恵だ」

一方、上司に対してはどう対処するか。飯島氏は「上司が『カラスは白い』と言ったら正しい返事は、どっち?」と読者に質問を投げかけたうえで、当然のように「カラスは真っ白」が正解だと断言する。

組織で理不尽はつきもの。上司がちょっとおかしなことを言ったからといって笑って受け流さなければ社会人などやっていられない

部下を「バカ」呼ばわりし、上司には徹底的に媚びへつらう。

「会社のスキャンダルが表沙汰になったら、一切の責任を誰かに押し付けて、一目散に逃げることをお勧めする。(略)設備投資がほとんどなく、アイデア一発勝負で起業でき、慢性的人手不足のIT産業なら、重大な不祥事が明るみにでた時点で退職金をもらって遁走すべきだろう。
投資関連会社なら、大金を稼ぐなり、
ノウハウさえ盗みなりすればあとはどう蒸発するかを考えたほうがいい。このような業種にいるのならメディアや捜査当局と戦うメリットは一つもない」

さらに、メディアや捜査当局と対峙しなければならなくなっても、明白な違法行為でない場合は、「価値観の違いであると強弁すること、絶対に謝ってはいけない」と断言する。

トップが謝ってはならない、と主張する。謝罪に関しては、広報と担当部署が書面で済ませてしまうのが一番いい」 カメラの前で謝れば、マスコミの扱いも大きくなるから、無味乾燥な書面がベストだという。また会見じたい、法的に義務付けられているわけではないから「無視できるだけ無視したほうがいい

「『商品の回収など生ぬるいことでは問題を反省したことにはならない。現地法人の経営者を即刻クビ、法人を解散させる』と、記者をびっくりさせる大げさな幕引きをするという手もある。後日、同じ人間を経営者に、別の名前の会社が、同じ場所で発足するという算段だ

メディアの追求は一過性のものだから、時間が経てば後追いしないと飯島氏は嘯く。

企業に社会的責任が求められる昨今の傾向とは真逆の、無責任きわまりない手法のアドバイスこんな人物が内閣参与を務めているという事実に愕然とするが、実は飯島氏は政治家に対しても、同様の事実隠蔽責任放棄をすすめている。

飯島参与はこれまで数多くの閣僚の身体検査を行ってきたが、ほとんどの政治家は怪しい領収書の一枚や二枚は必ず出てきたという。 収支報告書の“修正”ではなく“改ざんのススメ”ともいえるものだが、飯島参与はこれを自分の手柄だと言わんばかりに自慢し胸を張る

政治としての使命や有権者に対する責任を一切顧みない、自分の地位や権力を維持するための方法が延々書かれている、

野尻民夫

この様な内容を、「秘密の教養」の題目で、御著書を書いて、平然と暴露しているのです。決して、許されるものでは有りません。しかし、悪の世界を生き抜くには、必要であったのかもしれません。しかし、こんなに、ひどかったとは、思ってもいませんでした。こんな、考えで居られたとは、ビックリ仰天。これでは、決して、善い社会にはなりません。誰が見ても、間違っています。ひっくり返さなければいけません。神様に頼らずとも、私達自身の手で、ひっくり返さなければいけません。私達だって、いつまでも待てませんからネ。
<2015.4.14> 

84)「物足らぬ足らぬ」と臣民泣いてゐるが、足らぬので無いぞ。「足らぬ」と思ふてゐるが、余ってゐる。

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/fujinomaki.pdf

第八帖(八八)

山は神ぞ、川は神ぞ、雨も神、風も神ぞ、添智テンチ皆、神ぞ。「神、祀マツれ」と申すのは「神に祀マツらふ事」と申してあろが。神々祀マツり合はす事ぞ。皆、何もかも祀マツり合った姿が神の心ぞ。皆、祀マツれ何も足らん事ないぞ余る事無いぞ。これが神国の姿ぞ。「物足らぬ足らぬ」と臣民泣いてゐるが、足らぬので無いぞ。「足らぬ」と思ふてゐるが、余ってゐるではないか。上の役任殿、まづ神祀れ。神祀りて神心となりて、神の性治セイジせよ。戦イクサなどは何でもなくケリ付ツくぞ。八月十七日、⦿の一二のか三

<引用者からの一言>

私は、字を書くのが下手だと、幼い頃から、ずっと、思っていました。

私は、物覚えが悪いし、仕事がのろい方だと、ずっと、思っていました。

私は、コミュニケーションが下手だと、ずっと、思っていました。

全てに対して、私は、自分に、自信を持つ事が出来ませんでした。

そこで、自分に自信を持つ様に、少し、努力をして見ることにしました。

お習字に通いました。しかし、10年経っても、中々、上手に成りません。

仕事がのろいので、人一倍、熱心に働きました。しかし、子育てを疎かにしていることに、気付きました。

コミュニケーション能力を高めようと、セミナーに通いました。しかし、殆どが徒労に終わりました。

私は、疲れてしまいました。努力するのを諦めました。そこで、私は、受け入れることにしました。私は、字が下手でもいい、物覚えが悪くてもいい、仕事がのろくてもいい、コミュニケーションが下手でもいい、そう思ったら、肩の荷が、すっと、下りて来ました。

アナと雪の女王のセリフと同じ様な気持ちに成ったのです。

私は、今迄、他人の目を気にしながら、生きて来たのです。他人の目よりも、己自身に目を向けなければいけなかったのです。そこで、瞑想をしてみたくなりました。しかし、方法が解りません。スピリチャルのセミナーに通ってみました。結局、心身のリラックスと、心のコントロール、その訓練でした。そこで、物差しが変わりました。

今迄は、人の目が物差しでした。しかし、その物差しを捨てました。物差しは、その場、その場で、ころころと、変えてよいのです。物差しは、自分では、決められないのです。自分で決められる物差しは、何もないのです。決めるのは、大自然なのです。そう思ったら、大自然、神様が相手になりました。そう思ったら、己の存在がちっぽけになってしまいました。ちっぽけな自分になってしまいました。神様が相手であれば、全てを受け入れるしかありません。

漢字やひらがな、片仮名の字が神様に見えて来ました。そう思ったら、字に対して、畏敬の念が湧いてきました。上手く書こうではなく、畏敬の念で書く様になりました。そう思って書いていたら、字に癖がなくなったのか、お習字の先生に褒められる様になって来ました。

仕事では、気付きを大事にしています。神様はその人の、能力の段階に応じて、気付きを与えているようなのです。そこで、気付けば、即、行動に移す様にしています。上手く行かない事が多くて、失敗ばかりなのですが、やってみなければ、解りません。やってみて解ります。神様から試されているのです。

人間が、この地球上で生き抜く能力を、元々、神様が全て、与えています。しかし、人間の心が、邪魔をしているのです、人間の心が不足を感じさせているのです。

助産師で働いていた頃に、母乳が十分に足りているにも関わらず、母乳の不足感を感じて、ミルクを追加している母親が何と、多いことでしょうか。私が、言葉で、「大丈夫」と言っても、結局は、ミルクを足しているのです。

私の孫が生れて、娘が母乳で頑張ると言うので、私も、つきっきりで、みていましたが、やはり、駄目でした。赤ちゃんの性格もあるようです。私も、負けてしまいました。夜に泣くのです。昼間は母乳だけでも、落ちつくのですが、夜になると、泣いてばかりで、それが、毎日毎日続けば、私も娘も、娘の夫も、段々と疲れて来ました。そして、とうとう、ミルクを足しました。そうしたら、赤ちゃんはぐっすりと眠ってくれました。それから、ミルクを毎晩、足す様になって、段々と、昼間も母乳が出なくなってしまいました。本当は、母乳だけで赤ちゃんを育てられる身体能力を、神様が人間に与えている筈なのです。母乳が足りない事はない筈なのです。しかし、それが、解っていても、母親の心と、母親の身体と、赤ちゃんと、三位一体にならなければ、いくら、私が、乳房マッサージやリンパマッサージを頑張ってやっても、無理である事が解りました。

神様が全ての能力を、人間に与えています。しかし、その能力を切り開くには、やってみて、失敗しながら、切り開いていくしかありません。その為には、神様を、信じて、神様と自分の心と身体と一体に成らなければなりません。それが、「神様と祀れ」と云う事であるように思われます。<2015.4.19>

85)愈々地悟供の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、表は、一番の添国に出づる事ぞ。神の誠の姿と

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第九帖(八九)

神界は七つに分かれてゐるぞ。天憑国アマツコク、三つ、地ツチの国三つ、その間に一つ。添国テンゴクが上中下の三段、地国チコクも上中下の三段、中界チウカヒ(仲加火チウカヒ)の七つぞ。その一つ一つが、また七つに分かれてゐるのぞ。その一つが、また七つずつに分かれてゐるぞ。今の世は地悟供の二段目ぞ、まだ一段下有るぞ。一度はそこまで下がるのぞ。「今一苦労有る」とくどう申してある事は、そこまで落ちる事ぞ。地悟供ジゴクの三段目まで落ちたらもう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの代に、計り成るのぞ。個の余は人間に任してゐるのざから、人間の心次第ぞ。しかし今の臣民の様な腐った臣民では無いぞ。いつも神の憑かってゐる臣民ぞ。「神憑かり」と直ぐ判る神憑かりでは無く、腹の底にシックリと 鎮まってゐる臣民ぞ。それが人間の誠の姿ぞ。愈々地悟供の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ。地悟供の三段目に入る事の表は、一番の添国に出づる事ぞ。神の誠の姿悪の見られん様と、ハッキリ出て来るのぞ。「と分ける」と申してあるのは個の事ぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日 ⦿の一二⦿

第十九帖(九〇)

愈々ヒヨヒヨ戦イクサ激ハゲしくなりて食クふ物も無く何も無くなり、住む所も無くなったら行く所無くなるぞ。神の組から除ノソかれた臣民と神の臣民とどちらが偉いか、その時に成りたらハッキリするぞ。その時になりて「どうしたら良いか」と申す事は、神の臣民なら誰でも神が教えて手引っ張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ。「神の御用」と申して自分の仕事を怠けてはならんぞ。どんな所に居ても神がスッカリと助けてやるから、神の申す様にして今は戦しておりて呉れよ。添子様御心配なさらぬ用にするのが臣民の務めそ。神の臣民、言に基を憑くけよ。穢土に攻め来たぞ。八月の十九日、⦿のひつ九の⦿

<引用者からの一言>

今の世の中は、地獄の二段目なのですね。これから、まだまだ下がるのですね。これからも、まだ下がって行くのです。しかし、三段目の地獄の世界に落ちてしまったら、人間が住むことが出来ません。人間が住めない世界になってしまうのです。三段目の下の地獄の世界、そこまで落ちてしまったら、最早、人間は、人間とは言えない存在になってしまうようです。人間が、ロボット化するのか、獣になるのか、どちらかになってしまうのでしょうね。その世界になってしまったら、最早、善神様でも救いようの無い、悪魔に乗っ取られた、悪魔の世界になってしまいます。

私が思うには、ネットの世界が、今、悪魔と神が戦っている、その戦争の真最中であるように思われます。ネットの世界では、人間の想念が、盛んに渦巻いています。悪魔と神が戦っているのです。実体として、ハッキリと見えませんが、戦をしていると思われます。今、ネットの世界で、悪魔と神が、戦っています。さてさて、どちらに軍配が上がるのでしょうか?

想念の世界の戦いの結果で、これから、現象世界が決まってきます。だから、他人事ではありません。今後、人間の生きる世界が、悪魔にのっとられて、地獄の世界になるのか、人間が神憑かりになって、天国になれるのか、その、どちらになるのか、これから、ハッキリしてきます。

悪魔が勝てば、三段目の下の世界になるのです。そうなったら、人間は生きて行く事ができません。きっと、獣として生きて行くしかないのでしょう。しかし、地球は、既に、次元上昇していますから、この、地球上で、生き残る事ができないと思われます。そのときに慌てても、落ちてしまったら、もう遅いのです。それまでに、身の洗濯をしておかなければいけないのです。今だけ、金だけ、自分だけ、になっていないかどうか、将来を見据えた行動になっているかどうか。しかし、自分の仕事を怠けては成らん、とおっしゃっていますから、あまり、要らん苦労はしないで、毎日の行いを、「言に基を憑くけよ」、自分が発する言葉が、悪に乗っ取られていないかどうか、十分に基を憑けながら、が、鍵であるように思われます。

今朝、スイカとメロンの苗を買いに、夫と、種苗店に出かけて来ました。まだ、天候が、少し寒いので、家の中に入れています。果たして、無事に育つでしょうか? 夏ころまでには、結果が出ると思われます。美味しいメロンとスイカが食べられるかどうか、それも、鍵です。<2015.4.20>

86)何もかも悪の仕組みは判りているぞ。いくらでも攻めて来て御座れ、学や知恵でまだ神にかなふと思ふて

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第十一帖(九一)

神土カミツチは、白は「し」の付く、黄は「き」の付く、青赤は「あ」の付く、黒は「く」の付く山々里里から出て来るぞ。よく探して見よ。三尺下の土なれば良いぞ。いくらでも要るだけいっぱい出て来るぞ。八月二十日、⦿のひつ九の三。

第十二帖(九二)

御土オツチは神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ。個の事判りたらお土の尊い事良く判るであろがな。緒火名は女ぞ。甲斐の仕組み、御苦労であったぞ。これから愈々激しくなるぞ。よく世の中の動きみれば分かるであろが。汚れた臣民、上がれぬ神の国に上がってゐるではないか。愈々と成りたら神が臣民に移りて手柄さすなれど、今では軽石の様な臣民ばかりで神憑かれんぞ。早う神の申す事よく聞いて、生まれ赤子の心に成りて神の容れ者に成りて呉れよ。一人皆神すれば選人助かるぞ。今度は仙人力与えるぞ。何もかも悪の仕組みは判りているぞ。いくらでも攻めて来て御座れ。神には代の基からの神の仕組みしてあるぞ。「学や知恵でまだ神にかなふ」と思ふてか、神にはかなはんぞ。

八月の二十一日、⦿のひつ九の三。態智、御苦労でありたぞよ。

<引用者からの一言>

お土を知りたくなりました。そこで、「土壌菌」のキーワードで、ネット検索しましたので、先に、その内容から、御紹介いたします。

Vol.2 土壌微生物の世界 植物の生育環境を決める生物多様性

http://www.yanmar.co.jp/campaign/agri-plus/soil/articles/articles03.html

土壌には多種多様な微生物が存在し、その数は1グラムの土壌に約1001000万にもなるといわれています

土壌微生物は、自ら相手の微生物の生育を阻害する物質を生産し、スペースを取りあったり、エサを奪い合ったりしながら拮抗します。
一方お互いに共存するものもあり、増減を繰り返すことで種類と個体数のバランスを保っています。これを土壌微生物の多様性といいます。
多様性が失われ、バランスが崩れた土壌は、植物の病害や生育不良を招きます。多様性を保つことは、良好な生育環境をつくる上で大切なことです。
私たち人間の腸内細菌も同様に、多様性のバランスが保たれることで健康が維持されています。

ここで、御紹介を終了します。

土壌菌の世界には、二通りの世界がありました。

① 自ら相手の微生物の生育を阻害する物質を生産し、スペースを取りあったり、エサを奪い合ったりしながら拮抗する世界。

お互いに共存するものもあり、増減を繰り返すことで種類と個体数のバランスを保つ世界。

この二つの世界が、土壌微生物の世界には、存在していたのです。

今の社会は、取り合ったり、奪い合ったり、①の拮抗の世界であるように思われます。そんな世界が、何百、何千年も延々と続きました。そして、その副作用のオンパレードが、今の時代です。恨み、辛み、妬み、苦しみ…、政界の世界に、より多く見受けられる様に思われます。特に、日本の国は、何世代にも渡る恨みが、あるようです。この根は深いのです。それを、解決するには、土を三尺、深く掘る。何世代も前の、過去に遡って、解決するしかないように思われます。

これからは、②を目指す、②の多様性です。お互いに共存して、バランスを保つ世界です。

今、①の世界の終焉が訪れています。①の世界を終了にして、②の多様性の世界を目指さなければいけないと思われます。

長い間、私達の社会は①の世界でした。それによって「病害や生育不良」になっています。これから、私達が目指さなければいけない世界は、②の多様性の共存共生の世界なのです。土壌菌がハッキリと私達に、お手本を示していたのです。三尺のお土は、既に、汚れきっています。しかし、三尺のお土は、まだ汚れていません。深堀りをすれば、きれいなお土が、要るだけ、いっぱい、出て来ます。

お店に並べられている根菜類は、御先祖様が、永い年月の間で、お土のバランスを経験されて、得られた賜物タマモノでした。しかし、その作物にも、今では副作用が一杯です。そこで、自然農法が叫ばれています。なんと、賜物タマモノの漢字は「腸」ですね。またまた、びっくり、お土と腸は同じですね。それを、浅はかな人間の知恵で、肥料や農薬をかけ、西洋医学の医療はまさに拮抗治療です。人間の身体に応用されたら、堪まりません。

最近、西式健康法の「断食法」が出版されました。全部読んでいませんが、断食するにも、かなり、深く、理解しなければ、危険である様です。共存共生の世界は、言うは易く、行いは難し、です。一筋縄に、上手く行きません。まず、自分の意識を変えることから、始めてみる事にしましょう。もしかしたら、地球の創世紀に迄、遡らなくては、理解できないのかもしれません。全てに関して、私達は、学び直す時代であるのかもしれません。
<2015.4.21>

87)「身魂磨く」、とは、神の容れ者として神からお預かりしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いする事

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第十三帖(九三)

何もかも添支様テンシサマのものではないか。それなのに「これは自分の家ぞ」、「これは自分の土地ぞ」と申して自分勝手にしているのが神の基キに入ハイらんぞ。「一度は添智テンチに引き上げ」と知らしてありた事、忘れては成らんぞ。一本の草でも神の物ぞ。野から生まれた物、山から取れた物、海の幸も、「皆神に供ソナへてから臣民戴け」と申してある訳も、それで分かるであろうがな。個コの神示スデよく読みてさへ居オれば、病気も無くなるぞ。さう云えば今の臣民、「そんな馬鹿あるか」と申すが、良く察してみよ。必ず病も治るぞ。それは病人ヤミビトの心がキレイに成るからぞ。「洗濯せよ、相似ソウジせよ」と申せば臣民何も判らんから慌ててゐるが、個の神示、読む事が洗濯や相似の始めで終わりであるぞ。

神は無理は云はんぞ。神の道は無理してないぞ。よく個の神示読んでくれよ。読めば読むほど、身魂磨かれるぞ。と申しても、仕事をよそにしては成らんぞ。臣民申すものは馬鹿正直ざから、「神示読め」と申せば神示ばかり読んだなら良いと思うてゐるが、裏も表も有るのぞ。役引良く知らしてやれよ。八月の二十二日、⦿ひつ九のか三の御告げ。

第十四帖(九四)

臣民に分かる様に云ふなれば、身も心も神のものざから、「毎日毎日神から戴いたもの」と思えば良いのであるぞ。それで「その身体をどんなにしたら良いか」と言ふ事、判るであろうが。夜になれば「眠った時は、神にお返ししてゐるのざ」と思へ。それで良く判るであろうが。「身魂磨く」と申す事は、神の容れ者として神からお預かりしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いする事ぞ。八月二十三日、の⦿一二のか三。

第十五帖(九五)

嵐の中の捨て小船ぞ。どこへ行くやら行かすやら、先導さんにも分かるまい。メリカ・キリスは花道で、「味方」と思うた国々も、一つに成りて攻めて来る。(火自)(加火)さへ折れた舟(付根)、どうする事も無くなくに、苦しい時の神頼み。それでは神も手が出せぬ。「腐りた者は腐らして、肥やしに成り」と思へども、肥やしにさへも成らぬ者、沢山出来て居らうがな。北から攻めて来る時が、個の余の終わり始め成り。添テンに、お日様、一つで無いぞ。二つ、三つ、代憑ヨツ出デて来たら、「個の余の終わり」と思へかし。「個の余の終はりは神国の、始め」と思へ臣民よ。神々様にも知らすぞよ。神はいつでも憑かれるぞ。人の用意を急ぐぞよ。八月二十四日、⦿ひつ九のか三。

<紹介者からの一言>

今回の神示の理解が、一番難しいです。「人間の物は何一つもない」。先ず、それを理解する事が大事です。それを、理解するには、視点を変える必要があるのです。

今の時代は、人間の身体が、地球から飛びだして、宇宙に出ることが可能となった時代なのです。その結果、人間の視点や心の変化が起きたのです。今の時代の人間は、地球を見る視点が、従来と同じではありません。宇宙から、地球を眺める事が可能となったのです。その結果、私達の心が変化したのです。地球を見る視点が、宇宙から見る視点に変化していたのです。視点が変わっていたのです。その為、人間の目に、今迄、見えて来なかった世界が、見えるようになっていたのです。知らず知らずに、自然に、自然に、人間の心も変わっていたのです。この世に、「人間の物は何一つも無い」と言う事が、マクロの世界からも、素粒子のミクロの世界からも、見えるようになっていたのです。私達は、人間中心の物の考え方から、地球全体で物を見る視点に、心までも、ゆっくり、ゆっくりと、変化していたのです。無理しないでいても、私達の心が、変化していたのです。

地球が、森林が、動植物が、人間の欲で、今、世界を滅ぼそうとしている。そのような事が、誰の目からも、ハッキリと見えて来ました。それが、まだ、見えていない方は、メクラです。

誰の目からも、ハッキリと見えている、人間の災いの欲、これを、何とかしなければいけません。『「身魂磨く」と申す事は、神の容れ者として神からお預かりしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いする事ぞ』、この言葉が、何となく、私達に、道を示しているように思われます。

地球中心の視点であった花道の国、「メリカ・キリス」。味方」と思うた国々、攻めて来る…、折れた舟(付根)、どうする事も無く、北から攻めて来る時が、個の余の終わり…と。「個の余の終はりは神国の、始め」。人の用意を急ぐぞよ…。

人の用意とは、何なのでしょうか?それは、心の掃除、洗濯なのでしょうね。腐ってしまったら、お終いです。腐っている方にとっては、「この世の終わり」なのです。腐っていない方にとっては、まだ、望みがあります。汚れを落せば、「神の国の、始め」。それが、きっと、分かれ道になる事でしょうね。
<2015.4.25> 

88)泥棒が多くなれば「泥棒が正しい」と言ふ事に成るぞ。「理屈は悪魔」と知らしてあろが。足らぬ事、無

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第十六帖(九六)

一二三は神食、三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ。九十は基に一二三食、神国弥栄ぞよ。人、三四五食に病無いぞ。八月二十四日、一二⦿ふみ。

第十七帖(九七)

「九十が大接ぞ」と知らしてあろがな。戦ばかりで無いぞ。何もかも臣民では見当取れん事になりて来るから、上の臣民、九十に基憑けて呉れよ。お上に神祀りて呉れよ。神に祀らうて呉れよ。神くどう申しておくぞ。早う祀らねば間に合わんのざぞ。神の国の山々には皆神祀れ。川々に皆神祀れ、野にも祀れ、臣民の家々にも落つる隅無く神祀れ。祀り祀りて弥勒の代となるのぞ。臣民の身も神の宮と成りて神祀れ。祀りの仕方知らしてあろう。神急けるぞ。八月二十五日、⦿のひつ九⦿

第十八帖(九八)

神々様皆お揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒れの神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組みの御役決まりて、それぞれに働きなされる事に成りた、善き日ぞ。「加の途執りは善き日」と知らしてあろがな。これから一火一火烈しくなるぞ。臣民、心得ておいて呉れよ。物持たぬ人、物持てる人より強く成るぞ、泥棒が多くなれば「泥棒が正しい」と言ふ事に成るぞ。「理屈は悪魔」と知らしてあろが。宇気母治のい神様、ひどくお怒りぞ。臣民の食ひ物、足りる様に作らしてあるに「足らぬ」と申してゐるが、足らぬ事、無いぞ。足らぬのはやり方悪いのざぞ。食ひて生くべき物で人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様に祀はれば、それぞれの事、何でも叶ふのぞ。神に祀はらずに臣民の学や知恵が何に成るのか、底知れてゐるでないか。戦には戦の神あるぞ。お水に泣く事あるぞ。宇気母治の神様御怒りなされてゐるから、早う心入れ替えてよ。個の神様お怒りになれば、臣民、日干しになるぞ。八月の加の途執りの日、ひつくのか三諭サトすぞ。

近々、第2次東日本大震災が起こる兆候か!!皆さん備えて下さい!スミルノフ物理学派ドクター佐野千遥テーマ:ブログhttp://ameblo.jp/allahakbar231/entry-12019038207.html

<引用者からの一言>

神様は「気」が食べ物であると思われます。人間の食事は「食べ物?」。動物の食事は「動植物」。草食は「土と光」であると思われます。

人間の食べ物と動物の食べ物だけが「似て非なる」物であると思われます。人間と動物の食事の違いは何でしょうか?それは成長の違いにあると思われます。人間の身体は、かなり精巧に作られています。ですから、発育の段階によって、食事の違いがあるのです。

乳児の食事は母乳だけである筈なのに、どうして、乳児にアレルギーがあるのでしょうか?それも、文明国に限って多いのです。これは明らかに、人間の学や知恵が引き起こしているとしか考えられません。むしろ、学の無い人間の勘と経験の方が、正しい食事をされています。人間の誤った学が、病気を引き起こしているのです。

人間は神様の魂を戴いています。ですから、人間の食べ物と動物の食べ物の違いは、個の魂によって、異なると思われます。個が集まって、日本国の文化食。日本人が作り上げた食文化、それが、今、世界から認められています。しかし、それは、一昔前の食事です。

文化が入っているか、入っていないか、それが、動物と人間の食の違いであると思われます。正しい人間の食事とはどうあるべきなのか?インスタント食品だけでは、正しい人間に成長しないと思われます。食事を疎かにしてはいけないのです。

第二次東日本震災が近付いているようです。

「お水に泣く」、「臣民日干しになる」のヒントから、昨晩、我が家の水タンクの水を入れ替えました。その他に、4リットルのポリ袋、三枚、更に追加して、リュック用のポリ袋をネットで購入しました。ネット販売を眺めていたら、お米をポリ袋に入れて炊飯できる、というポリ袋を見付けました。それも、100枚で3000円位だったので、それも購入しました。

政府は何も伝えてくれません。佐野千遥さんのブログを御覧になって、一刻も早く、御用意された方が良さそうです。
<2015.4.27> 

89人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ。今年は五分くらいしか食べ物取れんから、その積りで用意し

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第十九帖(九九)

神代の秘密」と知らしてあるが、愈々と成りたら自身・神成りばかり出ないぞ。臣民「アフン」として「これは何とした事ぞ」と、口開いたまま胴する事も出来ん事に成るのぞ。四つん這ひに成りで着る物も無く、獣と成りて這い回る人と、空飛ぶ様な人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ。獣は獣の生来、愈々出すのぞ。火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさな成らん事に成りたぞ。一時は添も智も一つに混ぜにするのざから、人一人も生きてはおられんのざぞ。それが済んでから身魂磨けた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒の代の臣民とするのぞ。「どこへ逃げても逃げ所無い」と申してあろがな。高い所から水流れる様に、時に従ひておれよ。「ヒザ(火座)」と言ふ時には神が治らして、一時は添加火へ吊り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ。くどう基憑けておくぞ。なによりも皆神が第一ぞ。八月の二十六日、⦿のひつくのか三。

第二十帖(一〇〇)

今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ宇気母治の神様お怒りざから、事支は五分くらいしか食べ物取れんから、その積りで用意しておいて呉れよ。神は気もない時から知らしておくから、個の神示よく読んでおれよ。「一握りの米に泣く事有る」と知らしてあろがな。米ばかりで無いぞ。何もかも無くなる所まで行かねば成らんのぞ。臣民ばかりで無いぞ。神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云うものは目の先ばかりより見えんから呑気な者であるが、位座となりての皆神は間に合わんから、くどう基憑けてあるのぞ。日本ばかりで無いぞ。世界中はおろか「三千世界の大洗濯」と申してあろうがな。神にすがりて神の申す通りにするより他には道無いぞ。それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも、朝に夕に言霊が個の国に満つ代に成りたら、神の力現すのぞ。「穢土にまづ神祀れ」くどう申してある事、良く分かるであろがな。八月の二十七日、⦿のひつくのか三。

第二十一帖(一○一)

神の申す事何でも素直に聞く様になれば、神は何でも知らしてやるぞ、配給の事でも統制の事も、訳なく出来るのぞ。臣民皆、喜ぶ様に出来るのぞ。「何もかも神に供えてから」と申してあろがな。「山にも川にも野にも里にも家にも、それぞれに神祀れ」と申してあろがな。個個の道理、良く分からんか。神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ。「臣民、神にすがれば、神に祀はれば、その日から良くなる」と申してあろが。何も六ヶ敷い事で無いぞ。神は無理云はんぞ。個の神示読めば分かる用にしてあるのざから、役引早う知らして呉れよ。「印刷出来ん」と申せば何もしないでおるが、引察せんでも知らす事出来るぞ。よく考へてみよ。今の臣民、学に囚へられてゐると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈ではますます分からん様になるぞ。早う神、祀れよ。上も下も、上下揃って祀りて呉れよ。添支様を拝めよ、添支様に祀はれよ。その心が大和魂ぞ。益人の増す心ぞ。「真素」とは火弥栄の事ぞ。神の三心ぞ。臣民の身心も神の三心と同じ事に成って来るぞ。世界中一度に唸る時が、近付いて来たぞよ。八月の二十八日⦿のひつくのか三神示。

<紹介者からの一言>

地震・雷、火災と水難、誰一人逃げられません、天界へ吊り上げる臣民もいる(死ぬ人もいる)。戦や喧嘩では解決できません。

今年は五分しか食べ物が取れん、草木の根や葉を日に干して貯えておくこと。

朝夕に言霊(感謝や愛のある言葉)が満つ代になった時に、神の力が現れる。

神の言葉を素直に聞けば、配給、統制、訳なく出来る。神と祀れば難しい事は無い。

神の三心も臣民の身心も、神の三心と同じになっている…。

だいたい、このように、私は理解しました。

藤原直哉さんが御自分のブログで発している言葉が「自分だけ、金だけ、今だけ、」、それにもう一つ加えたいと思います。「無関心、何も感じない」、それこそがくせ者です。我が家の夫です。我が家の場合には、私が余りにも過剰に反応し過ぎているので、それで釣り合っているのかと思われますが、もし、家族全員がそうであったならば、災害時には、その家族は全員、全滅です。過剰に反応し過ぎるのも良くありませんが、少しは反応して欲しいものです。しかし、テレビの映像を毎日見ている夫と、ネットばかりをみている私と、どうしてこうも、感じ方が違ってくるのでしょうか?テレビが悪いのか、ネットが悪いのか、どちらも良くないのか、どちらなのでしょうか?<2015.4.28>

 

90)悪も善も無いのぞ。祀れば悪も善ぞ。祀らねば善も無いのぞ。固の道理、分かりたか

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第二十二帖(一○二)

祀り祀り」とくどう申してあるが、祀り合はしさえすれば、何もかも嬉し嬉しと栄える仕組みぞ、悪も善も無いのぞ。祀れば悪も善ぞ。祀らねば善も無いのぞ。の道理、分かりたか。「祀り」と申して神ばかり拝んでゐる様では何も分からんぞ。そんな我善しでは「神の臣民」とは申せんぞ。「早う祀りて呉れ」と申す事、良く聞き分けて呉れよ。「我が我が」と思ふてゐるのは祀りてゐぬ証拠ぞ。「鼻高となればポキンと折れる」と申してある道理、良く分からうがな。「の御道は鼻高と取り違ひが一番邪魔になるのぞ」と申すのは、慢心と取り違ひ祀り邪魔になるからぞ。個個まで分けて申さば良く分かるであろう。何事も祀りが第一ぞ。八月の二十九日、⦿の一二⦿

<引用者からの一言>

「祀り」の言葉が頻回に出て来ます。祀りとは、ドアだと思います。出会いのドアです。心のドアを開かなければ、人間関係が取れません。人との出会いがあるから、コミュニケーションも取れます。更に、神様と交わって、それが、祀りであると思われます。なかなか、上手に祀り合う事ができませんが、それをしなければ、今の災害を乗り越える事が出来ないようなのです。

固い人、個個に閉じこもっている人、更に、鼻高と取り違い、慢心と取り違い、それが、祀りの邪魔の一番である、と神示では云われています。

斎藤一人さんがおっしゃっています。今の時代は、長い間、人間が、不安や恐れの中で生活をして来たので、不安と恐れが、人間の心の奥深くに存在していて、根強く残っているようなのです。しかし、昔ほど、今の時代は、不安や恐れを持つ必要が無くなっているのだそうです。しかし、人間は、まだ、勘違いをしていて、不安と恐れを大事に、心の中にしまっているようなのです。不安と恐れを乗り越えることが、今、私達に求められています。勇気を持つ事、自信を持つ事、それが、必要なのです。

私達の心の不安や恐れを煽っている悪魔が実際に居る様です。未来永劫、私達の心を、支配しようとしている悪魔が実際に居るのです。その悪魔から逃れるただ一つの方法、それが、不安や恐れを乗り越えることなのです。

これから、何が起こるか分かりません。しかし、不安や恐れがある間は、私達は、善だ、悪だ、何だと、叫んでいます。その心が、悪魔に支配されてしまうのです。

現実に起こっている事は、現実なのですから、善も悪も関係なく、受け止めなければならないのです。しかし、不安や恐れを持っている間は、病気になります。それでは、いつまでも争いが堪えません。平和を望むのであれば、先ず、己の不安や恐れを追いだすことが、先決なのです。不安や恐れは過去の遺物、死骸、古くなった老廃物なのです。身体にとって、何も役に経ちません。持っていたら、病気に成るばかりです。運動するか、リンパマッサージをして、早く追い出しましょう。そして、未来の糧に成る心を育てましょう。<2015.4.29>

91)世界は「一つに成って神の国に攻め寄せて来る」と申して有る事が出てきたぞ。愈々が来たぞ。覚悟は良

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第二十三帖(一○三)

世界は一つに成ったぞ。「一つに成って神の国に攻め寄せて来る」と申して有る事が出てきたぞ。人民にはまだ分かるまいなれど。今に分かりて来るぞ。くどう基憑けておいた事の愈々が来たぞ。覚悟は良いか、臣民一人ひとりの心も同じに成りておろがな。学と神の力との大戦いぞ。神国の神の力現す時が近う成りたぞ。今現すと時が近う成りたぞ。今現すと助かる臣民殆ど無いから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ。臣民も可愛いが基を潰す事成らんから、愈々と成りたらどんな事有りても、個個まで治らしてあるのざから神に手落ちあるまいがな。愈々となれば、「分かっている事なれば何故知ら死ぬのぞ」と申すが、今では「何馬鹿な」と申して取り上げぬ事、良く判ってゐるぞ。引念の三霊には良く判るぞ。個の神示読めば身魂の引念良く判るぞ。神の悟用する身魂は、神が選り抜いて引っぱりておるぞ。遅し早しはあるなれど、いづれはドウしても逃げても嫌でも御用さす様に成りておるのぞ。北に基憑けよ。東も西も南もどうする積りか。神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ。神と人との和の働きこそ神喜ぶのぞ。「早う身魂磨け」と申す事も、「悪い心洗濯せよ」と申す事も分かるであろう。八月の三十日⦿の一二か三。

 

引用者からの一言>

「身魂磨く」には、どうすれば良いのでしょうか?それは、第十四帖で云われています。「神の容れ者として神からお預かりしてゐる、神の最も尊いこととしてお扱いする事」と。

この言葉を、改めて考えてみます。先ず、「神の容れ者」です。神の容れ者とは、「人間の身体」ですよね。「神からのお預かりした者」は人間の身体であると思われます。

次に、「神の最も尊いこと」とはなんなのでしょうか?

現在の世界の仕組み、資本主義社会、共産主義社会、物質社会、これは「神の最も尊いこと」だったのでしょうか?人を殺す武器を作って戦争やテロ、これは、「神の最も尊いこと」だったのでしょうか?

医療機関で病気を治されていますか?今の病院の治癒率、病院に因ってバラツキがあるそうです。病気の「治癒」と「軽快」の定義について、論争されています。

一度、病気になれば、感染症やケガでない限り、再発と悪化が繰り返されます。薬には副作用があり、幼少時に使った薬が原因…で、多かれ少なかれ、引き金と成っている病気もあります。対症療法で病気は治っていません。今の病院の治療は殆どが対症療法になっています。症状を抑えるだけです。原因疾患の治療は殆どしていません。このままでは、病気は治りません。逆に、新たな病気を作っている始末。これは、「神の最も尊いこと」なのでしょうか?

人間が永い間で作り上げた社会、それが、今世紀になって、軌道修正が必要になりました。しかし、人間の力だけで、最早、軌道修正ができないようです。かといって、神様の力だけでも、軌道修正をしようとしたら、「助かる臣民殆ど無い」と云われています。

『神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ。神と人との和の働きこそ神喜ぶのぞ。「早う身魂磨け」、「悪い心洗濯せよ」』と、神示で云われています。そうなのです。神の入れ者である人間の仕事なのです。しかし、人間の能力には限界があります。そこで、神様の御力、自分の魂に耳を傾ける必要が出て来ます。

軌道修正はどうすればよいのでしょうか?苫米地さんは、瞑想や反省とは言わずに、「ストコーマを外す」と言われています。人間には「勘違い、思い違い、取り違い」をして、心の窓が、曇ってしまうようなのです。それを、毎日、振り返って、顧みる。そして、自分で気付いて、軌道修正をするのだそうです。

「引念の三霊」とは何でしょうか? 過去、現在、未来の引念…、その汚れもあります。三千世界の大掃除…。中々、大変です。一歩一歩、毎日毎日、諦めずに、続けることに意味があるように思われます。なんとか、書く事が出来ました。ありがとうございました。<2015.4.30>

92)大船小舟、天の船、赤鬼青鬼黒鬼や、オロチ悪狐を先陣に、付治を目指して攻め寄する、敵も悉く失せに

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第二十四帖(一○四)

付治フジを目指して攻セめ寄ヨする。大船小舟、天の船、赤鬼青鬼黒鬼や、オロチ悪狐アクコを先陣に、寄せ来る敵は空覆ひ、海を埋ウズめてたちまちに、添日テンジツ暗く成りにけり・折オりしも現アれや日の国、一つの光現アラはれ野ヌ、「これこそ救ひの大神」と、救ひ求むる人々の、目に映ウツれるは何事ナニゴトぞ。攻め来る敵の対象の、大き光と孤応コオウして、一度にドッと雨降らす。火の雨なんぞ、たまるべき、誠の神は無きものか、「これはたまらぬともかくも、命あっての物だね」と、兜カブトをぬがんとする者の、継ツぎからに継ツぎ現われ野ヌ、折オりしも現アれや解トき成ナらぬ、大風起こり、雨来たり、大海原には竜巻タツマキや、やがて火の雨、地振ツチフルひ、山は火を吹きどよめき来て、さしもの敵も悉コトゴトクく、個コの余ヨの他ホカにと失ウせにかえり。風止み雨も収まりて、山川静まり国土クニツチの、所々トコロドコロに白衣シログヌの、神の息吹イブキに蘇ヨミガエルる、巳民ミタミの顔の白き色、岩戸イワト拓ヒラけ野ヌ、至巳自巳シミジミと、大空オオゾラ仰アオぎ神を拝オガみ、地チに蹴ヒザマヅき巳民等ミタミラの、目にすがすがし付治フジの山。付治フジは張れ足り、仁翻ニホン張れ。付治は張れ足り。岩戸明けたり。八月の三十日、⦿の一二の⦿

第二十五帖(一○五)

世界中の臣民は、皆個の火ホウの臣民であるから、殊コトに可愛い個コには度タビさせねば成らぬから、どんな事あっても神の個コざから、神疑はぬ様になされよ。神疑ふと気の毒出来るぞ。愈々ヒヨヒヨと成り足ら「どこの国の臣民」と言ふ事無いぞ。大神様の掟オキテ通りにせねば成らんから、「可愛い個コぢゃ」とて容赦出来んから基憑キツけてゐるのざぞ。「大難を小難に祀マツり変えたい」と思へども、今のやり方はまるで逆さまざから、胴ドウにも成らんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。幽国ガイコクから早く判ワカりて「幽界ガイコクに個コの火ホウ、祀マツる」と申す臣民、沢山出来る様になって来るぞ。それでは神の国の臣民、申し訳無いであろがな。「山にも川にも海にも祀れ」と申してあるのは、神の国の山川ばかりで無いぞ。「個の火、世界の神ぞ」と申してあろがな。「裸に成りた人から、その時から善の火に廻してやる」と申してあるが、裸に成らねばなる様にして見せるぞ。「愈々と成りたら苦しいから、今の内」と申してあるのぞ。「全てを添支様に捧げよ」と申す事、仁翻の臣民ばかりで無いぞ。世界中の臣民、皆添支様に捧げな成らんのざぞ。八月の三十日、⦿のひつ九のか三。

<引用者からの一言>

私は、若い頃、イタリアのポンペイを観光した事があります。ポンペイの地帯は、火山灰の下敷きに成って、死んだ人間が、ゴロゴロとたくさん、埋まっているのです。それが、掘り起こされて、展示されています。まだまだ、掘り起こされていない場所が広く残っているのです。きっと、突然、何の前触れもなく、火山の爆発が起きたのでしょう。食卓に食器が並べられたままの姿も残っていました。

人間は、自然の前では、全く、無力です。どうすればいいのでしょうか?

やはり、「祈り」しかないように思われます。神示で云われている幽界は、どこにあるのでしょうか?私は、「心身神(魂)」の内の「心の中」にあるあると思われます。自分の心に祈って、心を洗濯して、魂の目で判断するのです。心の汚れは、不安や恐怖が多くて、正しい判断ができません。

長女の娘がお産をするときの事ですが、私は、始めから最後まで、ずっと付いていました。そして、呼吸法を誘導していました。「頑張れ、頑張れ」と、陣痛の発作の度に声をかけていました。そして、発作の毎に腰をさすっていました。お産の進み方が早かったので、赤ちゃんが下がって来るのも早くて、子宮口が8㎝開きました。しかし、それからが一向に進みません。医師も助産師達も、お昼頃には生まれるのかな?と、心で思っていましたが、お昼になっても、夜に成っても、殆ど変わらないのです。そして、翌日に差し掛かろうとした時に、娘の身体が限界に達しました。娘の身体がふるえ初めてきたのです。そして、娘の口から、「怖い、恐い」「もうダメ」と言う言葉が発せられて来ました。

私は、そこで、天を仰ぎました。そして、「娘を助けて下さい」と、お祈りをしました。そして、「頑張れ、頑張れ」の言葉かけを止めました。そして「大丈夫、大丈夫」の声かけに変わりました。娘は、24時間も緊張し続けていたので、陣痛も弱くなっていました。「ヒッヒッ、フー」のラマーズ法の呼吸法では疲れる一方でした。その呼吸法を止めて、リーブ法、ソフロロジ―式に変えました。つまり、陣痛が来ても、「フー~~」と、ゆっくり息を吐くだけです。娘は、陣痛発作が来る度に、「痛い、痛い」と、緊張して叫んでしまうのですが、お腹を触りながら、「今は弱い陣痛だから、痛くない筈」と言って聞かせて、「痛くない、痛くない」「頑張らない、頑張らない」「大丈夫、大丈夫」の言葉かけの繰り返しを、夜通し、続けました。そうしたら、娘の心が落ち着いてきたのか、身体の震えが収まって来ました。そして、発作が無い時には、数分間、眠れるようになりました。そして、陣痛開始から三日目の朝になりました。陣痛が微弱でしたので、医師が朝から、誘発剤を入れた点滴をして、硬膜外麻酔を入れて、そうしたら、お昼までに、なんとか、帝王切開に成らずに、経膣で産む事ができました。それが、だめなら、きっと、帝王切開になっていたでしょう。しかし、硬膜外麻酔が効いてくれて、娘は痛みから解放され、リラックスも出来たのか、赤ちゃんの頭が急に回旋して、今迄のお腹の形の出っ張りが、急に消えたのです。それから直ぐに、赤ちゃんの頭が見えてきました。赤ちゃんも、お母さんがリラックスしてくれたので、出て来やすくなったのだと思われます。リラックスすることは、お母さんにとっても、赤ちゃんにとっても、双方にとって、本当に大事でなのですね

「頑張れ」の言葉の害、副作用を、身にしみて感じてしまいました。私達は、ついつい、身体が弱っている方や、心の弱っている方にも、「頑張って下さい」と声をかけてしまうのですが、それは、良くない言葉なのです。頑張る力を持っている方にとっては、きっと、励みになると思うのですが、しかし、頑張り過ぎて、病気になった方にとっては、それは却って仇になってしまうのです。心身が弱っている方にとって、「頑張れ」の言葉は良くないのです。それでは、適切な声かけは何でしょうか?「頑張らない、頑張らない」「大丈夫、大丈夫」「痛くない、痛くない」の言葉はお産の時には有効でしたが、日常会話では適切であるとは思えません。「お大事に」は、一般向けではないし、なかなか、適切な言葉掛けが見つかりません。「お身体を御大切にしてください」とか、労りイタワリ、労いネギライの言葉、どちらも「労」と書くのですね。

「頑張る」を国語辞典では、我慢、努力、忍耐、と記していました。

きっと、どちらの言葉にも、善悪はないと思われます。時に応じて、その人に応じて、使い分ける、それには、知識や理屈では無く、自分の体験で感じ取って行くしか方法がないように思われます。

取り敢えず、自分で頑張ってみて、それが叶わなければ、自分の心に祈って、その後は、神様の御判断にお任せする。それしか方法が無い様に思われます。<2015.5.3>

93)悪神は、今度は基の神を根こそぎに無きものにしてしまふ計画である、神の固の文、早う治らしてやって

第三卷 付治フジ(歩付フフ)の巻

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第二十六帖(一〇六)

戦は一度収オサまる様に見えるが、その時が一番基憑キツけねば成ナらぬ時ぞ。向こふの悪神アクシンは、今度は⦿の基モトの神を根こそぎに無きものにしてしまふ計画であるから、その積ツもりで、褌フンドシ締シめて呉クれよ。誰にも知れん様に悪の仕組みしてある事、神には良く判りてゐるから心配無いなれど、臣民助けたいから、神はじっと堪えに堪へてゐるのざぞ。八月三十日、⦿のひつ九の⦿

第二十七帖(一〇七)

神の堪忍袋切れるぞよ。臣民の思ふ様にやれるなら、やりてみよ。「九分九厘でグレンと引っ繰り返る」と申してあるが、これからはその場で引っ繰り返る用になるぞ。誰もよう行かん、臣民の知れん所に何してゐるのぞ。「神には何もかも判りてゐるのざ」と申してあろがな。早く兜脱いで神に祀はりて来いよ。皆神すれば助けてやるぞ。鬼の目にも涙ぞ、増して神の目にはどんな涙もあるのざぞ。どんな悪人も助けてやるぞ。「穢土エド」と申すのは“十気用トオキヨウばかりでは無いぞ。今の様イマノヨウ(用)都会(説かい),皆「穢土エド」)であるぞ。穢土エドはどうしても火の海ぞ。「それより他,やり方無い」と神々様、申しておられるぞよ。秋ふけて、草木枯れても根は残るなれど、人民枯れて根の残らぬ様な事に成りても知らんぞよ。神の固の文、早う治らしてやって呉れよ十八五月九月十月に基憑けて呉れよ。これで個の火ホウの神示フデの終わりぞ。個の神示フデは「付治フジの巻」として一つにまとめておいてくだされよ。今に宝と成るのざぞ。八月の三十日、

<引用者からの一言>

「神様が御創りに成られた地球を、悪神が、根こそぎ、無き物にしてしまう計画である」と云われています。「臣民は、褌を締めて呉れ」と云われています。この世界には、数万年前に、悪神が人間に取り憑いて、世界を支配して居られる様です。神示では、「悪人でも助ける、しかし、根の残らない人間は知らんぞ」と云われています。更に、「戦は一度で収まる様に見えるが、その時が、一番気をつけなければならない時である」と云われています。

今回の戦は、善神様と悪神様の、最後の戦いのようです。さてさて、上層部では善の神様が、既に、勝利された様です。だから、善神様を信じていれば、心配は無い様です。しかし、褌を締めておかなければ難しい様です。「草木枯れても根は残るなれど、人民枯れて根の残らぬ様な事に成りても知らんぞよ」とおっしゃっています。つまり、根のある人間であれば、助かる様です。根のない人間は、助からないのです。

生き残れる人間はどのくらい居るのでしょうか? 巷では、1/3と言われています。その位、厳しい戦である様です。神様であっても、亡くなってしまう神様もおられるようです。善人であっても、助からない人も居るのです。

兎に角、結果は、既に、決まっていますから、悪神に取り憑かれている人間が、早く悟ってしまえば、この戦は早く終了してくれるのです。しかし、極悪人ほど根が深い、とも言われます。そうそう、簡単には終わらないようです。「十八五月九月十月に基憑けて呉れよ。」の日付けが、気に成ります。今は五月ですよね。第二次東日本大震災が心配です。災害に備えましょう。

さて、本日で「不治の巻」の終了になります。「この神示を一つにまとめておいてくだされよ」と云われていますので、この不治の巻を、始めから、読んでみました。そうしたら、なんとなく、世界情勢が見えて来たように思われます。やはり、流れているニュースからも、流れていないニュースからも、かなり、危険な状態であるように思われます。五月には何が起こるのでしょうか?もう、起こっているのかもしれません…、しかし、九月と十月も基憑けなければならないようです。もはや、人間の知恵や科学では、解決できそうもありません。早く兜ぬいで、神にお祈りする…、それしか、方法がないのでしょうか?それでは、無責任である様にも思われます。

長崎や広島の原爆に遭われて、生き残った方に、発酵食品を多く食べていた、方が多いと言われています。発酵食品で一番優れているのは何でしょうか? ぬか、の様です。私は、豆乳ヨーグルト、甘酒、納豆、キムチを毎日食べるようにしていましたが、最近、ぬか床を作りました。かぶやキューリ、キャベツをぬか漬けにして食べ始めました。ぬか臭いのが嫌だったのですが、そんな事を言っておられません。しかし、肝腎の子供が嫌いなので、困ったものです。

この暑い気候は、東北だけの様です。http://grnba.com/iiyama/ 飯山一郎さんの五月三日のブログを参照してみてください。深刻です。
<2015.5.4> 

94)善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の因と愛の因が結合し、醜の因と憎の因とが

第十七巻地震(自身)の巻

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第一帖(三七八)

我々の一切は生まれつつある。神も宇宙も、森羅万象の悉コトゴトクくが常に生まれつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生まれ続けている。一定不変の神も無ければ宇宙も無い。常に火弥栄ヒヤサカえつつ、限りなく生まれに生まれゆく。過去も無ければ現在も無く、未来も無い。ただ存在するものが生まれに生まれつつある。も無ければも無い。も思わずも考えずも思わない。

ただ自分自身のみの行為は無い。ただ生まれゆき栄えゆくのみである。を思いを思うのは、をつくりをつくりだす事である。故に地上人が自分自身で為す事には、全て永遠の生命無く、弥栄ヤサカは有り得ない。何故ならば、地上人には地上人的を思い、を思い、を思い、を思うからである。「思う事」は「行為する事」である。生前・生後・死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何者も無いのである。存在は生命であり、生まれつつ有るもの、そのものである。何ものも、それ自らは存在しない、弥栄ヤサカしない。必ずその前なる「もの」によって呼吸し、脈打ち、生命し、存在し、火弥栄ヒヤサカする。また全ての「もの」の本体は、無なるが故に永遠に存在する。

地上人は生前に生き、生前に向って進みゆく。また地上人は地上に生き、地上に向ってすすみゆく。また地上人は死後に生き、死後に向って進みゆく。しかしその総ては神の中での存在であるから、それ自体のものは無い。でも無くでも無く、ただ生まれつつあるのみ。

霊人空間は無い。それはその内に有る情動によって定まるが故である。またそのによって、一定せる方位も無い。また時間も無く、ただ情動の変化が有るのみである。地上人は肉体を衣とするが故に、「宇宙の全てを創られたもの」の如く考えるが、創造されたものでものでは無い。創造されたものならば、永遠性は有り得ない。宇宙は神の中に生み出され、神と共に成長し、更に常に神と共に永遠に生まれ生まれつつある。その用は(相)と現われと見ゆるも、「」と言うものは無く、また「」成るものも存在しない。ただ大歓喜のみが脈打ち、呼吸し、成長し、存在存在しつつ弥栄するのである存在千変万変化する形に於いて、絶えず弥栄する。それは⦿であり、なるが故である。⦿大歓喜本体であり、はそのである。それはでも無くでも無い。でもなくでも無い。でも無くでも無い。またでも無くでも無い。プラスでも無ければマイナスでも無い。しかしの因との因とが結合し、の因との因とが結合し、の因との因が結合し、の因との因とが結合して、二義的に現われ、働き、存在としてまた働く

と結合せず、と結合しない。これらの総てはこれ、生みに生み、成りに生りて、留トドまるところを知らない。それは神そのものが絶えず、生り成りて止ヤまず、止トまるところ無く成長し、歓喜しつつ有るが為である。「神が意思する」と言う事は、「神が行為する事」である。そして更に神の行為は弥栄であり大歓喜である

神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命する。神の歓喜を内的に受け入れる霊人の群は無数にあり、これを「の霊人」⦿と云う。神の歓喜を外的に受け入れる霊人の群も無数にあり、これを「憑きの霊人」と云う。憑きの霊人の喜びが、地上人として地上に生まれてくる場合が多い。

の霊人は神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神に解け入り、直接地上人として生まれ出る事は極めて稀である。憑きの霊人は、神の歓喜をその智の中に受け入れる。故に神に接し得るのであるが、全面的に解け入らない。地上人は、この憑きの霊人の性がそのまま受け継いでいる場合が多い。⦿の霊人は神の歓喜をそのまま自分の歓喜とするが故に、何らそれについて疑いを持たない。憑きの霊人は神の歓喜を「歓喜」として感じ、「歓喜」として受け入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。為に、二義的の歓喜となる。故に⦿の霊人憑きの霊人とは、同一線上には住み得ない。自ずから別の世界を創りだす故に、原則として互いに交通(連絡)し得ないのである。この二つの世界の中間に、その融和・縁通をはかる霊人と、その世界が存在する。これに因って二つの世界二つの生命手段が円通し、常に弥栄するのである。地上人霊人との間も同様。直接全面的な交流は有り得ない。それは別の世界に住んでいる為であって、その中間の半物・半霊の世界とその霊人が居て、常にその円通をはかっている。以上の如くであるから、も、本質的なものでは無く、二義的なものである。

<引用者からの一言>

「僕の前に道がない、僕の後ろに道が出来る」と、そんな感じだったと思われますが、人間は思ったり、考えたり、行動したりして歩き、自分の後ろに道が作られます。しかし、今迄の道は、安心の道がたくさんあったので、安心して歩く事が出来ました。しかし、だんだんと、安心の道が少なくなってきました。そして、不安や恐れが広がっています。この波乱の時代をどのようにして、乗り越えればよいのでしょうか?その答えが、この巻で、戴きました。

それが、次の文章です。「の因との因とが結合し、の因との因とが結合し、の因との因が結合し、の因との因とが結合して、二義的に現われ、働き、存在としてまた働くと結合せず、と結合しない。これらの総てはこれ、生みに生み、成りに生りて、留まるところを知らない。」と、これに着きますネ。そうであるならば、自分の取る行動が自ずと決まってきました。「悪」「偽り」「醜」「憎」の思いや考えや行動を取らない事、そして、「善」「真」「美」「愛」の思い、その考え、その行動を取る事、そう思ったら、安心しました。自分の歩く道は、善と真と美と愛を選択するのです。それが、この巻でハッキリとしました。

しかし、これから、人間が、半霊半物質になる時代だとも云われておりますが、どんな風になるのか、それが全く、理解ができませんでした。それも、この巻で書かれていますネ。

⦿の霊人憑きの霊人原則として互いに交通(連絡)し得ない。その融和・縁通をはかる霊人その世界が存在する。その中間の半物・半霊の世界とその霊人が居て、常にその円通をはかっている。」これがそうなのでしょうね。これから、私達が住む世界です。

この世に、神が存在するのか、存在しないのか、神は宇宙人であった、の説もあり、今の時代には、まだ、はっきりと判りません。しかし、それが分かる人が出て来るようですネ。そして、私達、人間を更に、上へ、上へ、と、導いてくれる人、それが、半霊半物質であり、霊人のようです。上に上がるには、心身が軽くならなければいけません。不安や恐れは、重いようです。重い想い、重い思いは捨てましょう。<2015.5.5>

 

95)日と月、愛と真、善と美、本質的なものでは無く、二義的なもの、批判的となる。為に、二義的歓喜とな


第十七巻地震(自身)の巻

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第一帖(三七八)

 

   を思いを思うのは、をつくりをつくりだす事である。故に地上人が自分自身で為す事には、全て永遠の生命無く、弥栄ヤサカは有り得ない。何故ならば、地上人には地上人的を思い、を思い、を思い、を思うからである。

 

 

  憑きの霊人は神の歓喜を「歓喜」として感じ、「歓喜」として受け入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。為に、二義的の歓喜となる。

 

 

     この二つの世界の中間に、その融和・縁通をはかる霊人と、その世界が存在する。これに因って二つの世界二つの生命手段が円通し、常に弥栄するのである。地上人霊人との間も同様。直接全面的な交流は有り得ない。それは別の世界に住んでいる為であって、その中間の半物・半霊の世界とその霊人が居て、常にその円通をはかっているも、本質的なものでは無く、二義的なものである。

 

 

<引用者からの一言>

地震(自身)の巻は、一帖が長いので、次に行かないで、再度、読み直してみることとしました。

     普通の人間は、善と悪の間を、行ったり来たりして、反省しながら、生きています。善と思っていても、結果が悪かったり、悪い事だと思っていても、それが、結果的に良かったりする場合があります。そして、結果が悪ければ反省します。しかし、成功すれば、有頂天になって、反省の機会が与えられないで、結果的に悪い結果となる場合もあります。つまり、人間には、善も、悪も、真も、偽りも、わからない、という事であると思われます。更に、人間(自身)は、永遠に生きることが出来ません。死が訪れます。

     宗教を信じている方は、魂の存在を信じていると思われます。肉体(自身)よりも、心の持ち方が大切であると言われます。身体は肉の塊に過ぎないと言われます。肉体よりも、心を大切に考えて、瞑想して、心の修業をしている方が多いと思われます。そして、①の方達に、善だ、悪だ、真だ、偽りだ、と、お説教をしています。

     まだまだ、半分ですね。二義的な考えから脱皮するには、中間の半物・半霊の世界の人間と、霊人とが、円通をはからなければ、達成出来ません。

 

結局、二つの世界、二つの生命を、円通しにする。そうすれば、弥栄する、と。

磁石の棒を、切っても、切っても、どんなに短く切っても、プラスとマイナスに分かれてしまいます。磁石を、二極化しない方法は、円く曲げ、端と端をくっつければ、二極化しないようです。永遠にぐるぐると回るのか、それとも、力が消えてしまうのか、解りませんが、二極化しない事は確かです。以前、地球を人間が手を広げて、地球をぐるっと、一周り、手を繋いでいる絵本を見た事がありますが、それですネ。地球上の人間が全員で、手をつないで、円く成らなければ、永遠に平和は訪れませんネ。気が遠くなります。<2015.5.6>

 

96)神と共に成長し、更に常に神と共に永遠に生まれ生まれつつ、善でも無く悪でも無く、ただ生まれつつあ


第十七巻地震(自身)の巻

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第一帖(三七八)

  生前・生後・死後は一連の存在であって、そこには存在以外の何者も無いのである。

  存在は生命であり、生まれつつ有るもの、そのものである。

  何ものも、それ自らは存在しない、弥栄ヤサカしない。必ずその前なる「もの」によって呼吸し、脈打ち、生命し、存在し、火弥栄ヒヤサカする。

  また全ての「もの」の本体は、無なるが故に永遠に存在する。

  地上人は生前に生き、生前に向って進みゆく。

  また地上人は地上に生き、地上に向ってすすみゆく。

  また地上人は死後に生き、死後に向って進みゆく。

  しかしその総ては神の中での存在であるから、それ自体のものは無い。

  でも無くでも無く、ただ生まれつつあるのみ

A)  霊人空間は無い。それはその内に有る情動によって定まるが故である。またそのによって、一定せる方位も無い。また時間も無く、ただ情動の変化が有るのみである。

B)  地上人は肉体を衣とするが故に、「宇宙の全てを創られたもの」の如く考えるが、創造されたものでものでは無い。創造されたものならば、永遠性は有り得ない。

C)  宇宙は神の中に生み出され、神と共に成長し、更に常に神と共に永遠に生まれ生まれつつある

D)  その用は(相)と現われと見ゆるも、「」と言うものは無く、また「」成るものも存在しない。

E)  ただ大歓喜のみが脈打ち、呼吸し、成長し、存在存在しつつ弥栄するのである

<引用者からの一言>

前回の神示の内容が豊富過ぎて、前に進む事がどうも出来ません。今回も再度、読み直してみることとしました。そうしたら、発見がありました。それは、宇宙も、地球も、人間も、動物も、植物も、鉱物も、全てが、創造されたものでは無かったのです。この世に存在するものは、全てが、生み出されたものであり、生きているのです。だから、永遠に存在する事が出来ると、云われているのです。それが、理解できました。

地震(自身)の巻の初めに、存在の言葉がやたらと多いのです。「一連の存在」、「存在は生命」、「自らは存在しない」、「永遠に存在する」、「神の中での存在」、「愛や真と言うものは存在しない」、「脈打ち、呼吸し、成長し、存在に存在しつつ弥栄する」…。

地上人(人間)は、神が創造されたものでは無い、創造されたものならば、永遠性はない、と…。つまり、作ったもので有れば、いずれは、壊れる時期が来ますが、生まれたものであれば、弥栄して、さらに、生まれます。そして、終わりもありません。

「宇宙が神の中に生み出され」、と書かれていますので、神の中に宇宙が生み出されたのです。そうすると、神が宇宙を産んで、神が地球を産んで、神が人間も生んだのです、そこで、納得しました。人間は神様の子供なのです。そうであれば、人間が成長すれば、神様に成れるのです。

創造したので有れば、ロボットです。その内に、壊れてしまいます。しかし、生んだので有れば、神様の子供なのです。そして、成長して、神様になり、そして、更に、自分で宇宙を産むこともできるようになるのです。

創造と生む、の違いは、終わりと永遠の違いになりますね。

神と共に成長し更に常に神と共に永遠に生まれ生まれつつある

でも無くでも無く、ただ生まれつつあるのみ

大歓喜のみが脈打ち、呼吸し、成長し、存在存在しつつ弥栄するのである。

希望の光は、終わりがなく、続いているようです。

若い方へ、結婚しましょう、子供を産みましょう、子供を大切に育てて下さい。
2015.5.7>

97)憑きの霊人は、神の歓喜をその智の中に受け入れる、故に、これを味わわんとし、批判的となる。

第十七巻地震(自身)の巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/jisinnomaki1.pdf

第一帖(三七八)

 

<引用者からの一言>
今回も、突っ込みを入れてみました。 

「第一段階」

   地上人は生前に生き、生前に向って進みゆく。

   地上人は地上に生き、地上に向ってすすみゆく。

   地上人は死後に生き、死後に向って進みゆく。

   しかしその総スベては神の中での存在であるから、それ自体のものは無い

人間の種が地球上蒔かれて誕生する時の種は、生前に生きた、生前の種ですネ、そして、地上に蒔かれた種は、地上で生きて、地上の天変地異と人間社会の中で揉まれながら、成長し、老化し、死にます。それが死後に向って進むと理解しました。>

 

「第二段階」

(ア)神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命イノチし、また霊人として霊界に生命イノチする。

(イ)神の歓喜を内的ウチテキに受け入れる霊人群ムレは無数にあり、これを「⦿の霊人と云う。

(ウ)神の歓喜外的に受け入れる霊人群も無数にあり、これを「憑きの霊人」と云う。

(エ)憑きの霊人の喜びが、地上人として地上に生まれてくる場合が多い。

人間には、二つの種類が居る様です。「⦿ヒの霊人」と「憑きの霊人」です。地上に何度も生まれて来る人間は、「憑きの霊人」のようです。しかし、どちらの群も無数にあるようです。

 

「第三段階」

イ)  ⦿の霊人神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神に解け入り、直接地上人として生まれ出る事は極めて稀である。

ロ)  憑きの霊人は、神の歓喜をその智の中に受け入れる。

ハ)  故に神に接し得るのであるが、全面的はに融トけ入らない

ニ)  地上人は、この憑きの霊人がそのまま受け継いでいる場合が多い。

ホ)  ⦿の霊人は神の歓喜をそのまま自分の歓喜とするが故に、何らそれについて疑いを持たない。

ヘ)   憑きの霊人は神の歓喜を「歓喜」として感じ、「歓喜」として受け入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。為に、二義的の歓喜となる。

ト)   故に⦿の霊人憑きの霊人とは、同一線上には住み得ない。

<そうなると、この世の争いを引き起こしている人間はどちらになるのでしょうか?

⦿ヒの霊人」は神から与えられた生命に対して、全く疑いの念を持っていません。神に抱かれたまま、神に解けています。「⦿ヒの霊人」は、何度も地上に生まれて来る必要がないようです。つまり、あの世には無数に存在しているのでしょうか?しかし、無数なのですから、まだまだ、地上にも、無数に存在していると思われます。

問題は、「憑きの霊人」です。「憑きの霊人」は神の歓喜を味わいたくて、智恵を憑けますが、智だけでは、神に全面的に融け入らない。そして、批判的になってしまうようです。そして、善だ悪だ、真だ偽だと騒いでいるのです。そして、自分勝手に一喜一憂しているのです。そして、「⦿ヒの霊人」を巻き込んで、争いの世界を作っているのです。

 

「第四段階」

l  故に⦿ヒの霊人憑きの霊人とは、同一線上には住み得ない

l  自ずから別の世界を創りだす故に、原則として互いに交通(連絡)し得ないのである。

l  この二つの世界の中間に、その融和・縁通をはかる霊人と、その世界が存在する。

l  これに因って二つの世界二つの生命手段が円通し、常に弥栄するのである。

l  地上人霊人との間も同様。直接全面的な交流は有り得ない

l  それは別の世界に住んでいる為であって、その中間の半物・半霊の世界とその霊人が居て、常にその円通をはかっている

今の世、なのでしょうね。半霊半物質の霊人の出現です。中間の半物・半霊の世界とその霊人が居て、常にその円通をはかっている。

この世も、あの世も、同様と云われています。そうなると、地上人だけの問題ではないと言う事ですネ。身心・霊魂・神の世界、つまり、三千世界の洗濯と云うことですね。

段々と明確になってきました。ありがとうございました。<2015.5.9>

98)秩序・法則は神そのものであるから、神自身もこれを破る事は許されない。

第十七巻地震(自身)の巻 

http://hifumifude.digi2.jp/fude/jisinnomaki1.pdf

第二帖(三七九)

<引用者から>

今回も長文なので、四段階に分類して、表示してみました

 

[第一段階]

²  天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人地上人が生活し、歓喜している。

²  霊人達はその属する段階以外の世界とは、内ウチ的交流は有っても全面的交流は無いのである。

²  何故ならば、自らなる段階秩序を破るからである。

²  秩序・法則は神そのものであるから、神自身もこれを破る事は許されない。

²  しかし同一線上に於ける横の交流は、可能である。

²  それは丁度、地上における各民族がお互いに交流し、融和し得るのと同様である。

²  総て分類しなければ生命イノチせず、呼吸せず、打たない。

²  分類しては生命イノチの統一は無くなる。

²  そこに分離と統合霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では平面的には割り切れない神秘の用が生じて来る。

つまり、あの世の世界と、この世の世界には、「宇宙の秩序、法則」の厳しい掟があり、神様であっても、破ることが出来ない、つまり、交流が出来ない、と云われています。

しかし、その、宇宙の秩序や法則の秩序にも、抜け道が有るようです。つまり、「微妙極まる関係が発生し…、割り切れない神秘の用が生じて来る」と云われています。

宇宙の法則であっても、微妙極まり無い事件が発生してきてしまう時期が到来する、と云う事ですネ。人間がたとえどんなに良い憲法や法律を作っても、その内に、必ず、破る存在が出て来てしまいます。それと同じで、無限に、いたちごっこです。

宇宙の法則・秩序を破る存在はどの様な方に多いのでしょうか?たぶん、霊能者や臨死体験をされた方達であると思われます。生まれ付きの霊能者もいれば、事故などで、一時的に仮死状態となって、霊界の人々と交流された霊能者も居られると思われます。

現代では、幽体離脱も簡単に出来る方法があるようです。それにハマって、仕事にしている方も多く見受けられます。宇宙の法則からして、それは、あるまじき行為、犯罪者となりますね。ヤクザと同じです。世を乱す原因になります。しかし、その存在が無ければ、宇宙も進歩されない様にも思われます。その答えは、次に書かれていました。

 

[第二段階]

²  「一ヒ」なるものは、平面的には分離し得ない。

²  「二フ」なるものは、平面的には「一ヒ」に統合し得ないのである。

²  分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体神人同一陰陽不仁大歓喜は、立体的神秘の仲に秘められている。

²  については「一」なるものは、平面的には「一」に統合し得ないのである。

²  分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体神人合一陰陽不二大歓喜は、立体的神秘の仲に秘められている。

²  については「一」なるも、⦿に於いては「二」となり「三」となり得るところに永遠の生命が歓喜する。

²  「一ヒ」は「一ヒ」のみにて「一ヒ」ならずのみにてならず、またのみにてと成り得ない神霊無き地上人は無く地上人と離れた神霊は存在しない

²  しかし大歓喜にまします太神の  は、そのままで成り生り止まず存在し、弥栄する。

²  それは立体をはるかに超えた超立体、無限立体的、ムの存在なるが故である。

²  霊人はその外的形式からすれば地上人であり、地上人はその内的形式からすれば霊人である。生前の形式は生後の形式であり、死後の形式である。すなわち死後は生前の形式による。

²  形式はと現れ、と現れ、と現れ、と現れる。

²  そしてその根幹を成し、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式無く存在は許されない

²  にして合一しなければ呼吸せず、現れの現人にして霊の霊人合一しなければ生命しない。

²  それら二つが相関連せるを“外の真”と云う。外の愛外の真も共に生命する。

²  人間の偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。

²  表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。

²  故に外部的に曲げられたる働きの許されてあるを知る事が出来るであろう。許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。

最後の項目です。「許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。」と云われています。つまり、悪用してはいけないのです。

99.999…%は悪用しているのではないのでしょうか? 

[第三段階]から[第四段階]

第十七巻地震(自身)の巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/jisinnomaki1.pdf

第二帖(三七九)

<引用者から>

今回も長文なので、四段階に分類して、表示してみました

 

[第一段階]

²  天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人地上人が生活し、歓喜している。

²  霊人達はその属する段階以外の世界とは、内ウチ的交流は有っても全面的交流は無いのである。

²  何故ならば、自らなる段階秩序を破るからである。

²  秩序・法則は神そのものであるから、神自身もこれを破る事は許されない。

²  しかし同一線上に於ける横の交流は、可能である。

²  それは丁度、地上における各民族がお互いに交流し、融和し得るのと同様である。

²  総て分類しなければ生命イノチせず、呼吸せず、打たない。

²  分類しては生命イノチの統一は無くなる。

²  そこに分離と統合霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では平面的には割り切れない神秘の用が生じて来る。

つまり、あの世の世界と、この世の世界には、「宇宙の秩序、法則」の厳しい掟があり、神様であっても、破ることが出来ない、つまり、交流が出来ない、と云われています。

しかし、その、宇宙の秩序や法則の秩序にも、抜け道が有るようです。つまり、「微妙極まる関係が発生し…、割り切れない神秘の用が生じて来る」と云われています。

宇宙の法則であっても、微妙極まり無い事件が発生してきてしまう時期が到来する、と云う事ですネ。人間がたとえどんなに良い憲法や法律を作っても、その内に、必ず、破る存在が出て来てしまいます。それと同じで、無限に、いたちごっこです。

宇宙の法則・秩序を破る存在はどの様な方に多いのでしょうか?たぶん、霊能者や臨死体験をされた方達であると思われます。生まれ付きの霊能者もいれば、事故などで、一時的に仮死状態となって、霊界の人々と交流された霊能者も居られると思われます。

現代では、幽体離脱も簡単に出来る方法があるようです。それにハマって、仕事にしている方も多く見受けられます。宇宙の法則からして、それは、あるまじき行為、犯罪者となりますね。ヤクザと同じです。世を乱す原因になります。しかし、その存在が無ければ、宇宙も進歩されない様にも思われます。その答えは、次に書かれていました。

 

[第二段階]

²  「一ヒ」なるものは、平面的には分離し得ない。

²  「二フ」なるものは、平面的には「一ヒ」に統合し得ないのである。

²  分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体神人同一陰陽不仁大歓喜は、立体的神秘の仲に秘められている。

²  については「一」なるものは、平面的には「一」に統合し得ないのである。

²  分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体神人合一陰陽不二大歓喜は、立体的神秘の仲に秘められている。

²  については「一」なるも、⦿に於いては「二」となり「三」となり得るところに永遠の生命が歓喜する。

²  「一ヒ」は「一ヒ」のみにて「一ヒ」ならずのみにてならず、またのみにてと成り得ない神霊無き地上人は無く地上人と離れた神霊は存在しない

²  しかし大歓喜にまします太神の  は、そのままで成り生り止まず存在し、弥栄する。

²  それは立体をはるかに超えた超立体、無限立体的、ムの存在なるが故である。

²  霊人はその外的形式からすれば地上人であり、地上人はその内的形式からすれば霊人である。生前の形式は生後の形式であり、死後の形式である。すなわち死後は生前の形式による。

²  形式はと現れ、と現れ、と現れ、と現れる。

²  そしてその根幹を成し、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式無く存在は許されない

²  にして合一しなければ呼吸せず、現れの現人にして霊の霊人合一しなければ生命しない。

²  それら二つが相関連せるを“外の真”と云う。外の愛外の真も共に生命する。

²  人間の偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。

²  表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。

²  故に外部的に曲げられたる働きの許されてあるを知る事が出来るであろう。許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。

最後の項目です。「許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。」と云われています。つまり、悪用してはいけないのです。

99.999…%は悪用しているのではないのでしょうか?

 

[第三段階]

²  浄化し弥栄しゆく悪は悪で無く、偽は偽で無い

²  動かざる善は善で無く進展せぬ真は真で無い

²  更に善を善とし悪を悪として、それぞれに活かし弥栄するのを「歓喜という。歓喜(貫基)は神であり神は歓喜(貫基)である。

²  から「二」を生み、「三」を生み、無限を生み為す事も、皆これ歓喜する歓喜の現れの一つである。生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性を持って火弥栄える。

²  故に生活する事もできる。

²  夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再び繰り返す事が出来るのである。

²  霊界想念の世界であるから、時間無く空間なく想念のままになるのである。

²  しかし各の如き死後の最初の状態は長くは続かない。

²  何故ならば想念の相違はその住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。

²  そして最初の状態は生存時の想念情動がそのままに続いているから、外部的のもののみが強く打ち出される。

²  故に外部の自分に相応しい環境に置かれるが、次の段階に入っていくと、外部的なものは漸次薄れて、内部の状態に入っていくのである。

²  内分外分とは互いに相反するが、霊人の本体は内分に有るのであるから、この段階に入って初めて本来の自分に返るのである。

つまり、新しい未来を導いていくのが、半霊半物質の存在である霊能者の使命であると思われます。

現在の混乱の世界を招いているのは、悪霊であると云われています。悪霊が人間に取り憑いているのです。悪霊が取り憑き易い人間がいるようなのです。その人間が今の世界をうごかしているのですから、無力な普通の人間が犠牲になっています。あの有名なユリゲラーさんも、悪霊に協力させられていたと、あるブログに書かれていました。とにかく、今の世の乱れは、もはや、人間の力では、解決できそうもありません。

悪に染まってしまった方が、浄化し弥栄してくれれば、悪は悪で無く、偽は偽でいくなるのですから、それに着きますネ。

 

[第四段階]

²  生存時に於いては地上的な時・所・位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲以外には出られないが、内部の自分となれば自由自在の状態に置かれる。

²  生存時偽りの無かった霊人はこの状態に入って初めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。

²  の生活にあった霊人はこの状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向うのである。

²  かくする事によって生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、全的なものは善的な力を益々発揮する。故に同一の環境には住み得ないのである

²  かくして緒霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみの事を考え、且つ行為することになる。

²  そしてそれは、その時の各々にとっては、その時の真実であり歓喜である。

いまいち、解りませんが、今、起きようとしている災害は、地球に住む事が出来る人間と住めない人間と、これから、宇宙が裁く時代に突入した、と云う様に思われます。だから、早く、洗濯せよ、と云われているのであると、思われます。<2011.5.11>

99)善も無く、美も無く、愛も無く、天国も天国では無い。ただひたすら大歓喜が弥栄ゆるのみである

第十七巻地震(自身)の巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/jisinnomaki1.pdf

第三帖

 

[第一段階]

¨  愛の影には真があり、真の影には愛が働く。

¨  地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として地上人が存在する。

¨  地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人呼吸しない。

¨  地上人は常に霊界により弥栄する

¨  弥栄順序法則形式によりて成る。

¨  故に順序追わず、法則無く、形式なき所に弥栄無く、生まれ出て呼吸するものはあり得ない。

¨  個の弥栄は全体の弥栄である。

¨  個がその個性を完全に弥栄すれば、全体は益々その次を弥栄する。

¨  個と全体、の差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。

¨  霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。

¨  そこにこそ大生命があり、大歓喜生まれ、栄えゆくのである。

¨  更に極内世界極外世界とが映像され、その間に中間世界がまた映像される。

¨  極内世界生前極外世界は死後中間世界地上世界である。

¨  極内は極外に通じてを成す。

¨  全て「一」にして「二」にして「三」である事を理解せねばならない

私達は、毎日、毎日を、生きています。その生き方には、乳幼児期、学童期~成人、親、としての、変化があります。それは、順序、法則、形式の宇宙の大原則があります。同じ事の繰り返しの様に思われますが、その生活の繰り返し中で、一喜一憂しながら、悪くも、良くも、私達は生かされています。

自分が辿った道を、振り返ってみますと、よくもまあ、こんなひどい世の中で育って、結婚して、そして、共働きをしながら、子供を三人も育てて、宇宙の法則通りに、ここまで生きて来られたものだと、自分ながら、自分で感心しています。

しかし、宇宙の、順序・法則・形式の通りに、人間が、生きて行くには、どんどん、困難な世の中になっていると思われます。

今の世界で生きるには、とてもとても、宇宙の神様が云われる、順序・法則・形式の通りに、生きて行くことに、反抗したくなります。しかし、反抗するにしても、人間には、反抗するだけの力量がありません。この波乱のなかで、なんとか、宇宙の法則に従って、生きて行くには、どうすれば良いのでしょうか?

自分の存在が何者なのか、「全て「一」にして「二」にして「三」である事を理解せねばならない。」と、それを知ることであると思われます。

善も無く、美も無く、愛も無く、天国も天国では無い。ただひたすら大歓喜が弥栄ゆるのみである

[第二段階]

n  かくして大神の大歓喜は、大いなる太陽と現れる。

n  これによりて新しく全てが生まれ出る。

n  太陽は神の生み給えるものであるが、逆に太陽から神が更に新しく生まれ給うのである。

n  は絶えず繰り返され、更に新しき総ては神の中に歓喜として孕み、生まれ出て更に大完成に向って進みゆく。

n  によって生まれ給うのである。は絶えず繰りかえされ、更に新しき総ては神の中に歓喜として孕み、生まれ出て更に大完成に向って進みゆく。

n  によってが生まれ、生まれる事によってが新しく生まれ出ずるのである事を知らねばならない

n  さればその用ハタラキに於いては千変万化である。

n  千変万化なるが故に「一」だる。

n  なるが故に永遠である。

n  に属する総てをとし、となさんとするが故にを生じ、を生じ、に属する総てをとしとなさんとする故に、を生じ、を生ずるのである。あればこそとして使命し、あればこそ、は美として生命するのである。

n  としてを思い、御用のを為し、としてを思い、御用のを果たす。共に神の御旨の中に真実として生きるのである。

n  真実が益々にして益々充実し、円通する。

n  されば⦿の中の の中なる⦿ の中なる一切万象、万物中の最もにしてなるものの実態である。

n  これが大歓喜そのものであって、神はこの 弥栄し給えるが故に、最外部⦿の外にも弥栄し給う事を知覚し得るのである。

n  始めなき始め の真中の真空にいますが故に、終わりなき終わり⦿の外のに居まし、中間に位する力のの中にも生命し給うのである。

n  一物イチブツの中の なるが故に一物であり、万象万物でる事を知覚しなければならない。

n  生前の様相であり呼吸するが故に死後の呼吸と続き、様相ヨウソウとして弥栄ヤサカゆるのである。

n  が生み、より出て、の中に抱かれているが故に、と同一の歓喜を内蔵して歓喜となる。歓喜に向う」とは「に向う事」であり、根元に通ずる事である。

つまり、この世は、絶えず、絶えず、生まれ、生まれて、その用が千変万化であるが為に、愛や善は、悪を生む事にもなるし、真や美であっても、偽りの世界にもなるし、と云う事なのでしょうか?始めの「一」が二極化、善と悪の様に「二」に分かれて、その後、第三の目の「三」が出てきて、円通し、そして、「一」となる。

病気を治してくれる筈の病院が、中々、病気が治りません。薬がどんどん増えるばかり…。病院が病気を造っているとも…。これでは、善が悪になってしまいます。しかし、その悪がどんどんと膨れ上がって、弥栄…、それが、今の世の中…、であるように思われます。

しかし、その反対の世界が、どんどんと、膨れあがって来ています。その二つの世界を、第三の目で評価する方々が、チラホラ、出現してきているように思われます。二極化している世界の、両方から、共に生まれています。つまり、「三」の目で全体を見る事ができる方々の出現です。

そして、円通しができたら、次は「一」なのか、無なのか、空なのか…。取り敢えず、解決ができるように思われます。

つまり、善と悪の、対極ではない人々の出現です。それが、全体を眺められる、宇宙の目、でもあるように思われます。

善も無く、美も無く、愛も無く、天国も天国では無い。ただひたすら大歓喜が弥栄ゆるのみである

[第三段階]

Ø  「世を捨て、外部的・肉体的緒欲を捨てた生活でなければ天国に通じ得ぬ」と考えるのは、誤りである。

Ø  「何故ならば地上人に於ける肉体は、逆に霊の守護を為す、重大な役目を持っているからである。

Ø  「地上人がその時の社会的・物質的生活を離れて、霊的生活にのみ入る」と言うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行する事が天国への歩みである事を知らねばならない。

Ø  天国を動かす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒である。

Ø  地獄天国あるが故であり、光明あるが故である。

Ø  因が果に移り、呼が吸と成りゆく道程に於いて、歓喜は更に歓喜を生ず。

Ø  その一方が反抗すればするだけ他方が活動し、また強力に制しようとする。

Ø  呼が強くなれば吸も強くなり、吸が長くなれば呼もまた長くなる。

Ø  故に地獄的なものも天国的なものも同様に、神の呼吸に属し、神の脈打つ一面の現れである事を知らねばならない。

Ø  天国に限りなき段階無数の集団があると同様に、地獄にも無限の段階無数の集団がある。

Ø  何故ならば、天国の如何なる状態にも対し得る同様のものが自らにして生み出されねばならぬからであって、それにより大いなる平衡が保たれ、呼吸の整調が行われるからである。

Ø  この平衡の上に立つ悪は悪では無く、偽は偽で無く、醜は醜で無く、また地獄は地獄で無い

Ø  地獄は本来無いのである。

Ø  またこの平衡の上におかれた場合は、善も善では無く、美も美で無く、愛も愛で無く、そこでは天国も天国では無い

Ø  ただひたすらなる大歓喜が弥栄ゆるのみである。

ここまできたら、般若心境の世界ですね、やっと私達は、その理解の段階に到着したようです。私のホームページに載せています。ご参考にされてください。私も本やCDを購入して、聞いているのですが、まだ、まだ、まだ、腑に落ちるまでには至っていません。

人類救済の「お釈迦様のメッセージ」般若心経の謎が解かれた。

2000年~2500年の出来事、なのですから、これからです。これを知っておくのと、知らないとでは、私達の生き方に、雲泥ウンデイの差が出るかと、と思われます。「人類の救済」とも言われています。

見えない霊や魂の存在を実感として知るには、そう、そう、容易ではないと思われます。しかし、それが、必要である様です。

100)善は総てが神から流れ来たり、悪には本来の力無く、影に過ぎない。善は無限の力を受けるが故に、益

第十七巻地震(自身)の巻

http://hifumifude.digi2.jp/fude/jisinnomaki1.pdf

第五帖

[第一段階]

²  全体宇宙の外に有るのでは無く、の中にに抱かれて育てれられているのである。

²  故に宇宙のそのものがと同じ性を持ち、同じ質を持ち、そのものの現れの一部である。

²  過去も現在も未来も一切が呼吸する現在の中に存し、生存も死後の世界もまたの中にあり、地上人としては地上人の中に、霊界人にありては霊界人の中に存在し、呼吸成長している。

²  故にその全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。

²  部分部分が雑多なるが故に全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に歓喜が生ずる。

²  本質的には善と真は有であり、悪と偽はである。ゆえに悪は悪に偽は偽に働き得るのみ。なるが故に、に、に働き得ない

²  の働きかけ得るは、真実の真ではない。

²  は「総てを自ら作り得、生み得るもの」と信じている。

²  は「総てがから流れ来たり、自らは何ものをも作り得ぬもの」と信じている。

²  故にには本来の力無く、に過ぎない。

²  無限の力を受けるが故に、益々弥栄する。

神の身体は宇宙であると…、つまり、宇宙は神の肉体、神の身体であると…。そして、宇宙の心、神の心は善。しかし、神の身体には影があり、それが悪であると…。しかし、神の本質は善であり、真であり、有であり、無限の力があり、弥栄する。しかし、悪には無限の力がなく、偽であり、影であり、弥栄しない、と理解しました。

なんとなく、悪の存在する理由が判ってきました。悪は神の影、地上界では、影の方に目が行ってしまって、影の方に力があると信じ込んでいるようです。

そこで、真実を見る目を持つ事が必要となります。悪は影なのですから、暗いし、冷たいし、寒いです、不安や恐れもあります。しかし、善は明るい、暖かい、安心、希望、光です。私達は、影の悪を見ないようにして、神の本質を見るようにして、神の善の無限の力を受け取り、神の中に抱かれて、安心して生きる…、そちらを選んだ方が良さそうですね。神の影に隠れてしまわないように、注意をしましょう。

第二段階

[第二段階]

¨  生前の世界はなるが故にであり、死後の世界も同様である。

¨  生前自分の行為地上人たる自分に結果して来ている。

¨  生前の行為が生後審判され、酬いられているのであるが、それは悪因縁的には現れない。

¨  そこに神の大いなる愛の現われが有り、喜びがある。悪因縁がとして、また善因縁はとして、生後地上人に現れるのでは無い。

¨  何故ならば、大神大歓喜であり、三千世界大歓喜も現れ成るが故にである。

¨  地上人的に制限されたる感覚の範囲に於いては「」と感覚し、「」と感覚し得る結果を来たす場合もあるが、それは何れもが弥栄である。

¨  これを死後の生活に移された場合もまた同様であって、そこには地獄的なものは有り得ない。

¨  川上でニゴしても川下ではんでいる、と同様である。要するに、生前には地獄が無く、生後にもまた地獄は無いのである。

¨  この一貫して弥栄し、大歓喜より大々歓喜に、更に超大歓喜に向って弥栄しつつ永遠生命する真相を知らねばならぬ。

¨  しかし「天国」や「極楽」が有ると思念する事は、既に無き地獄を自ら作り出し、生み出す元である。

¨  本来きものを作り出し、に分ける…だが分ける事によってを生み弥栄する。

¨  地獄無き所に天国は無い。

¨  天国思念する所に地獄を生ずるのである。

¨  を思念するが故に、を生み出すのである。

¨  」あり「」と分け、離れてまた「」と栄ゆるが故に、歓喜が生まれる。

¨  即ち「」は「」にして、「」は「」である。

¨  生前であり生後であり死後であり、尚それらの総ては⦿である。⦿であり、と集約される。

¨  故にこれらの総てにしてである。

¨  人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活にそのままにして弥栄浄化する。

¨  浄化・弥栄する事により、呼吸が入り乱れつつ調和して、「」の段階より「」の段階へ、更に「」の段階へと弥栄浄化する。

¨  浄化・弥栄する事により、の悉くは歓喜となる。

¨  故に、の中にとして総て火弥栄ゆるのである。

¨  「悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬ」と考える地上人思念は、以上述べた意志行為弥栄と離れたものである。

¨  歓喜審判く、戒律い。

¨  戒律弥栄進展停止断絶し、審判歓喜浄化裁く

¨  この事は自らを切断する事である。裁きは有り得ず戒律は作り得ず、総てはこれき出づる歓喜のみの世界なる事を知らねばならない。

¨  行為結果で有る。

¨  思念原因で有る。

¨  原因結果となり、結果はただ結果のみとして終わらず。新しい原因を生む。

¨  生前霊人生後地上人を生む。

¨  地上人死後霊人を生み、死後人たる結果は更にその原因と成りて生前霊人を生む。

¨  ⦿となりて廻り、極まる所なくして弥栄える。

¨  以上述べた所によって、これら霊人地上人地上人の本体が歓喜と知られるであろう。

¨  されが常に歓喜に向ってのみ進むのである。

生前と死後の世界、つまり、霊界には、悪は存在しない、善だけが存在する…と。霊界では、肉体がありませんから、当然、影ができません。だから、悪が存在しないのはあたり前…。となると、影は、身体を持つ地上人の宿命になるのでしょうか?

『地上人的に制限されたる感覚の範囲に於いては「悪」と感覚し、「偽」と感覚し得る結果を来たす場合もあるが、それは何れもが弥栄である。』

つまり、悪があっても弥栄する…。つまり、地上の世界で、悪が存在していても、それは、「善し」、と云うことなのでしょうか? 宇宙の神様は永遠に、地上の人間同士の争いがあっても、それを許されているのでしょうか?

しかし、争いに、ほとほと、うんざりしているこの時代の人間にとっては、どうなのでしょうか?悪を一掃したいものですが…。

第三段階

[第三段階]

n  これはただ、霊人地上人のみではない。

n  あらゆる動物・植物・鉱物的表現による森羅万象の悉くが、同様の律より一歩も出でず、その極内より極外に至るのみ。

n  故に地上世界の悉くは生前世界に有り、且つ死後の世界に存在し、これに、生前の世界にもあり、土地あり、あり、あり、あり、あり、夫婦あり、兄弟姉妹あり、友人あり、また衣類あり、食べ物有り、地上そのままの生活が有る。

n  地上人地上生活を中心とすれば、生前死後は映像の如く感覚されるものである。

n  しかし生前よりすれば、地上生活物質生活はその映像に過ぎない事を知らねば成らぬ。

n  による、また過去現在未来時間空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。

「映像に過ぎない事を知らねば成らぬ。」、つまり、この世は、自分の心が作りだした映像に過ぎない…、これを理解する事は、非常に難しいです。

「時・所・位による美醜・善悪、また過去・現在・未来・時間・空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。」…と。更に、更に、難かしくなりました。

つまり、心の持ち方次第である…、地上人の制限された感覚の範囲内では、悪や偽と感覚してしまう場合もある…。

今、循環型社会を目指す時代になりましたね。江戸時代では、循環型社会が完成された時代であったとも言われています。つまり、屎尿を肥料にして、全てを無駄にしなかった時代であった様です。しかし、資本主義時代にはいって、物が溢れて、古くなった物をどんどんと捨てて、ダイオキシン問題になった時には、所沢の野菜農家やお茶農家がダメージを受けました。最近では有機農業とか自然農法が盛んです。リサイクルショップも増えました。手作り製品も、あちらこちらで売られています。産業廃棄物でも循環型を目指す工場が見受けられます。

つまり、制限された範囲内では、屎尿や古くなった物は不要なので、「悪」でしたが、循環型に変えれば、要らない物では無くなります。つまり、「悪」ではなくなります。つまり、そのようなことなのでしょうか?

時、場所、見る位置によって、美が醜に、善が悪に、過去、現在、未来に向って、変わって来ます。三界の真実の階段を、一つ一つ、登って行かなければ見えて来ません。それが、宇宙の変化であり、成長であり、弥栄であるように思われます。<2015.5.18>

101)霊人達は太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得している事を知らねば成らぬ。

第十七巻地震(自身)の巻

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第六帖

n  霊界人は、その向いている方向が北である。

n  しかし地上人の言う「北」では無く、「中心」と言う意味である。

n  中心は歓喜の中の歓喜である。

n  それを基として前後・左右・上下その他に、無限立体方向が定まっているのである。

n  霊界人地上人が見て、何れの方向に向っていようとその向っている方向が中心である事を理解しなければならない。

n  故に霊人達は、常に前方からを受け、歓喜を与えられているのである。

n  それは絶えざるであり、真理と受け取られ、それを得る事によって霊人達成長し、生命イノチしているのである。

n  要するにそれは、霊人達呼吸脈拍の根本を為すものである。

n  地上人から見てその霊人達が各々異なった方向に向っていようとも、同じくそれぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。

n  上下・左右・前後に折り重なっている」と見えても、それは決して、地上人のあり方の如く、霊人達には障害とならない。

n  各々が独立していて他からの障害を受けない。

n  しかしその霊人達極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在では無い。

n  各自の目の前にそれ相応なが有り、太陽が有り、太陰が有り、歓喜が有る。

n  それは霊人達が目で見るものでは無く、で見、で感じ、受け入れるのであるが、その場合のは、身体全体を集約したである。

n  地上人に於いてもその内的真実のものはでのみ見得るものであって、に見え、映る物は、地上的約束下におかれ、映像された第二義的な物である。

n  映像として真実であるが、第一義的真理では無い。

n  故に地上人の肉眼に映じたままの物が、霊界に存在するのでは無い。

n  内質に於いては同一であるが、現れ方や位置に於いては相違する。

n  故に霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。

n  霊人の中では「太陽を最も暗きもの」と感じて、太陽に背を向けて呼吸し、成長していると云う、地上人には理解するに困難な事が多い。

n  要するにこれらの霊人は、反対のモノを感じ、且つ受け入れて生活しているのであるが、そこにもそれ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。

n  歓喜の受け入れ方やその厚薄の相違はあるが、歓喜する事に於いては同様である。

n  歓喜すればこそ、かの霊人達は太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得している事を知らねば成らぬ

n  この霊人達を「邪霊」と呼び、「邪気」と言い、掛かる霊人の住む所を「地獄なり」と多くの地上人は呼び、かつ感じ、考えるのである。

n  しかしそれは本質的には地獄でも無く、邪神・邪霊でも無い

n  霊界に於いては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。

n  何故ならば、思念による思念の世界に繋がる故である。

n  現実的に見ては折り重なって、この霊人達が生活するとも、全然その感覚外におかれる為にその対象とはならない。

n  地上人に於いても原則としては同様で有るが、地上的・物質的約束の元に有る為、この二者が絶えず交叉混交はしても、同一方向には向かっていない

n  そこに地上人としての霊人に与えられていない特別のが有り、別の使命が有り、別の自由が生じて来るのである。

<紹介者からの一言>

これって、植物の事? 根は土に向かって成長して呼吸。根は太陽が嫌い。太陽に背を向けて成長しています。植物の根の住む世界が霊界と同様、根が霊界人…。

幹は地上人。太陽に向って成長、呼吸します。根と幹は真逆の方向に成長。しかし、繋がっています。お互いに相思相愛で、時期がくれば、花が咲き、実となり、弥栄、歓喜します。

根は根の道の使命、幹には幹の道の使命。両方が存在しなければ成長しない。根の情報と、幹の情報は、お互いに感得。それは、目ではなく、体感で確認。

同じ様なことが、人間の身体にも言えます。胃腸も土の環境と同じです。胃腸の壁には土と同じように、微生物がたくさん存在しています。胃腸の健康が肉体の健康です。相思相愛でなければ、病気になり、成長、弥栄しません。

人間の身体の五臓六腑を支配している神経は自律神経です。自分の意思ではコントロールができません。唯一、呼吸で、コントロールができます。

自律神経には交感神経と副交感神経があります。しかし、解剖学的に第一~第十二神経までであり、そのうちのどれが交感神経なのか副交感神経なのか、確認ができません。自律神経を支配しているのは心なのです。お医者さん達は、自律神経失調症と心の変化を診断しています。どうやって、確認しているのでしょうか?原因は心にあるのです、心を治さなければ治せません。

唯一の一本の第十脳神経は迷走神経と言われます。副交感神経機能の7080%を司っています。それは、背骨を通りません。

副交感神経機能は五臓六腑の活動を促します。交感神経機能が優位な時には、副交感神経機能は活動ができません。睡眠が短く、ストレスが多ければ、当然、五臓六腑は弱体、そして、睡眠不足と過労が続けば、過労死。副交感神経機能を大切にしなければ、死ぬのです。

第十脳神経である迷走神経は魚の鰓エラが進化して五臓六腑を支配しています。背骨を通りません。ですから、もし、自律神経失調症の病気で身体のマッサージを御希望であれば、筋肉や背骨や骨盤や足の裏のマッサージは無意味です。

副交感神経機能の促進をするマッサージが必要となります。迷走神経は、首と鎖骨を通ります、デコルテやフェイシャル、そして、全身の皮膚が胃腸の壁とつながっていますので全身の皮膚のマッサージ、リンパマッサージが最適です。<2015.5.19>

 

102)「己を愛する」は「先ず悪の第一歩なり」と考える、その考えが「悪的である」事を知らねばならぬ。

第十七巻地震(自身)の巻

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第七帖

²  地上には地上の順序があり、法則がある。

²  霊界には霊界の順序があり、法則がある。

²  霊界が原因の世界であるから」と言って、その秩序・法則をそのまま地上には写し得ず、結果し得ないのである。

²  また地上の約束をそのまま霊界では行い得ない。

²  しかしこれらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。

²  その秩序・法則・統一は、一応完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。

²  故にこそ弥栄の波長をもって全体が呼吸し、脈搏し、歓喜するのである。

²  これが生命の本体であって、限られたるによってこの動きを見る時は、「を許し、の成長弥栄を殺す」が如くに感ずる場合もある。

²  しかしこれこそを生かして更に活力を与え、浄化して必要の

²  として生かすのである。

²  生きたる真理の大道であり、神の御旨なる事を知り得るのである。

²  本来無く無く地獄無き事を徹底的にしらねばならない。

²  これは生前・生後・死後の区別無く全てに通ずる歓喜である。

²  「一」の天界に住む天人が「二」の天界に上昇した時、「一」の天界は極めて低い囚われの水の世界であった事を体得する。

²  更に一段上昇・昇華して「三」の段階に達した時も同様である。

²  地上人的感覚によれば「二」の天界に進んだ時、「一」の天界はに感じられ、「三」の天界に進んだ時、「一」の天界は最悪に、「二」の天界はに感じられる場合が多い。

²  悪的感覚悪的実態は自ら別であるが、この実情を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に至りては極めて稀である事を知らなくてはならない。

²  」を「なり」と定めてしまって、「は全て祖先より」、或いは「原因の世界より伝えられたる一つの因果である」と言う平面的・地上的考え方の誤っている事は、以上述べた所で明白と成り、「己を愛する」は「先ず悪の第一歩なり」と考える、その考えが「悪的である」事を知らねばならぬ。

²  来たるべき新天地には、「さん」とし「としてむ」思念くなる。

²  しかしそれが最高の理想郷ではい。

²  更に弥栄して高く・深く、歓喜に満つ世界が訪れる事を知り、努力しなければならぬ。

<紹介者からの一言>

人間の性は、何でしょうか?

私は、人間の性は怠け者であると思っています。もし、地球が平和であれば、人間は全員、怠け者に成っているのではないのかなと思っています。

毎日、美味しい物を食べて、適当に運動して、ゲームをして、散歩して、映画を見て、お茶やコーヒーを飲んで、ゆったりと過ごします。

しかし、中々、それを許してくれません。地球には、天変地異が有る為、人間はお尻を、毎日、鞭打たれているので、落ち着いて生活ができません。

人間は、未来永劫、地球や宇宙の奴隷なのでしょうか?

地球の目的、宇宙の目的は何なのでしょうか?

地上界と霊界には、順序や法則があることが解りました。しかし、「真理の大道神の御旨」が、どうしても理解することができません。それが解らなければ、努力するにも、その内に、力尽きて、諦めてしまいます。諦めずに、努力を続けるには、明るい希望が必要です。そこを知りたいと思います。

人間の欲求には、五段階があると、マズローが提言しています。

②マズローの欲求

マズローの欲求5段階説

▽第1段階 生理的欲求

第一階層の「生理的欲求」は、生きていくための基本的・本能的な欲求(食べたい、寝たいなど)で、この欲求を充たせれば、次の階層「安全欲求」を求めます。

生理的欲求は、空気、水、食べ物、睡眠など、人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求をさしています。これが満たされないと、病気になり、いらだち、不快感を覚えます。

▽第2段階 安全欲求

「安全欲求」には、安全・安心な暮らしがしたい(雨風をしのぐ家・健康など)という欲求が含まれます。

「安全欲求」を充たすと「社会的欲求」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)を求めます。この欲求が満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じやすくなります。
ここまでの欲求は、外的に充たされたいという思いから出てくる欲求です。

▽第3欲求 社会的欲求
三つ目は、帰属の欲求です。会社、家族、国家など、あるグループへ帰属していたいという欲求は、あくまで生存を脅かされない状態になって出てくるわけです。また、基本的欲求が満たされた次にこの欲求がくるということは、帰属欲求がそれだけ基本的なものであることを示しているともいえます。

▽第4欲求 尊厳欲求

そして次に「尊厳欲求」(他者から認められたい、尊敬されたい)という欲求が芽生えます。ここからは外的なモノではなく、内的な心を充たしたいという欲求に変わります。

帰属の後に自我の欲求がくるのは、ごく自然のことのように思えます。なぜならこの欲求は、他人からの賞賛を求める欲求であり、それはグループへの帰属が前提となるからです。(なにかしらグループに所属しなければ、自分を認めてほしい他者を認識することはありません。)この欲求は二つに分かれます。ひとつは、仕事の遂行や達成。二つめは、そのことにより他人から注目され賞賛されることです。

▽第5欲求 自己実現欲求

そして、最後に「自己実現欲求」(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)の欲求が生まれます。

導徳、創造性、自発性、問題解決、偏見の欠如、事実の承諾

△第6 自己超越

コミュニティ―の発展、隣人愛

第2段階までは物質的欲求、第3段階までは精神的欲求、

第4段階までは欠乏欲求、5段階以上は存在欲求

私達が学校等で教えてもらうのは、第5段階まででした。しかし、今回、ネットで検索をしてみたら、第5段階の三角形の上に、更に三角形が乗っていて、第6段階の三角形の中に書いてあります。

6段階は隠されていたとも聞いたことがあります。しかし、検索をしてみたら、書いてありました。

現在は、どの段階に在るのでしょうか?

第6段階の自己超越は、結局、「愛」に尽きるようですね。しかし、その愛は自分ではありません。

神示の地震の巻の第七帖の表紙に、「全てが我を取り去りて、全体としての一つと成りて、初めて活きるので御座るぞ。」と書かれてあります。

我を無くす事ができれば、奴隷にはならない、ということのようですね。

全体を、総てを一つとして見ることができて、完成、更に次の完成へと、永遠に続くようですネ。

103)①霊界は愛の歓喜・真の歓喜・善の歓喜・美の歓喜、地上世界は物質的約束によって、想念では動かな

2015-05-25 05:43:21 
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第十七巻地震(自身)の巻

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第八帖

l  生前の世界に霊人が生活している。

l  山があり、川があり、住宅・衣類・食べ物がある。

l  しかし、それは最初からのものでは無い

l  それらのを成す歓喜していた、そのが生後、地上世界に移されて地上的約束の基に成長し、秩序されたが為、その結果死後の世界に続き死後の世界の様相は の原理によって生前世界に移行して、生前的に進展し、弥栄し、そのを 幾度となく繰り返す内に、漸次、内的 に向って弥栄する面と、外的・地上的に進むと、その交叉融和する事によって更に生み出され弥栄すると、その各々の立場に於いて(進み),(呼吸し),(脈うち),(生命し)していると同時に全体的にも(生命し),(歓喜し),(弥栄)している。

l  そしてその現われとしては、(和)せば(和)する程相離れ、遠ざかりつつ 、(成長)する。

l  また(生命)の(大歓喜)として沸き出ている

l  故に地獄にあらざる地獄的霊界天国にあらざる天国的霊界は、霊人により育てられると同時に、人々より生み、人々により育てられ、歓喜されるのである。

l  かく弥栄進展するが故に、人類霊人類も、各々その最後の審判的段階に入るまでは、真の三千世界の実相を十分に知り得ない

l  故に新天新地の来るまで真の天国を体得し得ない

l  親天新地の新しき世界に生まれ出づる自己を、知り得ない

l  この新天新地は幾度となく繰り返されているのであるが、同一のものでは無い。

l  より小なるものより、より大なるものが生まれ、より大なるものより、より小なるものが生まれ、より新しきものより、より古きものが生まれ、より古きものより、より新しきものが生まれ弥栄し、一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなる事を理解しない

l  「月より地球が生まれ、地球より太陽が生まれる」と言う事を理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである

l  これは外部的なる智によらず、内奥の神智目覚める事によってのみ知りうる

l  新天新地新人はかくして生まれ呼吸し、火弥栄える。

l  しかし新人と生まれ、新天地に住むとも、その以前の自分の総ては失わない

l  ただその位置を転換されるのみである

l  地上人死後、物質的に濃厚なる部分を脱ぎ捨てるが、その根本的なものは何一つとして失わず生活するのである

l  その状態よりも尚一層そのままであって、「何らの変化も無い」と思える程である。

l  蛆が蝶になる如く火弥栄えるものであって、それは大いなる喜びである

l  何故ならば、大歓喜なる大神の中に於いて、大神のそのとを受け継ぎ呼吸しているからである。

l  全てのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。

l  歓喜がその目的であるが故に、歓喜以外の何ものも意識し得ない

l  故に歓喜より離れたる信仰は無く、真理は無く、生命は無い

l  生前霊人地上人として生まれてくるのも死では無く地上人霊界に入るのもまた死では無く弥栄なる誕生である事を知らねばならぬ。

l  歓喜行為となる、行為せざる歓喜は真実の歓喜では無い

l  ただ考えたり意志するのみでは、萌え出ない、生命しない

l  ただ意志するだけで行為しない事は、に意志する事では無い

l  霊界に於いては意志する事は、直ちに行為となるのである。

l  地上人にありては物質によりて物質の中に、その意志を行為する事によって初めて歓喜となり、形体を為し、火弥栄えるのである。

<②へ続く>

霊界は愛の歓喜・真の歓喜・善の歓喜・美の歓喜、地上世界は物質的約束によって、想念では動かない。

2015-05-25 05:33:33 
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<①からの続き>

l  生前の霊界愛の歓喜真の歓喜善の歓喜美の歓喜の四段階と、その中間の三段階に加えて七つの段階に先ず区別され、その段階に於いて、その度の厚薄によりて幾区画にも区分され、霊人の各々は自らの歓喜にふさわしい所に集まり、自ら一つの社会を形成する。自分にふさわしくない環境に住む事は、許されない。

l  否、苦しくて住み得ないのである。

l  もしその苦に耐え得んとすれば、その環境はその霊人の感覚の外に遠く去ってしまう

l  例えば愛の歓喜に住む霊人は、その愛の内容如何によって同一方向の幾百人か幾千、・幾万人かの集団の中に住み、同一愛を生み出す歓喜を中心とする社会を形成する

l  故に生前の世界では、自分の周囲、自分の感覚し得るものの悉くが最もよく自分に似ており、自分と調和する。

l  山も川も家も田畑も、そこに住む霊人達も、動物も植物も鉱物も、全て自分自身と同一線上にあり、同一の呼吸、同一の脈搏の中にあり、それらの総てが大きな自分自身と映像する場合が多い。

l  「自分」は他であり、他は自分」と感覚する。

l  故にその性質は生後に基づき、地上人もその周囲を自分化しようとする意志をもっているのである。

l  しかし地上世界は物質的約束によって、想念のままには動かない

l  死後の世界もまた生前と同様で有るが、一度物質世界を通過した者との相違が生じて来るのである。

l  だがいずれにしても、物質世界との密接なる呼吸の繋がりを断ち切る事は出来ない

l  物質は物質的には永遠性を持たず、霊は永遠性を持つが、霊的角度から見れば永遠生は持たない。

l  しかし物質面より見れば永遠性を持つものであり、永遠から永遠弥栄してゆくものである。

l  そして永遠性を持つ事物は、地上的物質的事物を自分に和合せしめる働きを内臓している。

l  」は「」を「無化せん」とし、「」は「」を「有化せん」とし、その有合の上に生命が歓喜するのである。

l  を生み、を生み出す大歓喜の根本を知得しなければならない。

<引用者からの一言>

物質世界で生活するには、とにかく、行為、行為、行動、行動、それしか方法がない、と、私は、かねがね、つくづく、感じています。

勉強をするにしても、考えているだけでは身に着きません。本を枕にして寝ていても駄目です。他人が勉強している姿を見ても、自分の頭の中には入って来ません。神棚に飾っておいても無理です。難しい本は、直ぐに眠くなってしまいます。教科書だけの勉強では、土台無理です。想像力を使おうとしても、元々、想像力の脳力が無いので、想像する事もできません。百聞は一見にしかず、と、見た事が一度でもあれば、それなりに解り易いとは思いますが…。

そんな事を思いながら、学生時代には、難しい医学書や看護書の勉強をしたものです。

そこで、私なりに編み出した勉強方法は、取り敢えず、解らなくても、読んでみる事を始めてみました。理解できないところは、読み飛ばして読みます。その内に同じ言葉が何度でも出て来る言葉があり、少しずつ理解ができます。

そんな感じで、厚労省の会議録を読んでいます。自分の理解できないところは飛ばして読んでいますので、あしからず。

世の中に出て、仕事をするようになったら、考える暇はありませんでした。目の前には、教科書では聞いた事が有っても、一度も見た事の無い仕事が、山の様にあって、それを、やらなければいけないのです。私は、就職して一年間は、殆ど仕事が出来ずに、自分の力量の無さに悩んで、うつ病的になってしまって、毎日が苦痛でした。お給料を貰うほどの仕事ができません。しかし、生活するにはお給料を戴かなくてはいけません。ノイローゼになって、自分が死んだら、自分を苦労して育てた親が悲しむだけです。

そこで、取り敢えず、何も考えないで、先輩の仕事を眺めることに徹しました。そして先輩の行動を見ながら、少しずつ覚えて行こうと決断しました。自分が出来ない事を悩んでいても、何も身に着きません。しかし、先輩の仕事を眺めていると、自分でも真似して出来るようになって来ました。そして、少しずつ自信を持つ事が出来るようになって、なんとか動けるように成る迄には、三年も経っていました。

自分の娘達を見ていましたら、やはり、同じでしたネ。就職するまでは、意気揚々でしたが、いざ、就職したら、毎日、苦労の連続の姿が見えました。その気持ちを私にも解っていたので、家事手伝いをしてくれなくても、黙ってみていました。しかし、長女は根を上げてしまいました。仕事を止めてしまいました。そして、フリーターになりました。私はなるべく何も言わずに見守っていましたが。その後自分で仕事を捜して来て就職しても、一年ももちませんでした。そこで、転職を決断した様です。そして、今迄とは全く別の仕事に就職して、その仕事は五年以上も勤めて、取り敢えず、今では彼氏を見つけて結婚ができて、子供も授かり、意気揚々と子育てをしています。

次女はリウマチの病気があったので、最初から、仕事が出来る事が奇跡だと思っていたようです。自分の病気と闘いながら、頑張って仕事をしていました。しかし、ある冬にとうとう根を上げてしまいました。止めていいかな?と言い出しました。そこで、十分頑張ったよ、止めて、ゆっくりと静養した方が良いと言いました。仕事を止めた事により、リウマチの病気もなんとか軽快に向かって行き、ネットで仕事を捜して、今では、夢に見た結婚もできて、まだ、子供が授かっていませんが、頑張って働いているようです。とにかく、物質世界で生きて行く事は大変です。霊の世界であれば、思った事が、即、実行ができるようですが、地上世界では物質的約束によって、想念のままには動かない、ようです。

物質的約束とは何でしょうか?

地上的約束の基に成長し、秩序されたが為、その結果が死後の世界に続き、死後の世界の様相は の原理によって生前世界に移行して、生前的に進展し、弥栄し、そのを 幾度となく繰り返す内に、漸次、内的に 向って弥栄する面と、外的・地上的に進む と、その交叉融和する事によって更に生み出され弥栄すると、その各々の立場に於いて (進み),(呼吸し), (脈うち) ,(生命し)していると同時に全体的にも(生命し), (歓喜し), (弥栄)している…。

アップルのスティーブジョンズ氏が、大学の卒業式でお話をされていたユーチューブで『「点」と「点」繋がって「線」となり、「線」と「線」が繋がって「平面」となり、そして、上の「点」と繋がれば、三角形の立体となる。』とお話をされていたと思います。つまり、最初の点を作る事が大切です。始めの点が無くして、何も成就出来ません。独りぼっちだと思っても、自分の点を成長させる。そして、同じ志の友との繋がりが見えて来るかもしれません。次は、天の御導きを待つことかな?

霊人により育てられると同時に、人々より生み、人々により育てられ、歓喜されるのである。かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入るまでは、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。故に新天新地の来るまで真の天国を体得し得ない。親天新地の新しき世界に生まれ出づる自己を、知り得ない。

天の御導きを信じてひたすら生きる、取り敢えず、地上世界で生きることが大切のようですネ。< 2015.5.25>

104)納吾ノアの大洪水前夜も、そうした状況に非常に近かったのですよ。神々様がいくら助けようとされて

火付身神示(ひふみふで)

宇宙の構造について

http://hifumifude.digi2.jp/fude/250519_2_1.pdf

について

皆様方が「皆しなければ」と申してあるのは、皆様方の為だからです。守護神様も仰せになられていますが、「が大事」とは、単に「悪い事は止めませう」と云うのでは無いのですよ。原因が皆様方の心の中に有って、それが元でこの世へとその心の状態が現れているのです。ですからその原因から完全に変えなければ、皆様方の今住んでいる世も、全く良くならないのですよ。皆様方の言う「」と火付身神示で申し上げている「」とは、違うのです。「」とは、皆様方の内側世界にお住まいの、それぞれにいらっしゃる神々様の事を云うのです。それで、皆様の言われている「正しいで」と言う意味が、単にそれだけでは済まされない現状期を迎えている、と云う事なのでず。人民さんの言う「」と神示で云っている「」とは、同じでは無いのです。それを先ず、解ってくださいね。

つまり、自身の内側にいらっしゃる自分達の神々様と、一緒に和合して戴きたいのですよ。それにはその神々様の御声を御一人ずつ認識できる状態にまで、肉体をまさねば為りません。それで、「誠に道へと進む神様」を、「神示に則っているかどうか」で人民さんが認識・区別出来なければいけません。それが出来ませんと「選択センタク」が成就出来なくなってしまいます。人民さんは、先ず「神示」に書いてある内容から理解していなければ、「誠の道へと進まれる内側世界の神様の選択センタク」すら、不可能となってしまうのですよ。選択センタクされた神様を間違えれば、結果とて間違った事になってしまいます。それで「中々」なのです。この「神様の選択センタク」が神示を読んでいないと中々解らないのです。「神示で身魂を磨く」と云っても、これには神示を深く理解される事、そして肉体も神々様の御声が聞き分けられる程、澄む事、更に誠の神様を自分自身の中から選択センタクして、云われた通りに従う「相似ソ-ジ」を徹する事、この三つが確りと出来なければ、成就しないのです。小山さんは「邪霊」と言っていますが、皆神できる「誠の神様」、「異次元を渡る神々様」を御自分が見つけられない内は、どれだけすばらしい神様でも「悪の神様」です。全ての異次元を言霊を挙げて察知リレー出来ない神様である以上は、人民さんの運命までもが変えられません。「悪の神様」だから「悪い」のではありません。ただ、「今度の大峠を乗り切る事が出来ませんから、それでは不十分でせう」、と云いたかったのですよ。人民さんには見栄収入的な事などが多くて中々素直になれない様ですが、「今までのやり方、神代には用いられん」のです。わざわざ今回は、皆様方地表世界、月の霊人界に、滅多に現れ出る事のない日の霊人、火の国の天使様まで御下りなされての神示の編纂までされたのですから、良く読んで下さいね。解決策はもう、火付身神示しか無いのです。神々様も人民さんも、皆、助けたいのです。自らの肉体を道具を使わないで「半霊化」させるには、肉体に異次元間を連結・連絡出来る神様が御憑きにならなければ成就出きません。それを為すには、その神様との「相似ソージ」が出来ないと神様も抱くことが出来ません。この事から確りと理解して下さいね。これが解りませんと、いつまで経っても何にも成就出来ませんから、身魂磨きには時間がかなり掛かる事を、皆様方には分かって欲しいのです。「いざ」となってからでは間に合わないのです。納吾ノアの大洪水前夜も、そうした状況に非常に近かったのですよ。神々様がいくら助けようとされて訴えても、大きな声立てて話しても、聞こえる人民さんが殆ど居なかったのでした…早く身魂磨き、頼みます

<紹介者からの一言>

最近、光インターネットの使用料が1500円程、お安くなりますよ、と言った類の御誘いの電話がよく来ます。私も、それではと思って、NTTの光ネットから、別のプロバイダーに変えようとしました。しかし、メールのアドレスは変えたく無いし、光のインターネットだけにしようとしました。しかし、それが、どうも、上手く行かなかったらしく、突然、接続がブチっと切れてしまいました。ネットもメールも、突然、出来なくなってしまったのです。

その為、NTTに電話したり、プロバイダーに電話したりと、なかなか繋がらない電話で、心がイライラして来て、今までの私であれば、インターネットのできない夫に八つ当たりをしていました。しかし、じっと静かにしている夫が、「夕飯を作ろうか?」と言って来てくれて、夫が作るくらいなら、滅多に料理をしない夫よりも、私が作った方が早い、と苛立ちながら、夫には電話当番をしてもらって、その間に、私が手早く作りました。

今回は、なんとか、苛立つ心を抑える事ができました。しかし、便利な世の中に成った分だけ、その分のギャップが、激しいですネ。自分の心が、かなり激しく乱れてしまいました。

便利になった分だけの代償というか、副作用というか、私達の心に、悪い影響が出てしまうのではないのでしょうか?どんなにりっぱな方であっても、今の時代では、そうなってしまうように思われます。つまり、デジタルの世の中が、人間の心を錯乱させているのです。

デジタルの世界だけで、お仕事をされている方は、どのようにして、心の平静を保っているのでしょうか? ネットサポートの御仕事をされている方、本当に感心してしまいます。イライラしているお客様に対して、一つ一つ、丁寧にアドバイス、それがしっかりとできているのは、音声録音のシステムもあるからでしょう。音声録音が、トラブルの防止をしているからです。私達の会話が、全て、お見通しなのですから、それが、デジタル社会には必要なのかもしれません。しかし、それでは、その反対のシステム、モノラルの世界もなければ、人間の心が破壊されてしまうように思われます。

最近の事件で、普通の人が突然、狂人になってしまうのは、デジタル社会が原因であるように思われます。モノラルの世界とデジタルの世界と、バランスの取れた社会。休日には、お花や植物の成長をゆっくりと楽しむ必要があると思われます。我が家のメロンとスイカの苗が、スクスクト育って、実が23個、付き始めました。蔓もどんどんと伸びてきています。子供の成長は、モノラルなのですから、デジタルのオモチャではなく、けん玉やコマ、などのオモチャの方が良いと思われます。

今の時代は、兎に角、肉体を動かさないで、頭を動かす物に溢れ返っています。

昔に戻る必要はありませんが、モノラル的な物が、もっと、もっと、増えて来れれば、お金だって、そんなに必要がなくなります。心も豊かになると思われます。心が豊かに成らなければ、真の神様選びだって、出来ないと思われます。<2015.5.26>